運命の人
数日後、国也はまた浜名へ来ていた。
「ところで、花田屋さんとは、知り合いですか?」
御用聞きで、顧客の沢田屋に来店、店長と世間話をしていた。
「知ってるよ、美人の社長だから、組合の人間もファンが多いんだ」
「女性の社長さんですか?」
「ああ、知らなかったのか、紹介してやろうか?」
「は、はい!」
沢田屋の店長は、電話でアポまで取ってくれた。
「ダイコクさん、今、店にいるから来てもいいって言ってくれたよ」
「ありがとうございます!」
国也は、沢田屋を出て、花田屋呉服店へ向かう。
「社長、沢田屋さんの紹介の・・・」
店員が呼ぶと、奥から着物を着た女性がやって来る。国也は、名刺を取り出し、頭を下げながら挨拶する。
「あの、わたくし、が、がまは・・・」
女性の顔をよく見ると、見覚えのある顔だ。
「あ、あなたは・・・」
社長の花田夕衣は、笑顔を見せる。
「店員じゃないですけど、呉服の仕事をしています」
皮肉ですか。
「あ、あの時は、失礼しました」
頭をかく国也。それにしても美人である。あの時の陰のある感じはまったくなく、笑顔の素敵な貫録もある女社長だ。
「業者さんかい?」
横から、いやな感じの男が現われる。
「はい、蒲橋で着物のお手入れをしている、大野と申します」
「そうですか、私、専務の花田です」
嫌な奴だが、名刺を出して渡す国也。
花田真佐雄、もしや・・・。
「主人です」
国也の疑問を察したのか、夕衣が先に言う。
「それじゃ、事務所でお話を伺いますので、こちらへ」
なんでこんな男が、よりによってこんな美人で笑顔の素敵な女社長の旦那なんだ。世の中間違っている、と思いながら夕衣について行く国也である。
事務所のソファに座って、外を眺める国也。駅の大きなビルが見える。浜名に向かって来るたびに、バイパスを走っていると、すぐに目につくあの高いビルである。
「どうぞ」
テーブルにお茶を出し、向かいのソファに座る夕衣。
社長自らお茶を入れてくれるなんて恐縮です、とネクタイを締め直しながら思う国也。こうしてまじまじと目の前で夕衣を見ると、その美しさにクラクラしそうになる国也である。・・・少し大げさかな。
「私の顔に、何かついていますか?」
「あ、いいえ」
しかし、この女性が、自分にとって運命の人であってほしかったが、呉服のみしまの店長、三嶋雄平の同級生で、初恋の人であることは、容易に察することが出来た。
それならば、よりによってあんな男が旦那なら、雄平氏の方がはるかに相応しいと思う国也である。
「しみ抜きが得意だそうですけど」
まだ顔を見たままボケっとしている国也。
「は、はい?しみ抜きですか?」
何とか我に返った国也だが、独身の身にはかなり緊張する空間である。
とりあえず仕事の話をしてPRをする。
「必要があったらご相談しますね」
相談してください!何でも乗ります!・・・と思う国也。
「ところで社長さん、思い出の方っていますか?」
国也は、話を変える。
「思い出ですか?」
急に話が変わり、戸惑う夕衣。
「はい、たとえば小学校の頃とか・・・」
夕衣の表情が変わる。あの公園で見た陰のある顔である。
「なぜそんなことを聞くんですか?」
夕衣が視線をそらし、窓の方を見る。
「会いたい人は、いませんか?」
国也は、かまわず質問する。
「社長さんの初恋の人とかは、いませんか?」
「やめてください。私はもう結婚しているんです。会う資格なんてないんです」
そこまで問い詰めているつもりはない。しかし夕衣の心の奥底にしまってある思いが、過剰反応させているんだ、と国也は思う。
夕衣の思いがわかると、国也の心も痛くなる。
「すみません、余計なことを聞いてしまって」
国也は、頭を下げる。
「でも、あの時もそうでしたが、社長さんの姿を見て、なぜか自分が力になれることはないのかって、思い込んでしまったものですから・・・」
「私の方こそごめんなさい。質問に動揺してしまって・・・」
夕衣が少し小さくなっている。貫録のある女社長が、ごく普通の女性になったようだ。
「そろそろ帰ります。ごちそうさまでした」
今日は、このくらいにしておこう。
「えっ」
何だか淋しそうな顔をしている夕衣である。
「少し時間があるんで、お城に寄って行きます」
「そうですか」
国也は、礼を言って事務所を出た。
車を走らせて10分もかからないくらいで城が見える。浜名城は、国也自身3度目の訪問だ。国也は、ホテル側の敷地にある駐車場へ車を停め、庭園側から天守を目指した。
カメラを手に持って歩く国也。左手の上の方に石垣の一部が見える。少し坂を上がって右手が美術館、左に曲がって進むと広場で、そこをまた左に折れると、お城へと続く坂道、門跡の石垣の間を通り過ぎると左側がお城だ。
