拾弐話
クリームシチューのようにとっぷりと濃厚な闇。
それが梯子を下りた先にある物だった。
L字ライトでその闇を照らすと、まるで闇なんてそこになかったかのように光の大きさに合わせて、周囲が写し出される。
「色んな物があるな……」
ライトの光輪に映し出される物は様々だ。電気カンテラの乗った机に、部屋の中央に鎮座するコンテナ。ボロボロとなった作業服とヘルメットがあれば、天井には電球が嵌っていたであろうソケットの痕跡まで見える。
そんな中、レアは身に着けている白衣の中から、ドライバーやレンチなどの工具を取り出すと、真っ直ぐにカンテラへと近寄って行っている。
「転ぶなよ」
サイハテはそんなレアの行く先を照らしてやりながら、そう声をかけてやるのだ。
「ころんだら、おねーちゃ……なぐもになぐさめてもらう」
お姉ちゃんと言いかけて、急に口を紡ぐと、南雲とレアは言い直した。これはあれだ、学校の先生をお母さんと呼んじゃう的な現象、ティーチャーズママンだ。
「んー? なぁに、レア。もう一度言ってごらん?」
ティーチャーズママンをしたレアに、ニヨニヨしながら陽子が絡む。
寄せばいいのに、顔を羞恥の色に染めたレアを抱きしめては、
「ほら、もう一回おねーちゃんって呼んで」
と繰り返している。
抱きしめられているレアは嬉しいやら恥ずかしいやらで、複雑な表情を浮かべては陽子の胸の中でじたばたと暴れた。
「……やれやれ」
少女達のじゃれ合いを眺めて、癒されるのもいいが、今は退職金の内容を確認するのが大事である。サイハテは肩を竦めるとライトの明かりを目の前のコンテナへと向ける。
水路を抜けた先にあった倉庫の、コンテナと一緒のタイプだろう。保存の為のガスが中に詰められており、中の物品は終末前の状態を保っているはずだと、サイハテは唇を舐める。
背後でコーンッと小気味いい音と、
「ったーい!」
陽子の悲鳴がしたが、完全にスルーしておく。どうせ、からかい過ぎた陽子がレアのレンチで小突かれたのだろう、レアはちっこくてウサギのように愛くるしい少女だが、ウサギとて弄りまわせば腕に歯を立てたりするのである。
ちらりと後ろを振り向くと、かがんで額を抑え、震える陽子に、レンチで叩くのはやり過ぎだと思ったのか、レアは陽子の額を撫でている。
この辺りがウサギと違う所だなと思ってしまう。
「………………………………」
何と言うか、微笑ましい光景である。
あの二人が退職金代わりとは、政府も太っ腹な判断をするなとサイハテは思ってしまう。押しも押されぬ美少女二人組だ、今はちょっと薄汚れているが、それでも美少女には代わりない。
精神的な癒しと十二分な目の保養になる分、退職金として支給してくれた政府に、感謝まで捧げてしまいそうだ。しかし、サイハテは民主主義者だ、彼女らの自由を束縛すべきではないと判断し、無理矢理手を出す事は控えてる。
それはさておいて、今はコンテナだ。
倉庫にあったものより巨大で、開く部分に存在するはずの取っ手はなく、代わりに指紋認証装置が付いている。そこに指を当ててみるが、電力が落ちているのだろう。うんともすんとも言わないのだ。
「どうしたもんか……」
腰の刀を使ってこじ開けるのは最終手段としておく、突き刺した時に、運悪く中の車まで突き刺してしまったら目も当てられない。となると電力を復旧させるのが一番いい手なのだがと、サイハテは室内を見回ってみる。
コンテナの向こう側には車をここから出す為の広い地下道でもあるのか、頑丈なシャッターが降りている。そこそこ広い部屋なのだが、このコンテナのお陰で随分狭いように見えてしまう。
「さいじょー」
周囲を探索していたら、レアに袖口を引かれる。
「なんだ?」
「おねーちゃんがはつでんきをめっけた」
いつの間にかお姉ちゃん呼びが定着していたのも驚いたが、見つけた発電機とやらが自転車だった事はさらに驚きだ。あれか、チャリを全力で漕ぎながら指紋認証しなくちゃいけないのか、どんな罰ゲームだとサイハテはうんざりする。
そうして、うんざりしている間に、レアがコンテナと自転車の配線を繋げてしまう。あの自転車、よく見ると後輪がかなり大きなタービンになっている、どうやらマジであれで発電させる腹積もりらしい、今は亡きスパイ組織は。
サイハテとて、発電機、もとい自転車を見逃していた訳ではない。あれは冗談だろうとガン無視したのだ。しかし、時代の流れはそれを赦さず。サイハテは苦行の道を歩む事になるのだ。
「じゅんび」
「オッケーよ!」
ダブルヒロインは自転車発電機を準備完了して、サイハテに対して期待たっぷりの視線を送っている。
