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ミッシング

 鉄錆が幾重にも重なる学校の門扉の色は、本来はベビーピンクだったらしい。下校時には半開きになるのがこの小学校の常だった。そのおかげかこの数年間、門に面した大通りで交通事故に遭う児童は皆無だった。

 真音は額のあたりに鈍痛を感じながらも視線を遠くへやっていた。門のレールの部分に軽くつま先が引っ掛かった。オレンジ色の枯れ葉が、ゆらりと優しくふく風に小躍りしていた。

「…京子ちゃん、いない…。」

様々な色の帽子をかぶった児童が次々と門を通り過ぎてゆく。真音が話しかけようにも、彼らの方がはるかに現実の時間を生きていた。別世界のように感じた。真音は自分が得体のしれないガラスの外側に包まれて葬られているかのように感じた。

 門を出て、尾崎京子を探さなければ大変なことになるのだろう、きっと今行動しなければ後悔してもしきれないのだろう、フラッシュバックにも似たあの訃報欄、あのTV…。真音はふらつく足取りで、なぜか鋭く湧き出る勘を頼りに通りの向こうへ渡っていた。この先に、この先の角を曲がった向こうに尾崎京子がいるような気がしてならなかった…。

 学校を出てすぐ見える文房具店は、老夫婦がやっていた。駄菓子やゲームなども置いてあるので、上級生たちが学校帰りだというのに大っぴらに寄り道をしていた。灯台もと暗しとはこのことだろうか。ランドセルを背負っての店内は動きづらいのであろう、黒や濃紺のランドセルが店内のコンクリートの床に放置されていた。

「…こんなところに、まさかね。」

真音は横目で一応確認だけして足早に去った。

 歩道を横一列に歩く女子児童らを追い抜くには、タイミングをはかる技術が要った。なぜ児童らはこうも真っすぐに歩けないのだろうか。笑い合ってはふらふらと歩き、話があると言っては一人に寄り添うように固まって歩く。加えて、犬の散歩をする人や幼い孫を遊ばせる近所の老婦人。生活が、ここにはあった。

 3つ目の角に来た時、真音はためらいもなく右へ向かった。ここは少し道幅が狭いが車の通りは激しかった。この先にある大通りへの抜け道だからだ。自転車やバイクも容赦なく走る道には、コインランドリーや選挙事務所、小さな接骨院などがあった。歩行者の歩きを妨げるような位置にポストが立っていた。ふと、目をやった先に、見覚えのある後ろ姿があった。

 「き、京子ちゃん!!」

少し痰が絡んだような声をあげた真音は、駆けだしていた。よかった、とりあえず見つけた。そして、特に問題も起きそうにないこの小さな通りで確実に尾崎京子を見つけることができた。押し寄せる不安から解き放たれたような、泣きそうな、でも笑いそうな、何とも言えない顔になって真音はやっとのことで京子を捕まえることができたのだった。良かったのか悪かったのか他に方法はあったのかなかったのか、一瞬頭をよぎりはしたが、もうそんなことはどうでもよくなっていた。会えた。捕まえたのだ。

 「何?」

京子はきょとんとした顔で言った。無理もない。でも、よかった。生きてる。

「あ、あ、あのね、ああ…、ちょっと待って…。」

真音は急に息が切れ始め、おさまらない動機と戦っていた。座り込みたいのはやまやまだったがここで見失ってはいけない。目だけは大きく見開いて、はあはあと大きく小刻みに呼吸を整えるのに必至だった。京子にしてみれば身構えてしまうのは仕方がない状況だった。

「何、何?あたし何にもしてないよ?」

と京子は言った。じんわりと背中に汗を感じながら真音は大きく息を吸い、ニッコリ笑って言った。

「うん、京子ちゃんは何にもしてないよ。」

バイクが二人のそばを通り過ぎた。

「家、こっちなの?」

真音が聞いた。

「うん、大園町だから」

京子は言った。大園町…実のところ、真音には分からなかった。

「あ、じゃあ一緒に帰ろう。」

真音は京子と並んで歩きだした。

 大通りに差しかかる手前で、真音がふいにつぶやいた。

「京子ちゃん、今日さ、給食当番代わったじゃん?」

「え?…ああ、うん。塩谷君が風邪だから。みんなの給食に風邪菌付くから。」

京子が大通りの信号機を見つめながら言った。

(え…。塩谷君?)

「塩谷君て、塩谷君?」

真音は京子の顔を覗き込んで声を荒げた。

「そうだよ、塩谷君だよ、今日だけだし。やめてよ、別に違うし!」

京子は必死に肯定し、また必死に何かを否定しようとしていた。それが真音には意味深く感じられて話がうまく読めなかった。

「何が違うの?怒らないでよ。」

ぷいと顎をそらした京子が今にも走りだしそうだったので、真音は何とか引き留めようと必死だった。小学生、小学生の流行り、小学生の問題、学校生活、興味…。

「あ。」

懐かしくも恥ずかしい、新しい気持ちが真音の身体を吹き抜けた。小学生の女子、ムキになる、…好きな子。そうか、好きな子だ。ああ、誰にでもあるあの懐かしい気持ち。この世で一番大切なもの。好き。ただ単純に、自分の好きな子がカレーを好きと分かったらその日の夕食にどうしてもカレーが食べたくて、その日のメニューや目に入る全てのものへ悪態をつき憂さを晴らして母親を困らせたあのパワー。そっとその名前を書いたら世界中に知れてしまいそうでできなかった、でも自分の名前と並べて書いたら明日から両想いになれそうな気になった、あの時間。真音は両手を広げたいのを必死でこらえて、京子のプライドを傷つけないよう小声で言ってみた。

