二話
握手の後、サイハテはこう言った。
「まず装備を調達すべきかな、流石に素っ裸だといつ怪我するか。わかったもんじゃない」
陽子もこれには賛成であった、いつまでも見れる程、少女の肌は安くないのだ。
と言う訳で、陽子は先行するサイハテの背中を見ながらあまり離れない様に彼についていくのであった。
大きく広い、傷だらけの背中だ。
その背中から目を離して、窓の外に目を向けると、陽子は大きなため息を吐いた。何故なら窓の外に広がっているのは植物に食われた都市であったからだ。
ありとあらゆる建物は傾いているか倒壊しており、蔦が建物全体を覆っている……崩れなかったのはこの太くたくましい蔦のお陰でもあるだろう。
「……未来、なのよね」
「そうだな」
独り言に、サイハテは返事をしてくれる。
「ここを見る限り、外の世界に文明はほとんど存在しないと思っておいた方がいいぞ」
サイハテの言葉に、そんなまさかと陽子は苦笑を漏らす。
人類の文明と言うのはそうそう簡単に崩れ去るものじゃない、核戦争が起きたってどこかしらで文明は残っているようなものなのだ。
「それはなぜ?」
だが、一応聞いておくことにする。
笑い飛ばしていい内容でもないし、根拠があるのならそれに近しい事は間違いなく起こっていると言うことなのだから。
その質問の答えを、彼は言い淀んでいるようであった。
しばらくは二人の裸足が地面を叩く音だけが響き渡る。
「一つは窓の外だな」
観念した訳でもなく、サイハテは自分が知った事実を語る。
窓の外、確かにここまで市街地が放置されるのは異常だ、特に日本では平野部の土地が不足しているし、おまけに日本では都市は鉱山たりうるのだ。
沢山の金属資源が眠っているから、都市鉱山なんて呼ばれたりもするかもしれない。
「爆撃の痕があった……の、割には戦闘の形跡がない。これが何かわかるか?」
サイハテの指差す先には、大きく穴が穿った道路が存在している。
「解らないわ」
陽子は首を左右に振って、解らないと意思表示をする。
そもそも平和すぎる日本で生まれ、育った少女だ。弾痕には縁がないどころか見た事もない、そして爆撃痕も然りだ。
「恐らく流行病だ、しかも爆発的な速度で感染を増やしていくタイプで、治療法が確立する前に人間が滅んでしまうレベルのな」
「……それがなんで爆撃につながるの?」
「そう言った病気を根絶するのは爆撃が一番なんだよ。感染者諸共ウイルスや細菌を爆弾で吹っ飛ばす、そうしなければ国が亡ぶ……なんてなればな」
「そんなの間違ってるわ」
「ああ、俺もそう思う」
先を先行していたサイハテの歩みが止まる、視線は左にあるドアのところ……錆びた金属プレートには警備室なんて書かれている。
「ここなら警備員の制服が存在するかも知れない。入るぞ」
そのままドアノブに手を伸ばして、捻る。
するとドアは入る事を拒否するかのように固い音を立てて、施錠されている事を示してくれる。
「鍵がかかってるみたいね、どこかで探してこないと」
「いや、このまま入れる。離れてろ」
サイハテはそんな事を言って陽子を下がらせると、そのまま力任せにドアを引き千切った。
老朽化しているとは言え、ステンレス製の頑丈そうな扉だ。それを引き千切るなんて一体全体どんな筋肉をしているのだろうかと、陽子は思わずサイハテを見つめてしまう。
陽子に見つめられている事に気づいているのかいないのか、サイハテはさっさと警備室の中へと入っていく、置いて行かれては叶わないと、少女も彼の背中を追いかけるのだ。陽子もいい加減全裸は使用がなく、着替えの一つ二つは欲しいのだから。
警備室の中は想像したより清潔であった。
数百年分の埃が溜まっているとは思えない程だ、この程度なら一か月間掃除しなかった部屋、程度の汚れ具合で済むだろう。
「結構綺麗ね」
部屋を見渡した陽子はそう呟くと、真っ先にロッカーへと向かう。
小走りで駆けて行く少女の尻を見送り、サイハテも違う場所のロッカーへと赴き、中身を漁る。
