十二話:再出発
「おかえりなさい!」
彼が帰ってきたので、満面の笑みで出迎えると、彼は鳩が豆鉄砲を食ったような表情になっていた。からっぽで萎んでいた背嚢はパンパンに膨れていて、彼の体にはいくつかの泥と、擦り傷が新たに増えている。
頑張ってくれたのが、目に見えてわかってしまった。
もう、東の空に太陽が顔を出し始めている時間で、彼が休んでいる暇ない。
だから、せめて笑顔で迎えて奮起して貰おうと、陽子は考えていた。
アイドル時代に、事務所の人間が疲れているときに、こうやって笑顔で出迎えたり、激励したりすれば、男の人は少しだけ元気が出る事を、陽子は知っている。
「……ただいま」
サイハテに少しだけ訝しめられたが、特に言及される事もなかった。
彼の背嚢を受け取って、朝食を用意してあるリビングに行くよう促し、陽子はサイハテの散歩後ろを歩く事にする。
奇妙な物を見るような視線で見られたが、怒る事はしない。
リビングについても、彼はチラチラと陽子を見て、何か言いかけるが、結局は口を閉ざしてしまう。
「どうしたの?」
何か言いたい事があるんじゃないのか。
「……置き去りにした俺を、怒ってないのか?」
陽子が寝たふりをしてくれたとは言え、それが気になっていたらしい。
「そこまで器小さな女じゃないわよ」
流石にムッとする陽子だったが、対照的にサイハテは胸を撫で下ろしている。
「そうか」
彼はそう言って、用意されている朝食に手を伸ばした。
用意したと言っても、携帯固形口糧を袋から出して、皿に並べただけの、料理とも呼べない簡素な物だ。そんな物でも、サイハテは文句ひとつ言う事なく、黙って食事をしている。
「おはよー」
「おはようございマス」
見張りに着いていたハルカが、寝ぼけ眼のレアを抱いて、リビングへと現れた。
ウでの中の幼女は眠そうに瞼を擦っているが、我儘を言うことなくハルカの腕から降りて、サイハテの膝に座る。
当たり前のように座っており、サイハテも嫌がる事無く普通に食事を続けていた。
「さいじょー、おみず、みつかった?」
不味かったのか、一口齧っただけの固形口糧をサイハテの口に押し込みながら、聞くレアに、陽子は厳しい表情をする。
「ん……見つかったぞ。沢山飲んでも大丈夫だ」
彼も彼で食べてしまったので、文句を言う事は避ける。
しかし、しっかり食べないと大きくなれないんじゃないかと思った。
「ぼくねー、おひるごはんは、みかんかーんがいー」
「ミカンの缶詰はなかったな。桃で我慢してくれ」
サイハテの言葉に、わざと唇を尖らせるレア。
彼の前では子供のように振る舞う、珍しい彼女が見る事が出来る。あの様にべったり甘えられるのはレア位で、陽子は少しだけ羨ましかった。
じっと見つめていたら、サイハテが苦笑いをして、自分の皿にある固形口糧を陽子に差し出す。
「ほら、食べていいぞ」
――そうじゃないんだけど。
その言葉は言えずに、差し出されたそれを大人しく食べる陽子だった。
お腹もくちくなった所で、今日の移動計画がサイハテから語られる事になり、レアも膝から降りて大人しく聞く事にしたようだ。
「さて、今日はこの川を越えて、向こう岸にある八幡宿まで行くぞ。内房線沿いに歩いていけば、時間も短縮できるだろう」
机に広げられた千葉市の地図に、サイハテが紅いマーカーで線を引いていく。館山自動車道の辺りは昨日の時点で橋が落ちてしまっているのを確認していた。
「昨日の夜に確認したが、線路の方はまだ残っていた。今にも崩れそうだったが、他のルートに比べれば、まだ安全だ」
川沿いの仮宿から引かれた赤い線は、八幡宿で止まっている。
「ここから線路を降りて、総合医療センターまで歩いていく。三十分の休憩を三回挟むから、しっかり休むように」
「あれ? 病院を宿にするの?」
陽子はサイハテらしかぬ選択に、少しの疑問を抱いた。
彼が選ぶ宿は、人通りが少なく頑丈で、大きくない家屋が多いのに、病院を選ぶとはらしくない選択だと思い、疑問をぶつける。
「ああ、ここに欲しいデータがあってな。スカベンジしたい」
いつもと変わらぬ彼は、珍しい事にそんな事を言った。
サイハテは、この世界に来て何かに執着した事は少ない、彼が欲しがる物と言えば、陽子やレアら、美少女が身に着けていた下着位であり、データや食料等を欲しがった事はない。
レアも、驚いているようで、眠そうな目を見開いている。
「ふーん? それってなんのデータなの?」
興味本位で聞いてみた所、サイハテは少しだけ表情を硬くして、ゆっくりと口を開いた。
「知らない方がいい」
そう言うなり、彼は武器と食料を詰めた一番大きい背嚢を持って、リビングから出ていってしまった。
あんな態度をとるには、それなりの理由があるのだろう。知らない方がいいと言うならば、知らない方がいいのだ。
陽子は黙って、三番目に大きい自分の背嚢を持ってサイハテに続く。
仮宿の外で、全員が集合し、出発のおりとなった。
隊列を整えない、ばらばらの行進だが、体の大きいサイハテがレアの速度に合わせている為、歩みはのんびりとしたものになる。
彼は無言で前を歩き、周囲の警戒を引き受けており、その背後に並んだレアと陽子が続いている。
「なぐも、なぐも」
行軍の最中、レアが袖を引いてくる。
「どうしたの? トイレ?」
陽子の問いに、首を左右に振って返答するレア。
「さいじょーが、ほしーもの、なんだろー?」
どうやら気になっているようで、眠そうな目がキラキラと輝いている。
確かに陽子も気になるが、サイハテが知らない方がいいと言う位なのだ。知らない方がいいに決まっており、無理に知ろうとは思わない。
「サイハテにも、知られたくない事があるのよ。知らないフリしときましょ」
気になっているレアには悪いが、陽子は考える事すらしないようにした。
「……むー。じゃー、ぼくだけしっちゃうもん」
止める暇もなく、サイハテの隣に駆け寄り、彼の手を握ってしまうレア。
「さいじょー、でーたって、なに?」
「……知らない方がいい」
彼は、先程と同じ文言を繰り返すだけだ。
「きになる、おしえて」
「知らない方がいい」
変わらない返答に、レアは大きく頬を膨らませた。
「さいじょーのいじわる」
子供らしい捨て台詞を吐いて、レアは陽子の元へと舞い戻ってくる。
彼女の頬は栗鼠のように膨らみっぱなしだ。
弟達もそうだったが、これは意固地になって無理にでも知ろうとするだろう。膨らみっぱなしのレアは、じっとサイハテの背中を見続けている。
「……気になるなら、後で話すよ。後で……な」
振り向きもせずに、サイハテはそう言い放ち、レアと陽子は顔を見合わせるのだった。
……まだ膨らんでいる。
八月に入ったら、昇進試験の勉強があるので更新頻度が少し下がるかと思います。
具体的には1日~2日に一回更新が一週間に二回くらいに。
試験が終わるのが十一月ですので、そこまではご容赦を。