二十二話:深刻な電力不足2
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研究区画では、研究主任のレアが唸っていた。
「うーーーーーーーーん……?」
復旧した電力によって、巨大な培養プラントの中では、再び微細機械群が活性化している。
だが、どうしても電力不足なので、微細機械群の増殖は抑えられており、彼女の研究は思ったように進んでいない。
故に、幼い顔に、できるだけ深い皺を刻んでいると言う訳だ。
「レア、そろそろ休憩したら?」
声をかけてくるのは、外科医にして、バイオウェア技術者の奈央。彼女の仕事は、培養液の中に居る物が作られないと行えない物なので、何杯目か分からないコーヒーを啜っている。
「そーはいっても、あまりじかんがない」
彼女の提案に、少女は眉尻を下げて答えた。
眠そうな目が、斜めになっている。
「このぷろじぇくとには、さいじょーのめーうんがかかってる。むせきにんに、かれをおこしたぼくには、かれをこーふくにする。ぎむがある」
結晶化した遺体から、脳ニューロを取り出し復旧させ、新たな肉体を用意したのは、彼女だった。
記録の中にいるジークは、レアが胸を躍らせ、尊敬し、愛した男だったが、実際に会ってみたらとんでもない人間だった。パンツは食べるし、風呂は覗くし、革靴で蒸れた足を舐められたことだってある。
物語と全然違う、と、彼女は強いショックを受け、どうやってコントロールしようと唸っていた夜もあり、正直、第一印象は最悪だったと言えるだろう。
「こればかりは、時間が経たないとどうしようもないから、少しは休みなさい。もう、二日もお風呂入っていないじゃないの」
奈央に叱られ、更に目尻が下を向くレア。
叱られても、こればかりは感情の問題だからどうしようもない。そう思う部分も、彼女の中にはあった。
第一印象では、スケベで、どこか抜けていて、ただひたすら強い上にいつの間にか背後に立っているサイハテの事が怖くて仕方なかった。だが、長く暮らしていく内に、彼の瞳の奥にある感情を、そことなく感じ取ってしまったのが、運の尽きだ。
「でも、さいじょーが……」
「西条西条西条。あなたが彼の事を好きなのはわかっているけど、それなら尚更休まなくてはならないじゃない」
好き。
そう言われて、少女はふと考えてしまう。
自分は、彼のどこに惹かれたのだろうかと、子供らしかぬ思考をして、原因を分析しようとしている頭に、レアは呆れてしまった。
先程、感情の問題と考えた癖に、すぐこれだ。
「むー」
熱くなる頬を抑えて、彼女は唸る。
「あなたが倒れたら、西条君は凄く悲しむと思うわ。それに、自分を責める」
奈央の言葉に、レアは顔を上げた。
どうして彼女は、そんなにも彼の事を理解できているのか、さっぱりわからなかったからだ。
「……どーして?」
「あら、西条君の事、理解できているか。聞きたいのね?」
随分と察しのいい言葉に、少女は言葉を詰まらせた。
そんなレアを見て、彼女は椅子に座ると、手で対面のオフィスチェアに、座るよう促した。ここで、逆らっても何の意味もない訳で、合理的思考を好む少女は、大人しく腰掛ける事にしたようだ。
「それで、どーして?」
「あら、結論を急ぐ癖は相変わらずね。私は直すように伝えたつもりなのだけれど……ま、今回はいいわ」
コーヒーを啜る奈央は、相変わらず小言の多い女性だった。
「決まっているじゃない。私が経験豊富な女で、彼は未熟な男だからよ」
「みじゅく?」
思わず、オウム返ししてしまう。
「ええ、未熟。彼は感情を隠しているつもりで、表面的にしか隠せていないの。表情、心拍数、呼吸、脳波。どれをとっても、乱れがないのは奇妙だけれど……それでも、彼は自身の願いを全身から語っている」
そこまで隠せているのなら、十分なのではないだろうか。
レアはそう考える。
「けどね、彼の目を見た事ある? 死んだ魚みたいな目を装っているけど、あれ、どっちかと言うと捨てられた事に気づいた子犬みたいよね。どこに行ってもびくびくおどおど、表面上は堂々としているけど、常に怖がっているの。あなたは気付いた?」
俺は臆病な人間だ。
少し前に彼の放った言葉が、やまびこの様に脳内で流れ、苦痛のような表情と共に絞り出された言葉は、どこまでも苦しそうだった。
「彼の過去に、何があったのかしらね? 自分を欺きながらも、自分に向き合う。敵に怯えながらも、立ち向かう。彼の行動は矛盾に溢れすぎている……そう、まるで、何かから逃げるように、彼は動く。得る事に怯え、失う事を恐れる。とんでもないドマゾね、考えただけでも、吐き気がしちゃう」
恐怖に囚われて、刎頚の友を、何よりも大事な妻を手にかけた。
いつぞや、彼が言っていた言葉だ。
「……けつろんは? なおは、さいじょーを、どーいうにんげんだと、かてーする?」
これ以上は聞きたくない。
何しろ、レアはサイハテの矛盾に気が付いていた癖に、気づいていないふりをしていたからだ。その事に、自分で気が付いてしまった。
「奪われ続けた、ブリキの兵隊」
ネジを誰かが巻けば、彼は動くだろう。
それはもう、教えられた通りに仕事をこなしてみせるだろう。
だけど、ブリキの兵隊に報酬はいらない、彼に財産は必要ない。
玩具の兵隊に、幸福は必要ない。幸福であっていい訳がない。幸福と言う物は、人間と言う高尚で無二の神にも等しい生物が享受するものだから。
彼に家族は必要ない。
ブリキの兵隊如きに、そんな立派な勲章はお荷物だ。
名誉も必要ない、彼が知られる必要はない。気に食わない玩具は、捨ててしまえばいい。
そうしていいに決まっている、だってあいつは、心のないブリキの兵隊なんだから。
「言うてくれるのう」
彼を作り上げた人間の論理が理解出来てしまったレアの背後より、声をかける人間が存在した。
感情のない瞳で振り向くレアが捕らえたのは、いつも通りのグレイスだ。威風堂々と歩み寄り、優しくレアの頭をなでる。
「なぁ、女医よ。そうであったのならば、どれだけあやつは、気が楽であっただろうか」
「そうねぇ、空っぽだったのなら、あんな人間になる事もなかったでしょうね」
彼女の問いに、女医はしれっと答えて見せた。
「言霊で童を揶揄うのは、程々にしておけ、性悪め」
罵るような言葉だが、声色に侮蔑の色は見られない。
どちらかと言うと、軽口を叩くような言葉だった。
「そうねぇ。だって彼は正真正銘、人間だものねぇ」
そう言って、奈央はケラケラと笑う。
「空っぽなら、詰めてあげればいいんじゃない? 男を自分好みに染め上げるのも、いい女の仕事なのよ」
そう言って、彼女は部屋を出ていく。
罵倒されていたとか、揶揄われていた、と言うより、奈央なりのアドバイスだったことに気が付いて、レアは少しばかり目を涙ぐませるのだった。
助言を、どう使うかは、その人次第である。
訳がわからないだって?
安心してくれ、空っぽのブリキ製変態だと言う事が解ってくれれば十分だ!