ロッカーの中身は警備員に着せるには上等すぎる服が入っていた、深い青色の上下戦闘服の素材はケブラー繊維で、贅沢にもチタン合金のプレートが入った黒い防弾チョッキまでが付いている。
「……ガスマスクに拳銃?」
その服を引っ張り出し、奥にあったジュラルミンケースを開くとサイハテが呟いた品までもが入っている。
日本の警備員は基本的に武装は一切認められていない、銃社会でない日本で武装はあまり必要とされないからだ。
そんな薀蓄はどうでもいいとして、サイハテは見つけた装備を身につけて、リボルバータイプの拳銃をホルスターへとしまう。
「ぶきやぼうぐはちゃんとそうびしないといみがないぞ!」
「いきなりあんたは何を言い出してんのよ……」
いきなり武器屋の定員に成り果てたサイハテの前に、先程の装備を身に纏った陽子が現れる。
意思の強そうな釣り目がサイハテの姿を捉えている。
「ほう、似合うじゃないか」
とりあえず褒めておくサイハテ。
「似合っても嬉しくないけどね……」
と、褒められてもあまりうれしくなさそうな陽子。
腰のホルスターにしっかりと自動拳銃が刺さってる辺り、状況は理解しているようであった。だが、とサイハテはある事を確認する為に口火を切る事にする。
「お前、銃の扱いが分かるのか?」
扱い方一つ間違えれば自分の命が危ない武器なのだ、使い方を知らないのなら没収した方が陽子の生存確率も上がると言うもの。
「ええ、SIGなら撃ったこともあるわよ」
どこで、なんて質問はしないでおく。
陽子が持っている拳銃はSIG SAUER P226と呼ばれる頑丈な拳銃だ、使用弾薬は9mmパラベラム弾と.40S&W弾、後もう一つ何かあったような気がするが、忘れておく。
装弾数も多く、非常に頑丈な作りをしているのが特徴の拳銃だが、少々お高い武器である。警備員個人の持ち物だったのだろうか。
「……なら大丈夫か。さぁ、行こうか。脱出ルートを探さなくてはならないからな」
サイハテは袖を捲ると、陽子に背後から続く様に合図して廊下へと歩きだす。
空調のない病院内は非常に気温が高い、ケブラー繊維で包まれたこの警備服で出歩くのは非常に辛い事となっている。
陽子はこっそり、胸元までジッパーを下ろしてサイハテと同じく、袖を捲る。
これだけで大分マシになったと言えるかも知れない。
一分程歩くと、サイハテは立ち止まって舌打ちをした。
「どうしたの?」
そう声をかけながら、サイハテの背中から行く末をひょっこりと除くと理由が分かった。
降りる方の階段に、巨大な防護扉が降りてしまっているのだ。これでは除去して通り抜ける事は不可能だろう。
「俺達が用があるのは三階だ。後一階降りなきゃいけないのだが……どうやら、ここ、四階は隔離されているようだな」
原因は陽子を襲ったあいつだろうな、なんて事は喋らないでおく。
パニックを起こされたらたまったものではないからだ。
「……五階には行けるな。よし」
そう呟くや、否や、サイハテは上階へと上がる階段に足をかける。
すかさず陽子はサイハテの前に回り込むと、
「いやいや、まってまって」
なんの説明もなしに移動しようとするサイハテをヨーコは押し留めた。
三階に行きたいのに、何故五階に行くなんて言うのかさっぱりと予想がつかないからだ。
「何で五階に行くの? 後どうしてここが四階だって分かるの?」
「四階にはないが、五階にはエレベータがある。ここが四階だってわかった理由は、ほれ。そこの壁に書いてある」
サイハテが指差した先には、錆びた金属で4Fと書かれた壁があった。
「エレベータがあるってわかった理由は?」
「かっこよく構造上と言いたいところだが……ほれ、先程の警備室にあった警備計画書だ。この中に地図が入ってる。俺はもう暗記したから君が使えばいい」
陽子は唖然としてしまった。
あれだけの短い時間で必要な物を発見し、解読し、暗記する能力は異常すぎる。まるでフィクションに出てくるスパイのようだなとも思ってしまう。
「あ、あんた。ただの変態じゃ無かったのね」
聞きようによっては失礼な話である。
