二十一話:その頃の南雲さん2
寂しそうな背中を見て、そう思ってしまったのだろうか。そんな事をつい考えてしまうが、違うと、陽子は心の中で否定する。
「んー……やっぱり違うかな」
首を左右に振って、少女は否定の言葉を口にした。
「ふーん? 憐れんだ訳じゃないんだ」
彼女から目を反らし、マグカップの底に残った、少しのコーヒーに目をやりながら、ネイトは再び尋ねる。
「じゃあ、なんで?」
その問いに、陽子が再び考え込んでしまう。
恋に理由を問われても、返答が帰ってくる事は少ない。恋とは唐突に、意味もなく始まる、黒色火薬のように燃えやすい物だからだ。
「……うーん?」
憐れみだけで惚れる程、少女の心は単純ではない。
確かに、これ以上ない位、可哀想な人ではあるが、それだけで体を任せる判断をする程、彼女の脳みそはピンク色をしていないのだ。ではなぜだろうと、考え、腕を組む。
飽きもせずに、そんな陽子の様子を二十分程見つめていたネイトだったが、流石に考えすぎであった。
「君はあいつを空虚な人、と呼んだ。でも、支えてあげたいと思った訳でもない。あいつが空虚で、全てを失った人間だと言うのは間違いない。それについては、どう思うんだい?」
奴に惚れたのはもっと先だろう。と高を括った彼は、思考を先に進ませる為に、そんな質問を繰り出す。
「……そうね」
ネイトの言葉で、こんがらがっていた思考の方向が、一本に誘導された。
唇にあてていた手を放し、再び口を開く。
「こんな事言いたくないけど」
と、注釈し、考えを口にした。
「それは、彼の罪よ。何をどうあがいても、許される事じゃないわ」
厳しい言い方ではあったが、的を得た答えだった。ただただ善いだけの子供が、こんな答えを出せるとは思えない、それ故に、陽子にかかるネイトの期待は大きくなっていく。
残ったコーヒーを飲み干して、苦笑しながら肩を竦めると、予想を真実にする為に、もう一つ質問を増やした。
「それは、あいつに一生苦しめって言っているのかい?」
すっかり温くなってしまって、旨味の減った物だが、言葉を口にする為の潤滑油程度にはなった。彼女が最悪の言葉を吐く訳ではないが、仕える相手の真意位は知っていたい。
「そうなる未来もあり得るでしょうね」
でもねと、陽子は語る。
「死人は許しも恨みもしないのよ。だから、サイハテが許しが欲しいなら、自分で自分を許すしかないわ。身もふたもない言い方をすれば、私の知った事じゃないの。人が人を罰するなんて、滑稽な事はしたくないわね」
救わない、許さない、罰さない、てめぇのケツはてめぇで拭け。と、可愛らしい顔立ちをした少女は、面に似合わぬ事を口にした。
傍から聞けば、ただ冷酷なだけの言葉だが、ネイトにはその真意を理解する事が出来、彼女の評価を上方修正せざるを得ない位の、見事な啖呵である。
「許しが欲しいのならば、自分で許せ。ね」
これ以上、罪を重ねるなとか、下らない事を口にしない辺りは、好感が持てた。
「当たり前でしょ」
何を当然の事を、とでも言うような口調である。
「私は裁定者でも、法律でもないの。ただの子供」
言い終わると、陽子は大きく鼻を鳴らした。
そんな彼女の様子を、ネイトは頬杖をつきながら見つめて、彼女の好意がどこから来たのかを、予想する。
「じゃあ、さ。なんでよ」
憐れむ者でも無ければ、裁定者ですらない、ならば、奴に対する好意はどこからやってきたのかと、何度目かもわからない質問を口にした。
「……そう、ね」
好意を抱いた頃を思い出したのだろう。
少女は頬を赤く染めると、その時の様子を話そうと、緩やかに口を開く。その瞬間、司令部の扉が力強く叩かれて、向こうから声が飛んでくる。
「閣下。入室してもよろしいでしょうか」
野太く、掠れた声だが、聞き覚えのある声色だった。
その声色の持ち主で、閣下と呼ぶ人間は陽子が知っている中では、彼等しかいない。
「どうぞ」
彼女が許可を出すと、その人物は司令部の中へと姿を現して、二人に向かって敬礼する。
「ご歓談中に失礼致します。南雲閣下、ネイト将軍」
それは、金縁の黒い装甲服を身に纏い、相手を威圧するかのようなデザインのフルフェイスヘルメットで顔を隠した兵士、レアが作ったバイオニックソルジャーと呼ばれる、人造兵士、しかも、陽子の周辺を警護する為により良いパーツで組み上げられた、近衛兵だった。
伝令に来た彼だけでなく、司令部の前にも、二人、立っているはずだ。
「いいえ、いつもご苦労様。それで、何の用かしら?」
少女が兵士に向かって、着帽時の敬礼で返礼すると、手を下ろして、直立不動の体勢で、近衛兵は用件を口にする。
「はっ、恐縮であります。アキヤマ博士から、手隙になり次第、技術部に出向するよう要請がありました。如何なさいましょう」
出れないと言えば、彼はそのまま伝えに、技術部に向かうだろう。
そんな事を考えたが、出ないと言う選択肢はないので、軽く頷くと、座っていた椅子から立ち上がり、ネイトを振り返る。
「悪いけど、仕事が入ったわ。恋バナはまた今度」
仕事ならば仕方ないと、ネイトは二つのマグカップを持って、同じように立ち上がって、返事をした。
「それなら、しょうがないね。これは僕が片づけておくよ」
「ん、ありがと」
ひらひらと手を振って、簡素な別れの挨拶と謝礼を言って、陽子は部屋から出ていった。彼女が部屋から出ていく姿を見送って、近衛兵は再びネイトに敬礼する。
「では、自分も失礼させてもらいます。将軍」
「あいよ」
彼が返礼すると、兵士も部屋から出ていく。
うまくはぐらかされたネイトは、肩を竦めると、汚れたマグカップを洗う為に、食堂へ歩いていく。




