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真音、再び

 土臭くひんやりとした廊下。児童がいないだけで建物内はこんなにも息遣いが変わる。時折、「さようならー」と天井を突くような声が聞こえる、小学校の放課後の校舎内。廊下の窓から見下ろすと、学年色の帽子をかぶった児童たちが声をあげ、ある児童たちは遊具で遊びある児童たちはランドセルを背負いながら下校の道のりを楽しんでいた。どの児童らも楽しそうに行き交っていた。真音は、廊下の柱に背を当てて女子児童を待っていた。廊下を歩く職員が、真音を見て軽く会釈をして通り過ぎてゆく。ワンピースにトラディショナルなバッグを持った真音はきっと保護者の一人と思われていたのだろう。気の抜けたチャイムが校内に響いた。

 いくつか先にある、教室のドアが開く音がした。一人の女の子が小走りに出てきたのを見た真音は、瞬時に確信した。

(あの子だ…)

少女が近づくタイミングを見計らい、真音は半歩近寄った。

「尾崎さん、尾崎京子ちゃん」

真音は少女に言葉をかけた。

「…はい」

少女は返事はするものの、見知らぬ真音にぴんと張り詰めた緊張感をあらわにし上目遣いで体を固くした。無理もない。

「…あのう、あなたは今から帰るの?」

「はい」

「あ…、えっと、忘れ物とかないかなあ…」

と、真音は右耳に髪をかけながら少女に言った。自分でも不自然に感じるひきつった笑顔。この気まずい空気をなんとか打破しなければなるまいと必死だった。

「…」

「あのね、違うの、あなた…尾崎さんって給食当番のとき、あ、ほら、あなた給食当番代わったでしょ、その時に…」

少女は真音をじろっと見据えながら素通りしていった。無理もない。少女は大人である真音とは初対面であるのだし、昼間の教室内でのやり取りを口にされたのだから、不審がられて当然だ。真音は言葉を失ってしまった。律義な態度は取るが、損得で物事を判断する様はさすがに小学生、少女は振り向きもせずに帰って行った。その瞬間、全てが台無しで全てが終わってしまったと思った。やりきれなさが言葉になった。

「ああ、もう!」

廊下を通る学校職員がいぶかしげに真音を見た。真音は慌てて会釈した。顔を上げると少女の姿はなく、わずかな間に見失ってしまった。ものごととは思いどおりにはいかないものである。

 真音は校舎を出ながら塩谷に電話をした。電話はすぐにつながった。

「彼女を見失っちゃったんだけど…。なんか、あんまりうまく言えないし、私どうすればいいの?」

息が乱れる。渡り廊下を左に折れると校庭を見渡すことができた。数人の児童が遊んでいたり下校途中だったりで、走って追いかけるには誰が彼女なのか見当もつかないので諦めの境地だった。

「あの子は正門から帰るんです。急いで。時間がありません」

普段は冷静に聞こえる塩谷の声が、今回ばかりは感情的になりつつあった。それが真音の不安をより一層書き立てた。

「何?何があるっていうの、あの子に?」

真音は吸い込まれてゆくこの世界に自らの素をさらけ出すことに、もう何の疑問も持たなかった。

「言ってくれないと分からないじゃない!!」

正門はどこか。体育館の前に広がる空間、生い茂る桜の木々。あった、あれが正門だ。そこへ向かう一人の赤いランドセルの児童。彼女だ。

「車の通りが激しいんです、あの道は彼女のうん…、でももしも、あなたが彼女を…たら…」

塩谷の声が、またとぎれとぎれになってゆく。

「ちょと、塩谷さん!こんな時にふざけないでちょうだい。何言ってるんだかさっぱり分からないわよ!!」

一点を、赤いランドセル一点を見つめた真音は語気を荒げた。二度と同じ不安を被ってたまるものか、二度と…。いや、塩谷は何を成し遂げたいのか、何が自分にできるのか、自分は何の役に立とうとしているのか、何に対して必要とされているのか…。

「塩谷さん!ねえ!聞こえないっ!!」

あと、数メートル。その時、真音の目にするもの全てがグレー一色に染まった。桜の木、体育館の、何もかもが。ランドセルを背負った、あの少女までもが…。


 それは新聞の一部だった。普段は目にすることもなかった「訃報欄」であった。真音は実家にいる時ですらそこまでは目を通すことはなかった。意識してみることはなかった、必要がなかった。ただ、たまに目にすると「今日もこんなにお葬式をするんだな」くらいにしか思わなかった。他人の不幸なんてそんなものであろう。

柔らかな窓越しの光りだろうか、新聞の紙面は優しい質感で装飾されていた。新聞紙の独特な風合い。読みにくく読みやすい。真音は文字の流れに目をやっていたにすぎなかったのだが、ある訃報欄の一行に目が釘付けとなった。

「尾崎京子享年10歳」

真音は何度読み返しただろう。目をそらすことができず、何度読み返しただろう。

(おざききょうこ、きょうねん10さい…)

やっと目を離せた瞬間、テレビの画面とアナウンサーの声が真音の自由を奪い取った。

<昨日、4時ころ、市道を横断中の女子児童が、普通乗用車にはねられ、病院に搬送されましたがまもなく…>

「えっ?」

テレビ画面を見つめなおした真音だが、病院へ搬送後どうなったのか聞き取れなかった。画面は地元のニュースを終え、色とりどりのCGを巧みに扱ったCMへと切り替わっていた。

(おざききょうこ、ふつうじょうようしゃにはねられ、びょういんはんそうごに…)

真音は後ろを振り返った。色を取り戻した校庭が、そこにはあった。


 管理下ではあるが、解き放たれた時間帯。小学校の放課後は、馴染みやすくそれでいて個々の自由が約束されていた。真音は、体育館の裏に隠れた。ポケットから出したのは赤いカプセルと白く小さな錠剤。二度と見たくもないものだったが、この2つこそが細く切れそうな世界との「最後のかけ橋」なのだ。真音は唾液をため込むと、いとも簡単にそれらを口の中に放り込んで飲み込んだ。

(今度塩谷さんに会ったら、この薬をOD錠にするかミント味にするか、提案しなくちゃね)

うつろになりつつある意識の中、バッグに詰め込んだ小学生である真音の服を取り出しながら真音はため息をつくかのように笑った。

 そして、再び時間ときは動き出した。

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