サイドストーリーズ:サイハテの趣味
館山要塞はしつこいようだが、地下にある。
五つのフロアに別れており、皆の生活空間は第三層に広がっていた。
部屋は基本早い物勝ちで、サイハテなんぞは両脇を女子小学生と女子中学生に固められているのである。
故に、遊びに来る。暇さえあれば、二人の少女は足繫くに遊びに来るのだ。
「……で、今日はなんの用だ?」
部屋の換気扇、その下に用意された簡素な風炉と茶釜の前で、部屋の主は苦笑しながらも、邪見にする様子はない。
手にはボヘミアガラスの茶入れと、見事な茶碗を持っていた。
「何その茶碗?」
「見てわからんか、至って普通の茶碗だ」
至って普通、とサイハテは言うのだが、どう見ても名物である事には変わりない。
いい色合いの黒い茶碗で、器の内部には星空が広がっているような美しい文様が描かれている。
「……さいじょー、これ、よーへんてんもくちゃわんじゃ?」
「お目が高いな。レア、実はその通りだ」
覗きこんでいたレアが逸品の名を当て、陽子は大きく仰け反った後、混乱したかのような声で叫ぶ。
「それ、国宝じゃないの!!」
震える部屋と、耳を塞ぐレア。
そんな大声を前にしても、サイハテが揺らぐことはなく、うっとりと茶碗を眺めた後、桐の箱へとそっと置いた。
「そうだ」
悪びれも無しに、頷く彼に対し、陽子は震える声で尋ねてみる。
「それ、どこの美術館から盗んで来たの? 返してらっしゃい」
「盗んだ訳じゃない。買ったんだ」
「……誰から?」
「放浪者の街の貧民から、飯盛り茶碗になってたのは、少し忍びなくてな。俺がお救いした」
なんと言う事だろうか、恐るべし終末世界。数寄者垂涎の曜変天目茶碗がまさかの日用品になっているとは、お天道様でもわかるまい。
「そう、そうだったのね……グッジョブサイハテ」
「おう、それでな。せっかく買ったんだから茶でも点てようかと思ったんだが……君達もどうだ?」
正座するサイハテの横に置かれている、曜変天目茶碗は国宝と知ると、物凄い輝きを放っているように思える。
一見すると、みすぼらしい黒茶碗だが、上から覗きこめば輝く星空が見える逸品中の逸品。国宝になるのも頷ける美しさだが、畏れ多いのか、陽子は少したじろいでいた。
「のむー」
しかし、レアはこれ幸いとサイハテの傍に座ってしまう。
子供に、国宝うんたらの恐れはない。ただ、綺麗な茶碗でサイハテの点てた茶を飲めると言う事は、何事にも優先される事柄だったようだ。
レアが飲むなら、と、陽子も彼女の隣に腰掛けて、頷いてみる。
「そうかそうか。それじゃ、今から茶を点てよう」
今日の彼は、どこか浮かれているようにも見える。もしやとは思うが、一応尋ねてみる事にした。
「ねぇ、サイハテ。あんたもしかして、お茶が趣味なの?」
風炉に火を入れていたサイハテが、ぴしりと固まる。
どうやら正解だったようで、彼は佇まいを取り繕うと咳払いし、返事をした。
「実はそうなんだ。抹茶より煎茶が好きなんだが、やはり、この茶碗には抹茶だと思ってな」
煎茶と言う言葉と同時に指された先には、これまた見事な湯呑がある。
「樺細工ねぇ……」
「詳しいな」
「だって、これ夫婦湯呑じゃないの」
「うむ、片方だけ売っていたからな。三十円とお手頃な値段だったのもあり、俺がお救いした」
数寄者が高い茶器などを買う時、これは浪費じゃないから、買い物じゃないから、救済だから、と、言い訳する為にお救いした。と言い張る。
つまり、サイハテなりにこれは浪費であると思っているらしい。
