二十八話:彼の事情
バレンタインデーの続きは、ホワイトデーに。
「保田港町は、横浜から鹿島に行く交易船が、停泊する中継街です。空堀と防壁に守られた、強固な街だったんですが……」
語り始めは、町の事からだった。
死んだ仲間を想っているのか、少しだけ俯いて、暗い表情を見せながらも、潤と名乗った少年は涙を見せる事はない。
「あそこに、飲める水源はないんです。だから、海に浄水器を差して、水を組み上げているのですが……最近、どうにも水の出が悪いって、町長が」
水は、人間が生きる為に不可欠な物である。
海から組み上げた水をろ過して、飲み水にしているらしい保田で、水の出が悪いとは致命的な問題だろうと、サイハテは思った。
特に、町一つ分の水を賄っているのなら、出が悪くなっただけでも死者が出る可能性がある。
「大人が検査したらしいんですけど、どうにも水をろ過するフィルターが、詰まっているそうで、そのフィルターは、今の時代じゃ作れない程の逸品だって言ってました」
逸品。
潤は工業製品たる浄水フィルター、恐らく逆浸透膜だろう。を、逸品と工芸品のように呼んだ。多分、工場で造られた大量生産品と言う事を知らないのだろう。
何せこの世界は、あった物を修理して使い回すか、職人が手作業で産み出した物以外無いのだから、そう言った印象を抱くのも仕方ない。
「町には、それなりのスカベンジャーチームがありました。僕らのチームもその一つだったんですけど、他のチームが一斉にフィルターを探しに行っちゃったんで、町で物が不足するようになって……」
「ああ、待て待て。少し質問いいか?」
「え? はい、なんでしょう。なんでも聞いてください」
胡坐を掻きながら、小首を傾げている少年は、本当に女の子のように見える。
黙って話を聞いている陽子とは対照的に、サイハテは自分が知りたい事をガンガン質問するつもりだ。
「スカベンジャーチームと言っていたが、君等には何か実績があるのか?」
「ええ、まぁ……とは言っても、僕らは鉄材とか、電子部品とかを見つけてきて、それを売ってただけですけど。木更津の方まで歩けば、大きな住宅街が残っているし、バケモノは少ないから狙い目だったんです」
「狙い目だったか。話を遮って悪かった、続けてくれ」
敵も少ないが、旨味も少ない廃墟で生計を立てていた事はよくわかった。彼が話を続けるように促すと、潤は大きく頷いて言葉を続けた。
「不足していた物資は、その、薬なんです。運の悪い事にペストが流行り始めて、大量の薬が必要になってしまいまして、町に残っていたスカベンジャーチームの僕らに白羽の矢が立ったんです」
水不足でスカベンジャーチームが出払った所に、ペストの流行。随分と作為的な連鎖だと、サイハテは考えて、陽子に目配せする。
彼女は視線を受け取ると、その意味が解らなかったようで、にっこりと笑い返してきた。
「それで、僕らはここにある病院に薬を探しに来たんですが……」
「あの殺人メイドに見つかったって訳か」
「……はい、凄まじかったですよ。空から急に現れたと思ったら、一瞬で三人が……」
ハルカ型と戦った時を思い出しているのか、潤は体を震わせている。
その様子から、反撃すらできなかったのだろうと、彼は予想した。上空から唐突に現れて奇襲され、一瞬のうちに三人の戦力を喪失した部隊は、混乱に陥るのだ。
鍛え上げられた軍人ですらそうなのだから、子供だけで構成されていた少年のチームは、その一撃で瓦解したのだろう。
「潤、とか言ったか?」
「え? はい」
未だに恐怖から抜け出せない彼に、サイハテはいつもの調子で声をかけ、ある提案をする。
「お前には二つの選択肢がある」
「二つの選択肢……ですか?」
潤は首を傾げ、二つの選択肢を突き付けた男を見つめ、次の言葉を待っていた。
「ああ、まず一つ目。ここで大人しく帰る事」
人差し指を立て、その選択を突き付けると、彼は明らかに狼狽し始める。
「そ、そんな事出来ませんよ! 薬を持って帰らないと、姉さんが……!」
「薬なら医者もセットで俺が手配してやる。最後まで黙って聞け」
「うぇ? あ、はい」
サイハテにしては、随分と温い差配だが、隣で言葉を聞いている少女は、嬉しくてたまらなかった。
まるで自分の事のように、喜んでいる陽子を横目で見た変態は、忌々しそうに舌打ちすると、二つ目の選択肢を口にする。
「二つ目。俺達と一緒に発電所まで来ること」
多くを語らなくても、潤は選択肢の意味を理解しているようだった。
少年は胸の前で手を組むと、その選択肢を考え始めた。陽子には伝わっていないようだが、二つの選択はある意味を含んでいる。
まず一つ目は、大多数の人間の生死を、西条疾風一人にゆだねる事であって、彼の機嫌一つで大量の死人が出る事を示している。それに、この選択肢は誰かの恩情に縋ると言う、情けのない選択だ。
二つ目は、仕事の手伝いと言う名目で、彼等から治療を受ける事が出来る。潤の人を見る目は乏しい物だが、彼が嘘を吐くようには見えなかった。だが、死ぬ確率の方が高いだろう。
恩情か、それとも死か。
自分か、大切な誰かか、サイハテが突き付けたのはそんな二択である。
随分意地の悪い質問だが、これは少年の持つ、プライドの問題だった。初めから腹は決まっている、潤は組んでいた手を解すと、目を見開いて、彼を見た。
「貴方達と一緒に行きます、行かせてください」
女のような見た目をしているオスガキが、一瞬にして男になった。それを見たサイハテは、唇を吊り上げて笑う。
凶悪な笑みだが、どこか悲しそうな雰囲気をしていると潤は感じた。
「いい度胸だ、クソガキ。俺は西条疾風、こっちの女は南雲陽子」
男は自分と、少女の方を交互に指して、そう名乗る。
「それじゃあ、行こうか。死ぬかも知れないが、どうせ落としていた命だ。惜しくはないだろう? 精々、根性を見せてくれよ」
「どうしてあんたはそんな口汚いのよ……」
陽子、と紹介された彼女は苦言を口にするが、潤にはわかっていた。
この憎まれ口みたいな物言いは、激励の言葉だったからだ。