接近!
なつ枝と乃菊が店を出て行く姿を、夕衣の夫真佐雄が、展示物の陰から見ていた。
「先生、私、園川百貨店に寄って行きます」
「そう、じゃ、南口まで送って行くわ」
「いえ、運動のために歩いて行きますから」
「そう、運動もしなきゃね。じゃ、さようなら」
乃菊は、通りを駅に向かって歩き出し、なつ枝は、駐車場に向かう。
ウィンドーショッピングしながら歩く乃菊。陽も沈んできて、ビルの間から見える空もやや赤くなっている。
百貨店に入った乃菊は、化粧品や洋服、カバンなどを見ながら階を上がり、5階のカフェに入る。
ここの窓際の席で、駅前の人の往来を眺めながら、ひとりコーヒーを飲むのが好きなのである。
「乃菊ちゃんじゃない!」
偶然会ったかのように、真佐雄が乃菊に声をかける。
「座っていい?」
「どうぞ」
嫌いなタイプなのに拒否しない乃菊。・・・拒否も出来ないか。
「僕の店は、どうだった?」
奥さんの店でしょ、と思う乃菊。
「素敵なお店ですね」
「そうだろ、あの店に入ってから、僕が中心で仕切ってきたからね」
ますます嫌な男だ。
「すみません、用事があるので失礼します」
コーヒーを飲み終えた乃菊は、席を立つ。
「そうかい、もっと話がしたかったのに」
残念そうな顔をする真佐雄。
「じゃ、今度食事でも誘ってください」
どうして嫌いな男に笑顔を見せる。
「あ、ああ、もちろん誘うよ。時間がある時に電話してね」
真佐雄は、満面の笑みを見せ、懐から名刺を出し、乃菊に渡す。
「わかりました。電話しますね」
乃菊も笑顔で答える。
すぐにカフェを出て、エスカレーターで降りて行く乃菊。その乃菊を別の男が追いかける。
百貨店を出て、バス停に向かう乃菊の手を、男が掴んだ。
「車があるから、こっちへ来い」
男は、乃菊を連れ、有料駐車場に停めてある車へと向かう。
「さ、乗りなさい」
乃菊は、抵抗もせずに車へ乗り込む。
「乃菊、無理しないでくれ。あいつの親父の木頭は、俺や乃菊のお父さんたちを陥れた奴だから、息子もろくな男じゃないはずだ」
「義父さん、わかってるよ。でももっと信用させて、証拠を増やさなきゃ」
男は、ため息をつく。
男は、井和田静夫。真佐雄の父、木頭三千彦は、22年前、伸び盛りだった呉服店仲間の三嶋、井和田、菊野たちの開いた展示会で、商品の中に盗品を紛れさせ、信用を失わせた。
その信用を回復させるために奔走していた三嶋夫妻は、交通事故で他界。菊野は、木頭の陰謀をつきとめ、木頭の店へ乗り込むが、翌日家の近くの川で水死体となって発見され、酒に酔って川に落ちた事故として処理された。
井和田は、菊野の子を妊娠していて途方に暮れる菊野の妻を説得し、自分の田舎に連れて行った。その時の子が、乃菊である。井和田と乃菊の母は、籍を入れずに生活したが、乃菊は、井和田を父のように慕って育ってきた。
「ほら、真佐雄が歩いてる」
駐車場の前の歩道を、煙草を吸いながら真佐雄が歩いている。
「行ってくるわ」
そう言う乃菊の腕を掴んで井和田が止める。
「いや、私が行くから、お前は、これに乗って帰るんだ」
そう言うと井和田は、車から出て真佐雄の後方を歩いて行く。
「あの・・・」
突然現われた不気味な男に、乃菊は驚く。赤い髪で、赤いシャツに赤いコートをはおり、赤いズボンで赤い靴をはいた少し痩せている不気味な男である。
「何ですか?」
乃菊は、無愛想に聞く。
「あの方は、井和田静夫さんですか?」
「そうですが、どうしてご存じなんですか?」
不気味な男は、手のひらサイズのタブレットを指で操作しながら、乃菊の顔を見る。
「ごめんなさいね、お嬢さん。ここに名前が載ってるんで聞いただけです」
そう言うと不気味な男は、タブレットをコートにしまいながら反対を向く。
「どうして義父さんが載ってるんですか?」
不気味な男は、走るでもなく、しかし歩くでもなく、スーッといなくなってしまった。
乃菊は、気になりながらも、運転席に移り車を出した。
「母さん、この頃美人ばかりに出会うんだ。そろそろ身を固める頃かなって予感がするよ」
国也は、着物を手洗いしながら、雲江に言う。
「気のせいだよ。お前の予感が当たったためしはないからね」
国也は、ムッとする。
「今度はすごく感じるんだよ、自分に近づく何かの縁を・・・」
「自分の縁を優先してどうする、お前は後回しでいいんだよ」
国也も母には敵わない。
「ちょっと外へ行ってくる」
国也は、仕事を終えると、時々夕食前の散歩に出かける。少し高台にある近所の公園へ行き、そこでイルミネーションが綺麗に光る観覧車を見るのが好きなのである。
「いつか彼女と一緒に、ここの夜景を見たいな・・・」
そう思って、何年過ぎただろう。
花田屋のシャッターは下りている。店員もいない。
「夕衣いるのか?」
事務所の扉を開けたのは、真佐雄だ。
「もう少し整理したら帰ります」
真佐雄が、机の書類を整理している夕衣に近づく。
「やめて下さい、こんな所で」
真佐雄が、後ろから夕衣の身体に抱きつく。
「誰もいないからいいじゃないか」
手を振りほどこうとする夕衣。
「俺たち夫婦なんだろ。一緒になって2年も我慢してるんだ」
真佐雄は、嫌がる夕衣を無理矢理ソファに押し倒し、両手を掴んで覆い被さる。
「やめて!」
真佐雄は、夕衣の顔に口を近づけ、キスをしようとする。
「やめて、あなたには、外で自由にしていいって言ってるじゃないですか」
夕衣は、顔を左右に振り、真佐雄の口から逃げる。
「そんなことは遠慮なくしてるさ。だけど子供くらいお前と作りたいんだ」
なおも抵抗する夕衣。
「それは、もう少し待って下さい」
いつまでも抵抗する夕衣の顔を、真佐雄が平手打ちした。
「きゃっ!」
真佐雄は、起き上がる。
「いつまでもこのままで済むと思うな、馬鹿にしやがって!」
真佐雄は、はき捨てるように言って、事務所を出てい行く。
夕衣は、ソファに座り直し、左手で頬を押さえながら、髪や着物の乱れを直す。
夕衣もいつまでもこんな関係を続けたくないと思っているのだが・・・。
ひとり事務所のソファに座り、いつまでも涙を流す夕衣である。