六話
一頻り暴れ終わったサイハテは冷静になって、汚物の山から鼠の首を拾ってはベルトに括り付けたビニール袋の中へと放り込む作業をしていた。
目算で殺した鼠は2000を超える数になっているだろう、しかし、回収できた首は百個と少しばかりであった。そもそも、いつも気楽なサイハテにストレスを感じる場面があるのかと疑問になるが、普段の状況はそれこそストレスになっているのだ。
考えても見て欲しい、風通しが良く、夜になればお月様が見えるあばら家に住み。体を維持するのも厳しい位の食糧を三人で分け合って慎ましくも暮している状況だ。おまけに青臭いとは言え、二人の美少女が無防備にもそばで寝ているのに御手付き禁止の毎日だ、ただでさえ、戦いの後や危機を越えた直後などはムラムラするのだ。
(……なんだ、この感じ。首筋に張り付くような、嫌な感覚だ)
そんな事はさておいて、サイハテは鼠を殲滅してから妙な気配を感じ取っていた。何かが自分を見ている、それも観察するような、じっとりとした目で。
(鼻は馬鹿になってて使いようがない、耳も、どこからか止めどなく流れる水音のお陰で、あまり役に立つ事はない、おまけにこの暗闇に大量の遮蔽物。待ち伏せには打って付けの環境だ。なのに、襲ってこないのか? 俺を観察しているだけ……? なんのために?)
サイハテが見つけられない程のステルスなど、中国軍の特殊部隊とやった時以来だ。つまり、相手はそれほどの手練れと言う証左。下手に動いたら殺られる可能性が高い。
(誰何してもいいが……それで出てくる位なら最初から隠れる訳がない。フィクションの敵役じゃねぇんだ。堂々と名乗る訳もない)
警戒心をマックスまで引き上げても、サイハテの振る舞いは先程と変わらず油断しきったような動きだ、油断しているときとまったく変わらない呼吸数、視線の動き、そして立ち位置だ。
だが、とサイハテは内心続ける。
(隠形は上手いが、気配の消し方がまだまだだな。これならどこにいるか解りそうなもんだ)
鼠の首を詰めた袋を担ぐと、よっこいせと気合を入れてそれを担ぐ。
「うは、意外と重いぞ。これ」
百個程の首と言えど、30キロ位にはなるのだろう。ビニール袋の強度が心配になる重さだなと思いながら、サイハテは出口までの道を早足で歩いて行く。
「あー、これ絶対服が臭くなってるわ。絶対だわ。やだなー……」
相変わらず愚痴を言いながらの進軍だ。
鼠は全滅したので、寄って来るものは存在しない、しかし、サイハテはすごく嫌そうな表情を見せた。
(そんな気配ビンビンで後ろ着いてくるなっての……距離は3か)
かなりの至近距離である。
なんだか、放っておいたら家まで着いてくる様子を感じ取ったので、悪いがここで捕まえさせて貰おうかなと、溜め息を吐いた。
ベルトのホルスターからナイフが落ちて、汚水の中へとその身を沈みこませる。
「マジかよ、ついてないわ……ここに手をつっこむのか……」
心底嫌そうな声を出して、サイハテはビニール袋を下ろして腰を曲げる。汚水に手を突っ込み、汚物をかき分けながら落としたナイフを探り出し、しっかりとその柄を掴む。
もう追跡者の位置どりも判明している。中国軍の特殊部隊と比べると、聊か情けない追跡の仕方であった。後ろから来た小さな波が、サイハテを追い越して行ったのを見てしまったのである。
汚水に手を突っ込んだ体制から、ナイフを投げる。闇を切り裂く銀閃が、追跡者の居る位置へと真っ直ぐ飛んでいく、無音でノーフォームの投擲だ。これ位は防いでくれないと、サイハテとて面白くはない。
「くっ!」
追跡者が狼狽した声を上げる、空間が揺らぎ、空中で火花が散ると、投げたナイフは弾き飛ばされてコンクリートの壁へと突き刺さる。
初撃は防げたようだが、そのナイフをナイフで弾いた体制から、次に迫るサイハテの攻撃を防げるのだろうか? サイハテはナイフの背後から迫っていたと言うのに。
「あらよっと」
結局サイハテは、何もない中空に手を伸ばすと、あっさりと追跡者をとっ捕まえる事が出来た。中空ににじみ出るように黒いスニーキングスーツとドクロの仮面を被った女が出現する。
「光学迷彩か……実用化されていたなんて初めて聞いたぞ。と。さて、お前は誰で、何が目的で俺を着けていたのかキリキリ吐いてもらおうか。こんなばっちい場所で拷問されるのはイヤだろう?」
「……ハイル・サバト!!」
「ナチ党かよ!!」
サイハテが思わずツッコンでしまう。
黒衣の女はそれだけ叫ぶと、口内に仕込んであった毒薬でも飲んだのか。そのまま息絶えてしまう、力の抜けた女の遺体を、サイハテは優しく地面に置いて……置いて何かを発見した、彼女の背中にプラスチック爆弾がはっついていた、それから伸びるコードはスニーキングスーツの中に入っており……。
