一話
傾いた総合病院の隔離棟にある一室、そこには不可思議な棺が安置してあった。
巨大なコンデンサと管理する為のサーバー、外にあるソーラーパネルと巨大なバッテリーに接続された二つの白い棺だ。
棺の蓋はガラス張りだが中の様子はよく見えない、中は透明度の低い氷で満たされており、辛うじて人が冷凍されているのではないかとわかる程度の透明度であった。
サーバーにくっついたディスプレイには、西暦2507年8月7日に解凍すると表示が出ている、それは今日であったのだが。
低く鈍い電子音、それもマイクロ派を利用して食物を温める機械が出す電子音に似ている音が棺から一斉に響き渡る。一分ほどの解凍時間を要し、棺の蓋は蒸気が抜ける音を立てながらゆっくりと開き、内容物がそれに合わせて一斉に身を起こした。
全裸の若い男女だ、男性の方は筋骨隆々で体中に走った傷跡が彼が歴戦の猛者である事を窺わせる、まだ二十代にもなってないような少年ではあるが、その体は大人のそれを遥かに上回っている。
女性の方は十代前半の年若い少女である、まだ発達途中の体ではあるが、すらりと伸びた手足と整った顔立ちは将来を期待させてくれる美少女だ。
美少女と野獣、これが二人にぴったりとあった。
「え、うそ、え?」
少女の方は混乱している。
周囲を困ったような表情で見渡して、一糸纏わぬ自身の肢体を眺めて、頭に疑問を浮かべては消している。何を優先的に解決すべきか解らないのだ。こんな状況でも喚かないだけ賢い少女なのだろう。
「……ふむ」
少年の方は既に状況を理解しているようで、自分が起き上がった棺から飛び降りて体に不具合がないかを確かめている。
筋肉の解れ具合などを確かめる度に、関節から鈍い音がなっている。
「あ、あの!」
準備運動をしている少年に向かい、少女が声をかける。
「私南雲陽子っていいます! えっと、気付いたらここで起きてて、貴方はどこで、ここは誰なのかを……あれ?」
大分混乱しているようだった。
少年は陽子と名乗った少女に向かってフッと笑ってみせると、陽子は顔を赤くして少年を見つめかえす。
そして少年は陽子が今まで眠っていた棺に接近すると、頭の後ろで手を組んだ。
「嫌なら見るな! 嫌なら見るな!」
そう叫んで、陽子の目の前で全力で逸物をブラブラさせ始めたのである。
「イィ……ヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!?」
突如始まったセクハラ行為にこれでもかと驚いた陽子はそのままひっくり帰って背中をコンクリートの床に打ち付けてしまう。
「う……痛い……」
痛みに呻き、情けない声をあげる。
「嫌なら見るな! 嫌なら見るな!」
だが、そんな事はお構いなしと変態がすぐそこまで迫っている。
「あわ……あわわわわわわ……」
そのまま四つん這いになると陽子は部屋の隅へと移動を始める。
「嫌なら見るな! 嫌なら見るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! ゲーッハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」
部屋の片隅に追い詰められた陽子に、変態は逸物を全力でブラブラさせながらゆっくりと迫っている。
「こ、来ないで、来ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
陽子は迫る変態に対して、手近にあった物、砕けたコンクリート片などを握り込むと投擲を始めるのだ。
しかし、無駄に鍛え上げられ、筋肉の鎧で固められた変態の胸板に当たったコンクリート片は容易く弾き返されてしまう。柔らかく弾力に富んだ筋肉、アスリートとしては最上級の筋肉を持つ変態は意に介さず、先程の言葉を吐きながら陽子に迫り続ける。
「来ないでって言ってるでしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
とにかく、手近にあるものを掴んで投げまくる。
そしてその内の一発、何故かおいてあった二キロの鉄アレイが変態の逸物を直撃した。
「……っ!」
変態の動きが止まる、まるで水銀の温度計のように顔色が下から上へと赤く染まり、その後、上から下へと紫色に染まって、変態は音を立てて倒れた。
「Goodbye my son……」
悲しそうで儚い掠れ声を出して、変態は沈黙した。
死んだ訳ではないことは痙攣している事から理解できる、少女は安堵の息を吐くと乳房と恥部を腕で隠しながら立ち上がる。周囲を見渡すと棺のある部屋の全容が見える。
あちこちが欠落し、罅割れ、これでもかと言う程年月を感じさせる風貌だ。十年や二十年ではこうはなるまい、百年、二百年、いや、それ以上に経過しているのではないかと陽子は思う。
部屋の中心には先程まで二人が入っていた棺とサーバーが置いてある、それに歩きながら近づく。
(ああ、もう、裸足の音が響くなぁ……)
なんて事を陽子は思っていた。
自分が素っ裸である事をなるだけ気にしないようにしていたのだが、足音のせいでやけに意識してしまう。
部屋から出ようとドアに手を伸ばして引っ張るが……鍵がかかってて開きそうにない。ドアをロックしてる金属が伸びる先には黄色と黒の縞々の箱に赤と緑のランプが点いた物が存在し、今は赤が点灯している……その箱からコードが伸びてサーバーへと繋がっている事から、電子ロックではないかと仮説をたてる事ができた。
そしてサーバーの前に立って、ある事に気が付いた。
(これじゃキーボードが操作出来ないじゃない……!)