その視線に、一瞬だけ恨めしい目を向けてから、サイハテは自転車を跨ぐ。跨いでみると解る事だが、この自転車、後輪が発電用タービンになっている以外は全く持って普通の自転車だ。銀色のボディと買い物袋を入れる黒い籠が懐中電灯の灯りを受けて輝いている。
「おう、ありがとぉ……」
サイハテは元気がない。
当たり前だ。
何が悲しゅうてこんな時代のこんな場所でこんな物漕がなくてはならないのか、サイハテには全く持って理解できなかった。
ペダルに足をかけて、そのままゆっくりと漕ぎ出す。
ママチャリのチェーンがタービンの歯車にサイハテの脚力を伝えて、それはゆっくりと回り出すと僅かな電気を生み出し始める。これでは起動する為の電力が足らないだろう、ならばと更に足に力を込めて、ペダルを早く、強く回し始めるのだ。
しばらくはサイハテが自転車を漕ぐ音と、タービンがうなりを上げる音だけが響き渡る。
「がんばれー」
苦笑いしている陽子の隣で、レアは呑気にも応援している。
しばらくすると、指紋認証のパネルに光が灯り、サイハテはこれ以上自転車を漕いでいられないとばかりに、それへ手を伸ばすのだ。
指紋認証は難なく認可され、コンテナは音を立てて開くのだ。
保存用のガスが、音を立てて抜けるのはどのコンテナも変わりないが、このコンテナは特別製なのか、周囲の外壁までもが開き、内容物を白日の……太陽は見えないが、白日の元へと晒す。
「……ジープか」
そこにあったのはジープタイプの車だ、オリーブドラブに塗られた光を返さない軍事仕様、防弾タイヤに対40mm装甲付きの巨大な車体、おまけに20mm機関砲までが付いている。
「これ以上ない位の退職金だな」
指揮官仕様のカスタムシープ、買ったらいくらするのだろうか。なんて考えてしまう辺り、サイハテは小市民だ。
しかし疑問に思う事がある。
「……窓がないのは、嫌がらせか?」
このジープに窓はないのである。本来窓の所にあるのは継ぎ目のない金属板だ。防弾ガラスとか、防弾アクリルとかそんなチャチなもんではない、50.Calだって弾き返しそうだ。
「さいじょー、これ、なかがもにたーになってる」
ドアを開けて、頭を突っ込んではお尻をふりふりしていたレアがサイハテの疑問に答えてくれる。
「そもそも、ガラス窓なんて何年前の車よ……」
と、陽子も呟く。
どうやらすでに陽子の時代ですらガラス窓が嵌った車は絶滅危惧種であったようだ。
「ぼくのじだいだと、おしゃれってことではやってた」
そしてレアの時代に車は先祖返りを起こしたと言うことはよくわかった。
「このじーぷ。すいそはつどーきをつかってて、かなりおもいものでもせきさいできるしよー。たいやはぜんてんこーがた、かんいてきなほばーくらふともあるから、すいじょーもあるてーどはしれる」
そもそもタイヤに水かき用の溝がないのに、どうやって水上を進めばよいのだろうかと思ってしまう。
「すいじょーのすいしんきは、ぎじをーたーじぇっと、ぜんめんかぶから、みずをすいあげて、うしろのまふらーからふきだしてすすむ。はつどーきはせんひゃくばりき、ねんぴはすいそいちりっとるでじゅーはちきろ、おいるはでんきぶんかいしきのりさいくるほーしき……ないぞーしきくれーんもあって、かなりのこーせーのー、びさいきかいぐんのころにーもあるから、せいびなしでもごじゅうねんはうごく」
技術屋、もとい、天才美少女博士はそう評する。
「かったら、さいじょーのじだいのぶっかでいちおくにせんまんくらいのおねだん」
車としては正に破格の値段である、退職金にしては高すぎではないだろうか? サイハテはNIAに勤めて一年ちょっとしか働いていなかったと言うのに。
まぁ、そんな事はさておいて、サイハテは運転席を開けるとそこに体をすべり込ませる。水素エンジンに様々な機能を持った電子機械群、それにモニター式だと言うのに、エンジンをかけるキーはサイハテの時代の物だった。
MT方式の車で、内部はほぼサイハテの時代の車を再現してあった。
「……致せり尽くせりだな」
クラッチを踏みながらエンジンをかけると、ガソリンエンジンのようで、ガソリンエンジンよりは小さな音が周囲に響き渡り、機体が僅かに揺れる。
「陽子、銃座についてくれ。レアは後部座席で後方警戒」
「解ったわ」
「りょーかい」
ギアをローに入れて、サイハテは目をつぶる。
決して浸っている訳ではなく、頭の中でいくつもの脱出ルートを模索しているのだ。丸暗記した街の地図を使ってだ。
「陽子、機銃で正面シャッターをぶち破れ。一気に駆け抜けるぞ!」
「うん!」
20mm機関砲が轟音を立てて空薬莢を排出する、シャッターに叩き込まれる弾丸は曳光弾が混じっており、非常に美しい。
陽子の銃撃が止むと共に、サイハテは強くアクセルを踏み込み、宣言通りにジープを発進させるのだ。
シャッター開け忘れたので、無理矢理ぶち破ったのは秘密。