「よっと」
服を破いてみると、コードは豊かではない胸まで伸びており、心電図の時に張り付けるあれが先端に取り付けてあった。
即ちこれは……。
「心音爆弾っ」
思わず引き攣った声が出た。
女の遺体を放り投げて、サイハテは汚水の中へと身体を突っ込む。その瞬間、爆風が狭い地下道の中を通り抜けていく、爆発の炎は逃げ場を限定され、大きく縦と伸びる衝撃波と灼熱の炎の奔流へとその体を変えて、一瞬の内に広がっていく。
そんな中サイハテは、水洗トイレに流されるうんこの気分を味わう羽目になったのだった。
「あれ、なんかサイハテがヤバい気がするわ」
17匹目の害鳥をライフルで仕留めた陽子が、そんな事をポツリと漏らす。視線の先では仕留めた鳥を取りに行くために、レアが楽しそうに麦穂の草原を走っているのが見えている。
腹這いの姿勢から立ち上がった瞬間、どこからか爆発の音が響いてきた。まるで太鼓のような低く重い音で、かなり遠くからの音だと言うのはなんとなく陽子でも理解できた。
「あれま、珍しいねぇ。爆弾を使うマーセナリーなんて、ここいらにいたかねぇ?」
農場の護衛たるミールが、そんな事を漏らしている。
「おねーちゃ、すごい、ひゃっぱつひゃくちゅー」
綺麗に、心臓の太い血管を貫かれた鳥を抱えたレアが、興奮気味の声でそんな事を言っている。おねーちゃんって言った事をからかったらまたレンチでぶたれる羽目になるだろう。
「そうだねぇ、銃に自信があるってのは本当だったんだねぇ。あたい反省」
「あはは……」
ミールなんかは猿の真似までして反省の態度を見せてくれている、十中八九からかわれているのだろう。
「そう言えば、陽子とあの変態はどう言った関係なんだい? 恋人……には見えないし、兄妹には尚更見えないねぇ」
「んー……なんだろう、一応。命の恩人……だと思います、不本意ながら」
「へぇ、あたいはどこからか誘拐されてきたお嬢様と誘拐犯かと思ったよ」
「お、お嬢様って……」
「不思議かい? 陽子は日焼けもしていないし、手を見ても、下層民には見えない程綺麗な子だ。あの変態が弱そうだったら、今頃はどこかの男の褥かねぇ……」
つまりは、浚われて、R-18な展開になっていたと言うことであろうか。
それは陽子も薄々感づいていた、町を行く時に、すれ違った男達の目だ、野獣のようで舐めるような視線を陽子とレアに向けていたのを覚えている。彼らは陽子を見つけると一歩こっちに近寄り、サイハテに気が付くと素知らぬ顔で通り過ぎて行っていた、サイハテがいなかったらと思うと、ぞっとする陽子だった。
「今はあたいが居るから、問題ないんだけどねぇ……正直、陽子とレアはもう少し薄汚れた方がいいねぇ。今のままだと目立ちすぎる」
「よごれるのは、いしゃとしては、おすすめできない」
鳥を農場の人に預けてきたレアが、突如として声を上げた。陽子は突如して現れたレアにギョッとしたが、ミールは歴戦の傭兵なのか気が付いていたようだ。
「おや、レアちゃんはどうしてそう思うんだい?」
「このまち、かなりふえーせー。きゅーわりのにんげんが、なにかしらのかんせんしょーをわずらってる。みーるねーさんも、けっかくにかんせんしてる。いしゃとしては、いますぐこーたいちゅーしゃをおすすめする。いまはVirusがよわってるから、だいじょーぶだけど、あとにねんで、じゅーびょーかする」
すぅっとミールの目が細められた、まるで敵に遭遇した猫のような印象を抱かせる目だ。
「へぇ……、診察もしてないのに、よく気が付いたね。ご明察、あたいは結核を患っている」
「ここにくるまでも、こまかいせきをくりかえしてて、ぼくをだっこしたときにびねつをかんじた。それだけでじゅーぶん」
何と言うか、ミールの機嫌がすこぶる悪くなっていると、陽子は感じている。ライフルを手放して、こっそりと拳銃に手を伸ばしたが、その手はミールに抑えられてしまった。
「それで、レアちゃんはあたいにどうしろってんだい?」
ここが分水路、恐らく、変な事を口にしたらミールはキレる。
終末世界では基本的に医薬品などは手に入らない、それを精製する自動プラント付近では医薬品を食糧する終末生物が闊歩しているからだ。そうでなくとも、あの危険な街を抜けてきた後だ、レアだってそれが厳しい事位は理解しているだろう。
「ぼくらにたよるべき」
レアの言葉に対して、ミールは瞳を閉じて見せた。
何を言おうか言うまいかを悩んでいる表情とでも言うのだろうか、そんな表情をしている事を陽子は気が付いていた。
「……あたいは―――――」
レアの喋り方どうするかなー、今更変える訳にはいかないから、どげんかせんと




