終話:短い旅路の果てに
千葉の街を抜けて、線路沿いに歩いていた。
いい加減疲労も溜まっているが、もう少し進めばいくらでも休めるのだからと、旅路を急ぐことにしたサイハテ一行。
最早、目的の場所まで後数キロと言った距離に差し掛かっていた。
「……」
サイハテは、風音と出会ってから小刀ばかり見つめている。
今も下を向いて、先行する陽子とレアの後ろで、小刀を見つめていた。
「サイハテ、転ぶわよ」
「ん? ……あー、そうだな」
話しかけても上の空である事が多く、陽子のため息は増えるばかりである。
「さいじょー、かみのけ、にゅーしゅできたんだから、しんぱい、いらない、よ?」
「え? ……あー、わかってるよ」
ダメそうだ。
聞いているのか、聞いていないのか分からないような返事しかなく、先程から同じような行動ばかりしている。
何かに執着する事がないサイハテが、珍しく執着しているから放っておいたが、そろそろいい加減にしてほしいとも思い始めていた。
「……サイハテ!」
「敵はいないから、大丈夫だ」
それでも、警戒はしているらしく、声を荒げて見せても無駄だった。朱色の木材で仕上げられた見事な小刀から目を離す事はない。
刀を見つめて、一体何を考えているのか、時折空を仰ぐ仕草はするが、しばらくすると小刀観察へと戻ってしまう。彼女との会合を終えてから、この三日間、サイハテはずっと同じことを繰り返していた。
「さいじょー、かんがえごと?」
何度目になる質問だろうか、つい三十分前もしたような質問を、レアはする。
「ぬ? ……ああ、考え事だ」
そして、彼も返したような答えを返すのだ。
そろそろいい加減にして欲しいので、もうちょっと踏み込んでみる事にする陽子は、足を止めると半眼でサイハテを見つめ、口を開いた。
「そろそろ、悩んでいる事とか、話してくれてもいいんじゃない?」
腰に両手を当てる、いつものポーズで尋ねると、彼は陽子をじっと見つめると仕方がないと言った様子で、考えている事を口にする。
「……俺は、風音の父親面していいのだろうか」
ぽつりと、消えてしまいそうな程、か細い声で、彼は言った。
「父親かどうかはまだ分からないけど、どうしてそんな考えになったか、教えて貰えるかしら?」
「……ああ」
少し間があったが、悩みといった様子ではなく、覚悟を決めるのに、少し時間を要した感じだ。
「俺は、臆病な人間だ」
そう言った彼は暗い表情だった。
小刀を見つめながら、今にも消えてしまいそうな程、辛そうな表情を見せている。
「恐怖に囚われて、刎頚の友を、何よりも大事な妻を手にかけた」
最初は死ぬのが怖くて、彼は友を殺した。
飢餓の恐怖に負けて、共に首を刎ねられても惜しくはないと思っていた親友を、思ったより簡単に殺してしまった。
「そうね、それは変えられない事実よ」
こう言った時、陽子に容赦はない。
事実は事実で誤魔化す事は許されないからだ。
「でも、それは父親になるのと、なんの関係もないでしょ」
そして、自分が信じている善性から、決断を下す。
大切な者を殺した人間が、大切な人間を作るのは、悪い事ではない。
「……怖いんだ」
「何が怖いのよ」
父親になる重責だろうか、それとも、これより降りかかってくる困難に対してだろうか。
陽子の予想はどちらも外れていた。
「風音を含めた君達と、自分の命を天秤にかけられたら、俺は自分を選んでしまう」
サイハテは強い。
一人だけなら、この世に存在する何者にも負けないから、サイハテは強い。
例え、世界で最も優秀な軍師が彼を罠に嵌めても、サイハテはそこから逃げ出して、力を蓄えて軍師を討てる。
億の軍隊に追いかけられても、逃げ遂せる事が出来るだろう。
だが、その素晴らしい能力は、誰かを守る事にはとっても不向きだった。
陽子やレアだけが足枷な訳ではなく、誰かと共にあると言う事が、彼にとっての足枷になってしまうのだ。
「何言ってんのよ。そこは自分を選びなさいよ」
呆れたような口調でそう言われて、サイハテは顔を上げてしまう。
彼の視界に、呆れた表情の少女が映る。
「自分の命を大事にする事は、何一つ間違いなんかじゃないでしょうに。あんた、まずそこがおかしいわ」
「……だが、俺が逃げたら」
「あー、はいはい。戦闘中にあんたが逃げたら、私達は死ぬわねー。で、それがどうしたの? あんたを殺せるような相手だったら、結局、私達は殺されるわ。そこであんたが死んでも、意味ないじゃない」
「………………」
ぐうの音も出ないとは、この事だろうか。
「あのね、サイハテ」
「……ああ」
そろそろ、いい加減にしてほしい気持ちもあったので、陽子は畳みかける事にする。
「一人を犠牲にして百人を救うとか、なんの意味もないから」
「……なら、君は一人を生かして百人を殺せと言うのか?」
「命の価値は、数じゃないわよ。どれもこれも尊いの、犠牲の上に成り立つ営みとか、糞喰らえ。よ」
苛烈にして、正道。
サイハテは、鳩が豆鉄砲を食ったような表情になっていた。
「どっちかが死ななくちゃどっちかが救われない、なんて状況になってたら放って置きなさい。命は尊い物だけど、生きているだけでそれなりに責任が降りかかるの。自分は自分で救わなくちゃいけないの、私達が出来るのは、誰かが生きる事を手助けするだけよ。俺が救ってやるー、なんて、いつからそんなに高慢になったのかしら?」
初めて出会った時、彼女に教えた事が今芽吹く。
答えは得たが、まだ聞きたい事がある。サイハテは頬を吊り上げると、陽子に向かって一つだけ質問をした。
「……それが、君の正義か?」
その問いに、少女は鼻を鳴らして答える。
「そうよ、これが私の正義よ」
なるほどと、彼は大きく頷いた。
「そうか。いい正義だ」
サイハテはそう言って笑うと、小刀を鞘から五寸だけ抜いてみる。
磨き上げられた刀身は鏡のようで、そこには自分の顔が映っていた。
まだエピローグがあるんじゃ。