乃菊参上?
その頃浜名では・・・。
「先生、こんにちは」
玄関の扉を開けたのは、この家の主で、着物の仕立て教室を開いている澤田なつ枝の生徒で、菊野乃菊という女の子だ。
「いらっしゃい、どうぞ」
乃菊は、玄関を上がってすぐの和室に入り、10席ある机の一番後ろに座った。
「みんなまだだから、お茶をどうぞ」
なつ枝が、お盆に乗せた湯のみを乃菊の前に置き、向き合って座る。
「乃菊ちゃん、今日の教室が終わったら、花田屋さんへ一緒に行ってくれない?」
「駅南通りの呉服屋さんですか?」
「そうよ、うちのお得意様だから、乃菊ちゃんを紹介したいの」
「お願いします」
なつ枝の仕立て教室で一番若い乃菊。やや小柄で少女のようだが、美人で気も強く、活発で思いやりのある上に、仕立ての才能も高く、なつ枝のお気に入りの生徒なのだ。
教室終了後、なつ枝は乃菊を車に乗せ、園川鉄道八畑駅近くの自宅から、之口町を通って馬込川沿いを南下し、JR高架をくぐって駅南通りへ出る。
この通りは、普段から交通量が多く、花田屋へたどり着くのにもやや時間がかかった。
車は、ビルの裏手に回り、駐車場に入る。二人はそこから表側へ向かう。花田屋の正面玄関は、間口も広く、客を迎える店員もいる。看板は大きく、かなり遠くからでも見つけられる。扱う着物の量も多く、さすがに呉服店の多いこの街でも、一、ニを争う大きな呉服店である。
なつ枝は、乃菊を連れ、店の玄関の横にある階段を上がって事務所へ入った。
事務所に、社長の花田夕衣が入って来た。
「先生、お世話になっています」
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
清楚で着物姿の美しい女社長である。乃菊も一瞬でその魅力の虜になったようで、しばらく夕衣を見つめているだけだった。
「こちらは?」
夕衣が、なつ枝に尋ねる。
「私の教室で、今一番気に入ってる生徒さんの、菊野乃菊さんよ」
なつ枝がニコニコしながら乃菊を紹介する。
「そうですか、それなら将来有望な生徒さんですね。社長の花田夕衣です。よろしくお願いします」
夕衣は、笑顔で乃菊に頭を下げる。
「こちらこそ、まだ未熟ですので、ご指導お願いします」
乃菊は、深々と頭を下げる。そしてしばらく二人の世間話につき合う。
「じゃあ、菊野さんにお店をよ見て頂くわね、行きましょ」
3人は、階段を下り、通用口の方から店に入った。
「ここに来たのは、初めてよね」
夕衣が、乃菊に尋ねる。
「はい」
「お客様として見たら、どんな印象かしら?」
乃菊は、そう聞かれて店を見回す。
「外から見たスケールの大きさに合う着物の質や量で、ディスプレイも素敵なお店です」
「ありがとう、そんな感想を頂けるとは思わなかったわ。お世辞でも嬉しいわ」
3人の所へ、紬の着物を着た男が寄って来る。
「先生、どうも」
「こんにちは、ご主人さん」
少し目つきの悪い男だ。
「この子は?」
初めて見る乃菊に色目を使う。
「こちらは、先生のお弟子さんの、菊野さん。・・・専務の真佐雄です」
ご主人で真佐雄。ひょっとして社長の夫?・・・乃菊が思う通りで、真佐雄は養子である。
「お嬢さん、よろしくね」
いけ好かない男だ。乃菊の一番嫌いなタイプである。
「よろしくお願いします」
乃菊も笑顔で返す。
「菊野さん、あっちも見てくれる」
夕衣は、二人を引き離すように別の場所へ移動させる。
酷く他人行儀な夫婦だと思う乃菊だった。
「国也、もうすぐごはんだよ。終わったら来なさい」
時計を見る国也。
「もうこんな時間か・・・」
持っている反物を干したら、この日の仕事を上がろうと思う国也。
「公園の女性は、綺麗だったなあ、今までで一番じゃないかな、あの美しさは・・・」
「三嶋さんの妹さんも素敵だったなあ、結婚してさえいなければ・・・」
「本屋のあの子は・・・。綺麗や可愛いだけじゃ駄目だ!・・・でも、それはそれで魅力ではある。だけど、おじさんはないよな・・・」
クーっとお腹が鳴る。
「早く済ませて行こう!」
急いで反物を物干しに掛ける国也である。