幕間:貴方の笑顔が見たいの
飯を食っている最中の話だ。
静かに昼食をとっているサイハテの対面には、ようやく食堂の混雑から抜け出した陽子が、自分の定食を持って、座りに来た。
最近は彼の対面が指定席になっている彼女だが、今日は何を思ったか、ご飯を食べながらサイハテの顔を見つめている。
食べている姿を見られ続けるのは、流石に居心地が悪いのだろう。
彼は眉間に皺を寄せると口の中の食べ物を飲み込んで、口を開いた。
「……なんだ?」
乾燥芋粉をコロッケに仕立て上げた定食を食べていた陽子は、迷惑そうな表情のサイハテを見て、珍しい物が見れたと思いながらも、彼に返答する。
「あんたのさぁ」
「俺の?」
「笑顔ってマジマジと見た事ないのよね。笑って」
迷惑そうな表情が、不快そうな表情に変わったと、彼女は直感する。相変わらず、眉間に皺を寄せているだけの、不機嫌そうな表情なので、誰が見ても少女が威圧されているようにしか見えないのだが、陽子には解るらしい。
「……断る」
サイハテはきっぱりと拒否の意を示し、なめこ汁を啜る作業へと戻ってしまう。
不愉快そうな表情は変わらないが、少女はどうしても彼の笑顔を見て見たかった。
「笑ったら絶対かわいいわよ?」
と言うのは彼女の談。
「かわいさなんていらない」
それに対する彼の返答は少し冷たい。
しかし、最近、益々遠慮が無くなってきた陽子はそれ位でへこたれる程、甘い精神をしていない、見たいったら見たいのだ。
「じゃあ、見せてくれたらキスしてあげる!」
中学生の最大譲歩であり、特殊な趣向のお兄さんだったら、泣いて喜びそうな提案だが、不機嫌なサイハテはセメント対応である。
「いらない」
なめこ汁を置いて、彼はコロッケと格闘し始める。揚げたてさっくりコロッケだ。
はふはふしながら食べるのが、最も美味しい食べ方だと彼女は思っている。
だが、今はそんな事どうでもいい、乙女のキスをいらないと、目の前の変態は宣ったのだ。そんな事を言われてしまえば、少女のプライドは燃え上がるばかりだと言うのを、サイハテは今気が付いた。
「私のチュー、そんなに価値がないのかしら?」
しまったと思った時には後の祭りで、目の前には凄いスピードで食事を平らげる彼女が居る。
「……よく噛んで、ゆっくり食べないと消化に悪いぞ」
誤魔化す為に、常識的な事を言ってみるが、どうせ響かないだろう。
少しばかり頭に血が上った陽子は、普段の大らかさと優しさをどこかに忘れてしまう、サイハテと一緒で、妥協しなくなるのだ。
どこでそんな鋼のメンタルを得たのか知らないが、とにかく、怒りを鎮めなくてはならない。
陽子は、この拠点で最も美味い飯を提供してくれる料理長であり、そんな彼女を怒らせてしまうと、サイハテの素敵な食生活が砕け散ってしまう。
「そんな事、どうでもいいわ。私のキスは、どうでもいいのかしら?」
「待て、そうは言ってない。キスを対価に、俺の笑顔を見たいなんて条件がおかしいんだ」
「どうでもいいって言っているようなものじゃないの」
あかん!!
関西人でもないのに、そう叫びたくなるが、素敵な食生活の為だ。堪えよう。
「待て待て、違う。逆だ、俺の笑顔なんぞに君のキスをだな……」
「ファーストキスよ、乙女の初めてよ?」
「成程、殊更、俺が奪う訳にはいかないだろう。そう言った大事な物は、将来の旦那にでもささげるといい」
「だから、それ、あんたじゃないの」
「俺はこれ以上子供を増やすつもりはない。他の人間と結婚する気もない、元々消去法だろうが」
「だったら素敵な男性を連れて来てよ」
最早水掛け論にまで達しているような気がする。
「無理だ、俺の知り合いは大抵死んでいるか、ろくでなししか生きていない。そもそも成人男性未満は、知り合いに居ない。少女と結婚したがる男は屑だ、紹介できん」
「……あんた、嫁さんといくつで結婚したの?」
「…………………………十六」
「アウトじゃないの」
ぐうの音も出ない上に、また話が逸れ始めていた。
元々は笑顔を見せる、見せないの話からだ、そこまで戻そうとサイハテは試みる。
「俺は思うがままに表情を作り出せる。作り出せるが、所詮それは偽物だ。心から笑った事なんて数える程しかないし、どう笑っていたかも覚えてない。偽物でいいなら、今すぐ見せてやってもいいが?」
とにかく、理詰めで納得させるしかない。
普段ならこれで納得してくれるのだろうが、今日の陽子は一筋縄ではいかぬ様相だ。
「偽物は嫌よ。ちゃんと笑って頂戴、私に向かって、ニッコリとね」
だから出来ねぇっつってんだろと怒鳴りそうになったが、それをやったら食生活が悲惨な事になるだろう。
三食卵もどきかけご飯は、流石のサイハテもご免こうむりたかった。
「……できない物は出来ない」
「むー……じゃあ、私の事、少し位女として見てよ」
ダメだった。結局そこの論点に戻ってしまうのかと、頭痛を覚えるサイハテ。
「それはもっとダメだ。超えてはいけないラインと言う物が、俺達にも存在している」
本物の変態は、紳士協定と言う国際条約に署名している。
その協定文にも、少年少女の事が書かれており、彼女らを交配可能な異性として見るのはご法度であった。破れば、罪狩り変態と呼ばれる処刑人が放たれるだろう。
世界に十三人しかいない、極み級の変態であるサイハテでも、死は逃れられないかも知れない。
「……」
言い負かされた陽子はブスッとしている。
「……すまないな。俺はまだ妻を愛している、その状態で、他の女性は愛せない」
そう言って、サイハテは食器を持ち上げて、返却棚へと持っていく。
彼女がどう動くかなんて、予想もつかないが、これで諦めてくれるといいなんて、少し甘い考えのサイハテであった。
サイハテの異名はカオスディメンション。