二十五話:陽子とグラジオラス
千葉マリンフィールド。
かつては鍛え上げられた野球選手達が、しのぎを削っていた戦場にて、陽子とグラジオラスは観客席に座り込んでいた。
彼女はお土産と称したレアを膝の上に乗せて、頬ずりしているが、陽子から警戒を外す事はない。
「……えっとぉ」
とにかく、会話しなくてはならない。グラジオラスと名乗った美女と、自分達に何の関係があるかをはっきりさせなくてはならないと、陽子は決意を固めた。
「何?」
切れ長の綺麗な瞳が、少女に向けられる。
どこか感情の読めない、自分を殺し尽した目だった。
「……っ私達をどうして攫ったんですか?」
出会った頃のサイハテみたいなグラジオラスに、少したじろいだが、ここで退いては女が廃ると言わんばかりに、尋ねてみる。
彼女は一度だけ目を閉じると、ゆっくり見開いてこう答えた。
「君にそれを知る権利はない。あるのはわたしに着いて来る事」
つまりは答えないと言う事だ。
こうにべもなく断られると、話が詰まってしまう。
だが、質問はまだあるのだ。
「……じゃあ、なんでここで待機なんですか? 誰を待っているんです?」
攫ったのならば、サイハテの手が届かない場所へと逃げてしまえばいいのに、グラジオラスは彼にメッセージを残してまで、ここで彼を迎え撃とうとしていた。
「そんなの、決まった事」
「うにぃーーーー……」
レアのほっぺを引っ張りながら、彼女は答える。
「ジークを殺す為、それだけ」
伸びに伸びた頬は、手を離されると波打ちながら元の形へと戻る、随分と柔らかそうなほっぺだ。
「……殺すって、サイハテ。ジークが貴女に何を?」
グラジオラスの目的は穏やかじゃなかった。
故に、その理由を問い質さねば陽子は納得できるはずもなく、踏み込んではいけないと分かっていても聞かなくてはならない。
それは、少しだけ昔、ここの廃墟で一番最初に彼から学んだ、大切な事がまだ胸の奥で輝いているからだ。
「………………」
彼女は、少女の問いかけを聞いて、少しだけ迷いを見せた。
でも、それも僅かな間だけで何を考えているか分からない無機質な瞳で、こう答える。
「あいつがわたしの仇だから」
答えを聞いても、余り驚かなかった。
彼と共に歩んでいけば、いつかそんな人間に出会う予感がしていたからだ。だから、その時の為に用意しておいた言葉を、彼女に言わなくてはならない。
陽子は戦う力のない少女である。
相手が激高して、腰の獲物で襲い掛かって来れば、九分九厘殺される自身があるが、それでも言わなくてはならなかった。
「復讐なんて、むなしいだけだと思います」
それは正論。
一から十まで正しいだけの言葉に、グラジオラスは口角を吊り上げる。
「そうだね。虚しいだけだ」
「……だったら!」
「それでも、わたしはあいつを殺さなくちゃ、前に進めないんだ」
肯定し、反論しようとした陽子を、持論で押し潰した。
「わたしの人生は憎悪から始まった」
グラジオラスはそう言って、膝に抱えていたレアを手放し、陽子に押し付ける。
「母を殺したアイツが憎くて、恨んで恨んで、全部が空っぽになっても、憎悪は消えなくて……」
陽子は、彼女と語り合っている最中、しぐさや言葉尻から既視感を感じていた。
「だから、この燻りを消すために、ジークを殺したい。ただただ、次の一歩を踏み出す為に、殺したい」
似ているのだ、その憎き仇に、似すぎているのだ、サイハテに。
「空っぽのわたしが、人になる為のステップなんだよ」
母の死と言う呪縛に捕らわれ続けたグラジオラスは、次の一歩を踏み出す為に彼を殺害しようとしている。
そして、陽子は知ってしまった。
彼女の行いは、それもまた一つの正義なのだと。
もう、なにも言えなかった。
間違いじゃない事を、否定する事は善性を信じる陽子には出来ない。口を閉ざしてしまった少女と、復讐者と成り果てた少女の間に、一迅の風が吹く。
「ころさない、ほーがいーとおもうけど」
黙りこんでいた少女、レアが唐突に口を開いた。
グラジオラスと陽子は揃ってレアを見て、見られた少女は少しだけ居心地が悪そうに身じろぎをする。
「何故?」
彼女が言った。
「……ぼくからは、こたえられない」
少し迷って、少女が答える。
「……それはないだろう、そこまで見せつけて置いて、お預けは酷いよ」
「それでも、こたえることはできない。こたえは、すぐそこまできてる」
苛立っているグラジオラスを尻目に、レアは懐からスマートフォンのような機械を取り出して、画面を見つめた。
「……ほら、きた」
二発の銃声が響き渡る。
驚いた二人が聞こえた方向へと首を向けると、そこには一人の男が立っていた。
「ジーク……!」
苛立っていたはずのグラジオラスが、喜色を見せる。
感情が消えていたはずの瞳がランランと輝き、近くに居るだけで吐き気がする程の殺気を撒き散らして、一人の男を見つめている。彼女にとっては千載一遇のチャンスであり、一日千秋の思いで待ち続けていた、憎い憎い仇なのだ。
一度の跳躍で座席からピッチャーマウンドまで飛び、バッターボックスに立つサイハテと相対するグラジオラス。
「会いたかった……! この日をどれだけ待ち望んだ事か!」
喜びで弾んだ、乙女のような声色だ。
対するサイハテは、訝しむような視線を向けた後、ぽかんとした表情で、首を傾げる。
「……君は?」
敵に対する、無感情の声ではなく、陽子やレア達に対するような声色のサイハテに、陽子は不審に思い、レアはわかったかのように頷いていた。
「わたしに名前はない。貴様を殺す為だけに、今日まで磨き続けてきた一振りの剣! グラジオラス!!」
彼女が粒子剣を引き抜き、構える。
「母の仇、ここで朽ち果てるがいい! ジィィィィィク!!」