陽子の手は乳房と性器を隠すのに使われている。
キーボードを操作するのに、それのどちらかを使用するしかないのではあるが……。
(……右? それとも左?)
胸を露出させるか、それとも性器を露出させるかで、陽子は悩んだ。
(流石に胸よね、うん、胸よ)
胸から手を離して、キーボードを操作する。
が、よくよく考えたら陽子に電子ロックを解除する方法なんて分かりはしないし、そもそもパスワード自体が解ってないのでどうしようもなかった。
「……仕方ない」
悔しいが、部屋の隅で痙攣しているあの変態だけが頼りだ。
近寄りたくもないが、仕方なしに陽子は痙攣して突っ伏している変態に近寄って、声をかける。
「……ねぇ、あんた電子ロックを外せるかしら」
「ちんこ痛いよぅ……」
会話にならなかった。
「フン!」
陽子は変態の側頭部に向かって素足キックを放つ。
「いてっ!」
変態は小さな悲鳴を上げる。
「いい? 私達はこの部屋に閉じ込められてるの。部屋の温度も上がってきてるし、下手すればこのまま二人共熱中症で干物よ。干物。ここから出る為に、あんたの力を貸しなさい」
高圧的な物言いだが、しっかりとした正論である。
変態は顔だけを動かして、ちらりと陽子の顔を見る。視線と視線が混じり合い、数秒の時が経つと変態はゆっくりと身を起こした。
「わかった」
そう返事をした変態は立ち上がるとまっすぐにサーバーに向かって行き、キーボードを操作し始める。しばらく、キーボードを操作する音だけが狭い部屋の中に響き渡り、電子音がなって、部屋のロックが解除された。
「やった! あんた凄いじゃない!」
ロックを外した変態に声をかけて、陽子は小走りでドアに向かっていく。
そのままドアに手をかけて……。
「待て! 開けるな!!」
変態が怒鳴った。
「え?」
しかし時すでに遅く、陽子はドアを勢いよく開けてしまっていた。
ドアの先には皮膚がドロドロに溶けて、赤く眼孔を光らせる人っぽい生き物が直立している。人っぽい生き物は光る眼孔に陽子を捉えるとその細く華奢な両肩に手を伸ばして陽子を押し倒す。
「ごぉぉぉぉぉぉぉん、なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「いやっ、ちょっと、なにこれええええええええええ!?」
陽子は人っぽい生き物の胸に手をかけて、引き離そうとするがその力は枯れ枝のような腕からは想像できないほどに強く、歯がところどころ抜け落ち、膿がたっぷりとたまった口が陽子の顔へと迫っていく。
「たす、たす、助けて!!」
陽子は叫ぶ、本能的に目の前のこれが自分を食べようとしているのは理解できてしまった。故に悲鳴を上げる。
その声に呼応したのか、元々そうしようとしていたのか定かではないが、変態の丸太のような腕が人っぽい生き物を引きはがして、その肩へと持ち上げた。
変態は人っぽい生き物を担いだ後、そのまま部屋を出て行き。
「ていっ」
窓ガラスが一枚も嵌っていない廊下の窓から、その人っぽい生き物を投げ捨ててしまった。
下で、柔らかい物が固い物にぶつかる様な音と、何かが弾けたような音が響く。変態は階下を除くと小さく溜め息を吐いて、陽子へと向き直る。
「丸見えだぜ」
「あ、ちょ……見るな!」
急いで見えてる部分、まぁ、全部見えてるので全部を隠すと、変態はクツクツと笑う。陽子は壁に身を隠しながら、笑う変態を睨みつけると、彼は笑みを浮かべたまま、右手を差し出してくる。
「西条疾風だ、サイハテって呼ばれてる」
変態、もといサイハテはそう自己紹介してくれる。
陽子は首を傾げて、その右手を見つめると、再びサイハテはクツクツと笑った。
「俺に力を貸してほしいんだろう? 協力しようぜ、お前が何が出来るのかは知らないが、少なくとも目の保養にはなるわな。下の毛薄い女子中学生ちゃん」
「変な名前で呼ぶな変態! 私には陽子って立派な名前があるのよ! 太陽よ、太陽! 敬いなさい!」
陽子の物言いに、サイハテはカラカラと笑うのだ。
「わかったわかった、よろしくな。陽子」
「ええ、よろしくね。サイハテ」
陽子はサイハテの手を握り返して、しっかりと握手をする。
一時的な同盟ではあるが、この病院から脱出する為にはサイハテの力が必要なのだ。少し位は仲良くするべきかな。なんて陽子は考え始めていた。