「大野さん!」
国也を呼ぶ声がする。振り返って見ると、声の主は、なんと夕衣である。
「どうしたんですか?」
着物姿で急いで来た様子である。
「ごめんなさい、もう少しお話がしたくて」
嬉しいことを言ってくれる。
「じゃ、そこまで行きましょう」
天守下から、街が見渡せる石垣の近くへ行く。
「浜名は、大きな街ですね」
目の前は市役所、駅のホテルも見える。信号交差点の向こうに見える小山は神社。歴史マニアの国也は、少しばかりこの辺りの史跡、神社仏閣の知識もある。
「大野さんは、おいくつですか?」
「たぶん、社長さんと同じ年です」
「やだ、私の年を知ってるんですか?」
「いえ、勘ですよ」
ただ知っているだけである。
「本当かしら・・・」
また夕衣の笑顔が見られた。思わず抱きしめてしまいそうな気分になる国也。
「お仕事は、つらいですか?」
夕衣の顔が真面目になる。
「着物を扱う仕事自体は好きです。でも私が、あんな大きな呉服屋を継がなくてはいけなくなり、負担はすごく大きいです。だからもっと早くから結婚の話はあったんですけど、私自身のある事情で三十になるまで待ってもらったの。だけどそれ以上は拒むことが出来なくて、主人と結婚したんです」
溜まっている思いを吐き出したいんだ。聞き役ならいくらでもするよ。国也は、うんうんと頷く。
「本当は、ずっと待っていたかったんです・・・」
遠くを見ながら話す夕衣。
「初めて会った時から、何かを背負って過ごしているんじゃないかと思っていたんです」
夕衣が国也の顔を見て我に帰る。
「ごめんなさい、余計な話ばかりして」
会ったのがまだ二度目の国也に、こんなにも自分の思いをさらけ出してしまった自分が信じられない様子の夕衣。
「いいんですよ、僕は社長さんのためにこの仕事をやってるようなものですから」
言い過ぎです。
「ありがとうございます」
「信じちゃいけませんよ、こんな男には、きっと下心がありますから」
「わかりました」
夕衣が笑う。・・・惚れちゃいそう・・・いやもう惚れてるだろ。
「少し気晴らしでもしたらどうですか、休みはないですか?」
夕衣が、国也の横顔を見る。
「火曜日が休みなんですけど、今まで仕事ばかりをしてきたので、何をしたらいいのか、わからないんです」
火曜日が定休日らしい。・・・情報収集。
「じゃあ、もし時間があったら、都代川稲荷へ行ってみてください。ご商売のことでも、何か違ったものが見つかるかもしれませんから」
「何だか、身の上相談して頂いてるみたいですね」
「そんな、とんでもない」
頭をかく国也。
「店の人じゃなく、お友達と行ってみればいいじゃないですか」
「そうしてみます」
何だかほっとする国也である。
「またお店に来てくださいね」
「はい、ありがとうございます」
二人は、天守の方へ歩き出す。
「あっ」
段差のところで夕衣がつまずき、倒れそうなところを国也が手を掴んで引き寄せる。転ばずに済んだものの、夕衣を抱き寄せる形になってしまい、二人とも時が止まったように抱き合ったまま動かない。
「だ、大丈夫ですか?」
国也は、なんとか言葉を発するものの、固まった身体を動かすことが出来ない。夕衣も顔を赤くするだけで同様である。
「ごめんなさい、大丈夫です」
何とか離れたものの、気まずい雰囲気になってしまう。
「そうだ、ここに立ってて下さい」
国也は、肩に掛けていたカメラを手に持ち、少し下がって構える。
「お城と一緒に写真を撮らせてください」
夕衣が戸惑う。
「大丈夫、まじめな写真です」
夕衣が笑顔になる。
「それでいいです」
城をバックに夕衣の写真を撮る。何だかモデル相手に写真を撮るプロのカメラマンのように、少し恥ずかしがる夕衣にポーズをとらせて写した。
国也は、何年かぶりの異性との交流を楽しんだ。
「帰りましょうか」
駐車場へ戻り、挨拶をしてそれぞれの車に乗り込む。先に夕衣が車を出し、帰って行く。
国也は、カメラの画像を見直す。
「素敵な人だ」
写真を見ながら、何だかこの人を幸せにしてあげたい、そう思う国也だった。
「わっ!」
ドアの向こうの男が、運転席の窓ガラスを叩いた。あの時の赤ずくめの男だ。国也はスイッチで窓ガラスを少し下げた。
「何ですか?」
ギョロットした目で、気味が悪い。
「わかりましたか、あの人の名前?」
お前なんかに言うもんか、と思う国也。
「花田夕衣さんですよね」
なんで知ってるんだ。国也は男を睨む。
「そうですよね、これに載ってるから」
男は、タブレットをコートにしまい、スーッと去って行った。