終話
ともかく急がなくてはならないとサイハテは再びジープのアクセルを深く踏み込む、背後には顔の甲殻に皹が入ったキロピードが追いかけてきている。
「逃がしちゃくれねぇようだな、この野郎」
背後のキロピードは怒り心頭なのかなんなのか、地下構内よりもずっと素早いスピードで前進してくる。放置車両など当たっただけで空の彼方へとぶっ飛ばされる速度と質量だ。つまり、追いつかれたらこのジープもああなるのだ。
時速230キロ、それ以上のスピードは出そうにない。ジープの車体は装甲で覆われているだけあって、それなり以上に重い、車体だけで12トンは有りそうな車だ。それでも古い新幹線より速いのだから大したものだと褒めてやりたいくらいだ。この状況でなければ。
――――――FOOOOOOOOOOOOOOOWWWWWWWWWWWW!!
背後では、相変わらずキロピードが吠えている。高架道路が叫び声で揺れる位の大咆哮だ、ムカデの癖にどこにそんな声帯を積んでいるか、ご教授願いたいものだとサイハテは脳内で皮肉る。
陽子が座る銃座からは機銃の三点バースト射撃音が響いてきている、後ろを向くと傷口に当てれば怯ませる位の効力は発揮しているが、どう考えても、キロピードが諦める前に機銃の弾が尽きてしまうだろう。それを考慮して発射している陽子は流石と言った所だが……如何せん、じり貧の状況へと追い込まれている。
「さいじょー」
どうしたものかといくつもの対策を考えては、脳内でポシャっているサイハテの袖を、レアが引く。正直、視線をやるのももどかしい位なので、口を開くと。
「なんだ?」
とだけ尋ねた。
「かにー」
答えは意味不明であった、蟹と言いたいのだけは理解したが、それが何を意味しているのか、サイハテにはさっぱりだ。死ぬ前に蟹が食べたいのか、それとも、ただ気がふれてしまったのか、もしくは、ただ言ってみたかっただけと言うのが瞬時に脳内に浮かび、今まで考えていた巨大ムカデへの戦略が消え失せてしまう。
「蟹がどうした?」
まぁ、どうせ途中でポシャってしまう計画ばかりだったので、目くじら立てるほどでもないと判断し、サイハテは優しく尋ねる。
機銃座では必死に三点射を繰り返している陽子が、車内から聞こえてくる妙にほのぼのした会話に、微妙な表情を浮かべていた。
「こーぎょーちたい、かにー」
レアがサイハテに何かを伝えたいと言うのはよく伝わった。
工業地帯と蟹、これから導き出される答えはなんであろうか?
そう、それは二つの関連性を当て嵌めていけば、自ずと答えが出る物である。そう、二つの接点……それは……。
「ああ、リュックの中にあるカニ缶の事か。食っていいぞ」
「ちがーーーう!!」
レアが初めて声を荒げた。
どうやら外れだったようで、サイハテは首を傾げてしまう。
(工業地帯と蟹って言ったらそれくらいしか接点ないじゃん……はっ!!)
いや、もう一つ接点があった事を、サイハテは忘れていた。そう、工業地帯と蟹、これはあるものを連想させるだけの言葉だったのだ。
「そうか、蟹工船か!! ……俺に出稼ぎでもいけと?」
「ちーーーーーがーーーーーうーーーーーーーー!!」
(だったらなんなんだよ……)
両腕を振り回し、全身で蟹工船が違う事をアピールしているレアに視線をやりつつ、サイハテは眉尻を下げるのだ。
「Ich würde gern sagen, daß die große Krabbe vom Westen kommt!!」
「は? でかい蟹だぁ?」
レアの言うとおりに、サイハテは西の方に視線をやってみる。
「ああ、でかい蟹だぁ……」
工業地帯の石油コンビナートを踏みつぶしながら、巨大な毛蟹がこちらに向かって爆走中であった。蟹の姿を見て、サイハテは思い切り歯軋りをする。
「見ろよ、あの甲殻。真っ赤だぜ……まさか調理済みだとはっ!」
サイハテの発言に、レアと陽子が椅子からずり落ちる。陽子は銃座から滑り落ちて、車内へと戻ってきてしまった。
「あ、あんた……この状況でとんでもないボケかましてるんじゃないわよ!」
ぶつけた額を摩りながら、陽子がそう叱る。
「いや、だってなぁ……あんなデカイ蟹、どうやって茹でたのか気にならないか? 毛蟹って火を通さないと赤くならないし」
至極真面目な表情でそんな事を口にするサイハテ。
「dieses -- ist nicht dumm」
レアに至ってはとんでもなさすぎて母国語が出てしまっている。アメリカ育ちって言ってなかったか?とサイハテは疑問に思ってしまう。
「……ま、俺達はもう大丈夫そうだぜ」
「どこがよ、後ろの怪獣、横の怪獣で逃げ場無しじゃないの」
「怪獣同士は喧嘩するんだ。ほれ、見てみろ」
サイハテの言葉に従って、後ろのモニターを見てみると、東映も真っ青な怪獣決戦が繰り広げられていた。キロピードは背中からミサイルを発射して、巨大蟹はそのミサイルを目から出したレーザーで迎撃している。
傷を負っているキロピードの方が不利な状況に陥っているようだった。
「今の内にすたこらさっさだぜぃ」
気が抜けたのか、疲れ切った表情で呟いたサイハテは目的地も分からぬままに車を走らせるのであった。何はともあれ、危機は脱した。これから先の事はまだ考えてないが、こんなピンチはそうそうないだろうとフラグを立てつつも、傾いた市街から脱出するのだった。
やっとプロローグオワタ。
次章からやっと終末世界らしくなります。