「まぁな。それじゃさっさと五階に行くぞ」
楽しくおしゃべり、と言う訳には行かないのだろうかと、疲労度が高まってきた陽子は思う。
いや、お喋りしたい訳ではなく、休憩したいだけなのだ。顎からは汗が垂れる程熱くなってきているし、そうでなくとも傾いてたり、床が抜けてたりする迷路のような隔離病院を歩きっぱなしだ。
先ほどの化け物が襲ってこないとも限らない、そう言った緊張もある事から陽子はバテてきている。
「……五階には食堂がある、飲料水や僅かな食糧が残っているかも知れないから、そこで休憩しよう」
「何やってるのサイハテ! さっさと行くわよー!!」
現金な奴だとサイハテは笑う。
休憩を取ると言った途端、陽子は率先して階段を上って行ってしまった。恐らく、最後の力を振り絞って走っているのかも知れない。
元来、子供とはあああるべきなのかもな、なんて思いつつ、彼女の後を追う為に、階段を登り始める。
「わーーーー!!」
人が驚いた時に上げる驚声、それが聞こえてきた後、炸裂音が連続で三回聞こえる。
トラブル発生、もしかしなくても、先程襲ってきた奴がいると言うことだろう、サイハテの蟀谷に一筋の汗が流れる。
「陽子!!」
二段飛ばしで階段を駆け上がり、サイハテは五階へと踊り出る。
ホルスターに突き刺した38口径のリボルバーを抜き放ち、陽子の驚声が聞こえた方向へと構えると、尻もちを着いた陽子と、頭から膿と血の濁流を流しながら倒れる先程の化け物が倒れている。
先ほどの化け物、警備計画書には写真付きでフェーズ1感染変異体、通称グールなんて書かれていた。弱点はお約束の如く頭部で、それ以外の部分はいくら撃っても無駄、例え頭を切り落としても頭だけで動き続けると書かれていた化け物が三匹、地面に倒れ臥している。
「あ、あははははは……やっつけちゃった……」
尻もちを着いたまま、引き攣った笑みを浮かべる陽子を一瞥し、サイハテは倒されたグールに近寄ると、その死体を検分する。
各々額に一発ずつ直撃し、即死している。
距離は十二メートル、連射でこれを仕留めたとなると、今度はサイハテから質問しなければなるまい。
「君は何者だ?」
リボルバーから手を離す事はない、彼女はあの驚声から僅か二秒後に三連射の射撃を行っている。
驚き、混乱した人間が突発的に射撃する時間には十分だ。それを正確に頭部へと命中させる事は訓練を受けた軍人でさえ不可能な事だ。
「え、わ、私?」
「そうだ、銃を扱う事を知っている日本人はそう居ない。君くらいの年齢でここまで正確に射撃する事ができる人間は世界中どこを探してもいないだろう」
ぐりっと、強くグリップを握り込むサイハテ。
「えーっと……私の事、ほんとに知らない?」
対して陽子は困り切ったような表情を見せている、少しばかりの落胆と驚愕が混ざっているような表情だ。
「知らないな」
サイハテはきっぱりと言い捨てる。
「……私、2068年の金メダリストなんだけど、速射と狙撃の……しかも5089メートル狙撃の世界記録保持者……テレビが一年位騒いでたと思うんだけど……ほんとに知らない?」
頭を鈍器で殴られたような気分になる。
「……西暦2068年? 5089メートル狙撃?」
嘘をついている訳でもない、どうやら、サイハテが眠る以前よりずっと後の人間であったらしい。
陽子の表情を見る、幼さが残る顔立ち、年の頃は13か14、体つき、特に腰の膨らみが成人女性に比べて小さい事が子供だと主張している。
裸の時の体つきも、よく運動している為か括れてはいたが、腰つきはそんなに大きくなっていない事から彼女は子供だと推測される。
「……改めて自己紹介しないか? 詳しい事を知りたい」
サイハテはリボルバーをホルスターに戻すと陽子に向かって手を差し伸べる。
「あ、ありがと」
その手を受け取って陽子は身を起こす。
ただ、自己紹介と言われても、何を話せばいいのやらさっぱり見当がつかない。
「この先に食堂がある、休みながら話そう。お互いの事をもっとよく知るべきだ。俺達は」