「京子ちゃん、あたし誰にも言わないけど塩谷君のことが好きなの?」

それを受けて京子は目を見開いて真音を見据えると口早にこう言った。

「あたし、塩谷君は好きじゃないし。あたしと塩谷君の仲がいいからって好きとかじゃないし。仲がいいなら田中君だって飯塚くんだって宮下君だって…!!」

真音は意外な答えにぎょっとした。

「別にそんなこと言ってないけど…、じゃあ誰かに冷やかされたの?塩谷君とのこと?」

真音はなんとかヒントを得たくてどうにでも取れるような言い回しをした。

「…この間、橘君とひとみちゃんが言ってたの聞いてないの?」

そう言う京子ちゃんはうなだれていた。

「…聞いてないけど?」

真音は心配するふうを装いつつも、内心では「当たった?」と思った。まずまずな展開かもしれない。

京子は後ろを振り返った。近くを通る児童は誰もいなかった。そしてそれに安心したのか、立ち止まって話を続けた。

「ひとみちゃんが白石君を好きなのは知ってるでしょ?でも、白石君が好きな子はひとみちゃんじゃない事が分かって、ひとみちゃん好きな子がいる女子に意地悪し始めたんだよ。」

「へえ。ひとみちゃん、振られたんだ。」

真音は小学生の恋バナにちょっと力が抜けてしまった。

「大きな声で言わないでよ!!聞こえるよ?」

京子が大声で怒鳴った。後ろに誰もいないんだし、聞こえるわけがないのに小学生は難しいなと思った。

「絶対そうだよ。」

京子は鼻に力を込めて言い放った。どこからくる自信なのだろうか。真音は京子のことを可愛いなと思った。

「意地悪されたの?」

真音は聞いた。

「そうだよ、あれは絶対そう!だって、橘君は幼稚園のときからひとみちゃんが好きなのは有名じゃん。でさ、ひとみちゃんは…。」

要約すると、ひとみちゃんを好きな橘君を使って2人は片思い中の女子に横やりを入れるような話だった。ひとみちゃんが廊下で「えー、橘はこの前京子と一緒に帰ったんだー。両想いなんじゃない?」とクラス中に聞こえるように言い放っていたとか。橘君はそんな変な作り話に付き合わされてでもひとみちゃんといられるので、芝居に拍車がかかる様子だと言う。とにかく全く嘘でもない話に大袈裟なことを付け加えて面白おかしく話をするそうだ。おかげで、好きな子にとんでもない誤解を与えてしまうと気が気じゃなくなり気持ちも行動もギクシャクしてしまうのだとか。恋愛感情がある場合はもちろんのこと、仲が良い男子女子というだけでもエサにされ、被害者も多数出たとのこと。

「だから、あたし新しい消しゴムに望月君の名前書いたの、ケンタロウの方じゃなくてマサキの方ね。」

と京子が言った。そう言えば、昔流行ったな。消しゴムに好きな子の名前書いて誰にも触らせずに使い切ったら恋が実るって。でも、ちぎれたり失くしたりするのがオチなんだよな。知っててわざと消しゴム奪い取る子もいたし…。

「へえ…。」

気のない返事をした真音は頭の中で夢中になって考えていた。

(ということは京子は塩谷君のことを…?というか、塩谷君て、まさか…?いや、偶然…だよね。)

「あーあ、あんなこと書かなければ…、ああっ!!!」

京子は突然あたりに響き渡るような大声をあげた。大人たちが振りかえった。真音も驚きながら、しかし周りの反応にバツが悪そうにわざと大きな声でこう言った。

「どうしたの?どうしたのいきなり、京子ちゃん?」

京子は真音の腕をギュッとつかむとこめかみのあたりをひきつらせながら、

「あたし、その消しゴムを給食当番のポケットの中に入れたままだった!」

と言った。

 急に給食当番を命じられた京子は手も洗わず白衣に着替え、それを担任の先生に咎められてあわてて手を洗った。その時に「望月正樹」と書いた真新しい消しゴムを白衣のポケットに入れてしまったのだった。もとはと言えば、その白衣は塩谷が係の白衣だ。明日、塩谷はその白衣に袖を通すだろう。もしくは誰かが塩谷の代わりをするのだろう。どちらにしても、誰にも知られないように取り返さないと面倒なことになりそうだ。朝から自分が係でもないのに白衣をあらためるのは目立ち過ぎる。それこそ、ひとみと橘に見られたら…。

 「塩谷君に見られちゃう。」

京子と真音のどちらともなく、そう言った気がした。京子はくるりと向きを変えるといきなり走りだした。爆音とともに黒っぽいワゴン車の側面が二人の目の前にあった。

「危ない!!」

真音は京子のランドセルにぶら下がるマスコットを右手で手繰り寄せた。京子は後ろに大きく揺れて立ち止まった。真音の横断バッグがワゴン車にかすった手ごたえを残していた。

「…ありがとう。」

京子の目は不安におびえ、真音の後ろを見つめているようだった。真音も、京子を見つめてはいたが心ここにあらずの状態だった。

「あんたたち、ふざけてると危ないよ!」

郵便局の駐輪場から自転車を出そうとしているおばさんから注意を受けた。

「すみません。」

真音は軽く頭を下げると、京子と一緒に学校へと向かい歩いて行った。オザキキョウコ、キョウネン10サイ…。真音は、何かがどこかでつながったように感じた。

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