「お茶が趣味ねぇ……私、サイハテってもっとアクティブな趣味を持ってると思ってた」
「あくてぃぶ?」
茶を点てている変態の傍に座った、二人の少女は彼の趣味に関して好き勝手な事を話し合っている。
「うん、こうスキーとか、サーフィンとか」
「おー、にあう」
「でしょ? でも大人しい趣味だったわけねぇ」
陽子とレアの答えは決まっている。西条疾風には似合わない趣味であるから、仕方のない事なのだが、言われていい気分はしない。
いい気分はしないが、サイハテは叱る事も臍を曲げる事もない。何しろ、似合わない事は自分が一番よく知っているのだから、事実を告げられた程度で、怒っているようでは数寄者失格だった。
「ほら、出来たぞ。作法とかは気にせず、好きに飲んでくれ」
二人の前に置かれた国宝には、新緑の抹茶が入っている。
逸っていた気持ちが、まるで母の腕に抱かれるように落ち着ける香りが、二人の鼻腔を擽り、少女達はそうとういい茶葉を使われた事を知った。
茶道で素人に作法を求めるのは、ご法度である。茶道とは、相手を歓待する作法であり、最近の茶道家はお高く留まりすぎている。
「じゃあ、私から……」
女子中学生で、茶の作法を知っているのは良い所のお嬢様だけであり、一般家庭出身の陽子は、特殊な例からは漏れていた。
茶碗を手に取り、それを口に含むと柔らかい苦みと茶葉の甘味が口の中へと広がった。飲みやすい温度と濃さで淹れられたそれは、今まで飲んだお茶の中で、最も美味しいと、彼女は感じる。
「……成程、サイハテが嵌るのも分かる気がするわ」
普段から口にしているペットボトルのお茶とは格段に違う。
煎茶に比べると苦いのは確かだが、それを上回る旨味があった。
茶碗を彼に返すと、いつもより穏やかな様子で口を開く。
「でも、口の中が苦いだろう? 今、お茶請けを出すからな」
「え、うん、まぁ……でもこういう物なんでしょ?」
「違う違う。茶だけ旨くても茶道はいけない。と俺は思う」
そう言って、桐のタンスからタケノコを取り出すサイハテ。
茶請けと聞いて、お菓子が出てくると思っていた陽子は、首を傾げた。
「タケノコのお刺身?」
茶請けを出したら、彼はさっさとレアの分を点てる作業に戻っている。
意味深に笑うだけで、返事はない。
陽子も、出された物に文句を言うのはいけない事と知っているので、それ以降は口を閉ざして、檜の爪楊枝でタケノコを口に運んだ。
「わっ、甘い」
咀嚼して、驚いた。
タケノコの刺身はいくつか食べた事があるが、ここで食べたのは隔絶に甘く、美味だった。タケノコの素材がいいのだろうか。
そう思っていたら、茶を点ててレアに渡したサイハテが笑っていた。
「それ、昨日近所の山で掘った安物だぞ。今年の出来が良かった訳でもない」
「じゃあなんで?」
「お茶の味で口の中が苦いからな。余計に甘く感じるだけだ、もう一口食べたら気付けるぞ。さして美味いタケノコではないとな」
ただそれだけ。
ただそれだけなのに、十分に楽しめた。詫び寂びではなく、おもてなし。それが茶道の本質であり、二人が体感した物だ。
レアも陽子と同じ衝撃を味わって、二人して関心していると、違う茶碗でお代わりを点てたサイハテが、ゆっくりと口を開いた。
「楽しめたようで何よりだ。でも、まだ飲めるだろう? ほら、もう一杯くらい飲んでいけ。今度は外郎を出そう」
誤魔化しで申し訳ないが、とりあえず更新させていただいた。
ストーリーに縛られない幕間は、書きやすいのです。
朝帰ってきて、これ書いて、また出勤(血涙)




