三十五話:戦いの終わりに
隠した車の傍で、潤の治療をしているとサイハテが戻って来た。
掌でなんとか包める程度の大きな宝石、ジェネレータコアを持って、彼は治療パッチを張り付けている陽子を見つけ、唇を吊り上げる。
「何よ」
剣吞な口調で喋る少女の機嫌は、すこぶる悪かった。
戦いの後で気が立っているのもあるし、何より、意味もなく発電所を保安していたハルカ型に憐憫の情を抱いてしまったからだ。
なのに、サイハテはなんでも分かっているかのように、笑っているのだから、剣呑な口調にもなるだろう。
「落ち込んでいる、と思っていたが、どうやら俺の杞憂だったらしい。いい傾向だ、君は背負い過ぎるきらいがあるからな」
揶揄うような口調と態度の彼だったが、逆に陽子の怒りは抜けてしまう。
あんな態度ではあるが、少女の事を心配していたと言っているのと同じだからだ。
「素直に心配してたって、言えないの?」
なので、陽子にこうやって釘を刺されると、サイハテは罰の悪そうな表情で後頭部を掻く以外出来る事はない。
彼だって、自分の減らず口がトラブルを起こしやすい事はわかっているのだが、どうにも素直に心中を吐露すると言う行為に、強い忌避感を示している。
「……すまなかった。心配していた、怪我はあっても無事なようで安心した」
不貞腐れたように視線を反らし、ぶっきらぼうな口調で言い放つと、サイハテはそのまま二人を通り過ぎて車に積んでいる通信機まで歩いて行ってしまう。
そんな彼を見送った少女は、おかしそうに噴き出すと殊更安堵したような声色で語る。
「素直になり切れないんだから……」
全くもうと、慈愛の視線を送っている陽子を見て、潤は首を傾げ、通信機で何かを話している彼に、視線を送っていると、治療をしていた少女から声がかかった。
「はい、終わり。もう酷い痛みはないでしょう?」
酷い痛みはない。
そう言われて、肩を振り回してみると、引き攣るような痛みはあれど、先程までのように動かすのも億劫な激痛が走る事はなくなっていた。
「はい、もう大丈夫です」
ハルカ型の爪に引き裂かれた傷は、焼き鏝でも押し当てたかのように酷い火傷を負っており、酷い痛みを放っていたはずなのだが、湿布薬のようなバンテージを張っただけで、それは無くなっている。
少年が不思議に思っていると、その気持ちを読み取った陽子が説明をしてくれた。
「その治療パッチは傷口の洗浄、消毒、鎮痛を一気にやってくれるものよ。治癒速度も上がるそうだから、普段より早く傷が治るかもね」
「それはありがたいですね。働けないと、収入が……」
嬉しそうな割には、随分と世知辛い言葉を吐く潤。
しかしである。少女にそれを責め立てる狭量な心はない。
この世界に生きる人間は誰しもが、明日の糧を得る為に働いている。町中でも時たま感染変異体や暴走ドローンが出現すると言うのに、彼らは足繁く仕事を探しては更に危険な外に出るのだ。
生きる事に向き合わないと、生きていけない世界なので、それはしょうがない側面がある。
明日の糧を得られなければ、明後日の糧を得るのは更に難しくなり、明々後日等々、それが続けば待っているのは死と言う結末だろう。
哀れではあるが、憐れみはしない。それは失礼と言う物だろう。彼らは一個の人間、一つの生物として立派に生きているのだから、称賛こそしても、憐憫等と言う感情は向けてはならない。
「おい、潤」
彼らの生活に陽子が思いをはせていると、サイハテが戻ってくる。
「はい、何でしょうか西条さん」
少年は佇まいを直し、彼の言葉を聞こうとしている。それもそのはずで、病気に対する支援は、潤が勝ち取るべき報酬であり、約束したと言えど、気まぐれでやっぱり無しと言えるのだから、真剣にもなろう。
「貴様は成すべき事を成し、結果を残した。その精神と奉仕に感嘆の意を表し、君に我が勢力から支援を贈る事を決定した。医者と薬、そして食料と水を贈ろう」
その言葉を聞いた潤は、緊張していた面持ちが緩み、満面の笑みを浮かべる。
笑うと余計に女の子っぽいと陽子は評した。
「本当ですか! ありがとうございます!!」
「礼はいらない、君が勝ち取った正当な報酬だ。誇るといい、君は幾人もの人間を救う手段を得た」
喜色満面の少年に対し、サイハテはセメント対応をしている。
上位者からのお恵みではなく、対等な関係を築き、勝ち取った報酬だと彼なりに潤を褒めたたえた後、彼は少女に向き直った。
「と、言う訳でよろしいかな、ボス。異論なければ、この書類にサインと判子が欲しいんだが……」
ついっと突き出された一枚の紙きれにはこう書かれている。
”要請書”
”発 館山要塞実働部部長西条疾風”
”着 館山要塞統括部総長南雲陽子”
”現地協力者に対しての報酬とし、ストレプトマイシン、オキシテトラサイクリン、クロラムフェニコールを各二万人分要請する。”
”ひいては人道支援として、ペスト治療の出来る医者を一名、医療従事者四名を貸与し、食料を二トン、真水を十トン要請する。”
”運搬方法は迅速かつ、的確な方法を西条疾風が模索する。”
”以上”
それを受け取った陽子は、簡素な要請書にしっかり目を通すと、懐からボールペンを取り出して自分の名前を書き、シャチハタで判子を押した。
「はい、これでいいかしら?」
「ああ、問題はない」
それを受け取った実働部部長こと、西条疾風は通信機に戻ると一言だけ、告げる。
「許可は得た。迅速に頼むぞ、通信終了」
相手の返事も聞かずに、無線を切ったサイハテは、運転席のドアを開けて、エンジンをかけてしまう。
「俺達はこのまま保田に向かう。保田で待機して、彼の報酬を受け取りすぐさま治療を開始しよう。陽子には責任者として立ち会って貰うが、いいか?」
「うん、構わないわよ」
「そうか、それならさっさと向かおう。潤、ついでに送って行ってやる。早く乗れ」
「は、はい!」
そうと決まれば、彼の行動は早い。
潤と陽子が後部座席に乗り込む間に、ささっと装備などを梱包して積み込んでいる。
そこそこ散らかっていたはずなのだが、十分もかからずに準備を終えた一行は、保田に向かって走り出した。