事故
「母さん、この名刺見てよ」
居間でテレビを見ていた雲江に、あの男の名刺を渡す国也。
「何だい、これは?」
と言いつつも、その名刺に視線は釘づけになる。
「誰からもらったんだい?」
「誰からって、その人だよ。赤い髪に赤いシャツで赤いズボンの変な男だよ」
険しい顔をする雲江。
「知ってるのかい、母さん?」
「敵か味方か、それはわからないけれど、私たちに関係のある人物であることには、変わりないね」
と言うと、またテレビに夢中になる雲江。国也には、結局最上が何者なのかわからないままだ。
「仲介人て、何のだろう?」
国也は、名刺を見ながら考えてみる。
「結婚の仲介なら必要かもしれないけど、あの格好でそれはないだろうな・・・」
一人ブツブツ言いながら、部屋に向かう国也である。
次の日の夕暮時、いつもより早めに仕事を切り上げる夕衣。
「じゃあ、先にあがりますから」
夕衣が事務所にいる真佐雄に言う。
「ああ、たまにはゆっくりしておいで」
いつになく優しい言葉をかける真佐雄である。
夕衣は、バッグを持って事務所を出る。その後ろ姿を見ながら、真佐雄がニヤリと笑う。
しばらくして、田之中が事務所に入って来る。
「行きましたね」
真佐雄は、窓越しに駐車場に向かう夕衣を見ている。
「うまくいきそうですか?」
「五、六キロ走ったら、ブレーキが利かなくなると思いますよ」
「じゃあ、あとはどこで事故ってくれるかだな」
「奥さんに運があるか、ないかですね」
田之中の言葉に、不敵な笑みを浮かべる真佐雄。窓を見る眼は、瞬きするたび、瞳がワニのように縦に細くなる・・・。
途中で乃菊を乗せ、ホテルに向かう夕衣。
「急にごめんね。組合の関係でホテルの方から招待してくれて、乃菊ちゃんと一緒だったら行きたいなと思ってお願いしたの」
乃菊は、運転する夕衣の横顔を見る。とても素敵な容姿で誰もが憧れるような女性だから、乃菊も一緒にいることが心地よいのである。
街中を出て、少し民家の少ない郊外の県道を走る。夕暮れ時でライトを点ける。
「仕立ててもらった着物、見させてもらったわよ」
「どうでしたか?」
「先生のお気に入りの生徒さんだけあって、きれいに仕上がってたわ」
「ありがとうございます」
夕衣に褒められるだけで、光栄に思う乃菊である。
「あらっ!」
坂道のカーブに差し掛かり、ブレーキを踏むが利いていないようだ。
「どうしたんですか?」
「ブレーキが利かなくなったみたい!」
坂道のせいでスピードが増してしまう。カーブを走っているためハンドルを何度も切る夕衣。
「どうしよう!」
「坂道が終わればスピードが緩むかもしれませんから、それまで頑張ってください!」
サイドブレーキも利かないようだ。夕衣がパニックになる。
「たいへん、交差点よ!」
「大丈夫、青だから突っ切ってください!」
最初の交差点は、無事通過。しかしその先の信号は、黄色から赤に変わってしまった。このまま行けば赤の状態で交差点に入ってしまう。
「あっ、右からトラックが来る!」
運悪く青信号側のトラックが、夕衣の車に気づかずに交差点へ突入してくる。
このままでは衝突してしまう。余裕のない夕衣に代わって、乃菊がクラクションを鳴らす。しかし止まる気配がない・
「ぶつかっちゃう!」
夕衣がハンドルを握ったまま顔を伏せてしまった。
「・・・」
乃菊が、夕衣の腕ごとハンドルを回す。
「キャッ!」
夕衣たちの車は、交差点の手前で歩道を乗り越え、道路脇に立てられた看板の柱に衝突、勢いのまま横になって回転しながら、トラックの通り過ぎた直後に道路を横切り、水のない田んぼに突き刺さるようになってようやく止まった。
窓ガラスは割れ、ボディも傷やへこみをたくさん作り、泥まみれになって煙を出している。
トラック運転手や後続の車から降りて来た人、そして近所の人たちが、心配そうに集まって来る。
「怪我してるぞ、救急車を呼んでくれ!」
運転手が叫ぶ。
「早く出してやれ!」
何人かが、ドアを開けて中にいる夕衣と乃菊を車の外へ引っ張り出した。
「血だらけよ、死んじゃったのかしら」
婦人たちが話す。
「救急車は?」
「今、呼んだから!」
目の前の事故現場の惨状に、緊張の空気が漂っている。
やがて現場に救急車のサイレンの音が聞こえてくる。