九話
今話はまるまる主人公の独り言でございますが、楽しんでいただければ幸いです。
のぼせ上がりベットへ運ばれ、夫婦そろってお昼近くまで微睡んでしまった。
「……」
なにか、夢を見た気がした。ぽやぽやと暖かなお湯の中で……そう、なにか
「どぉら?」
思い出せそうで思い出せない、眉間に皺を寄せ身体を起こそうとして私は失敗した……。まただ、またドーラが私の腹を撫でている。
「……はぁ」
なんだろう?朝風呂の時からやけに人の腹を撫でるなぁ……私って痩せている方だと思っていたけど、そうでもなかったのかね?それともがりがりの奥さんは嫌ですって言う意思表示か?
……腹、ねぇ?と一応気になったもので、自分でもぺったりどころかがりっがりの骨が浮く腹を撫でさするけど、特に何か異常が感じられると言うわけでもない。
「リィ、リリィ……」
はいはい、何ですか?夢でも見ているのだろう。寝言で私の名を呼ぶ大柄な夫の顔を見つめ、その額を撫でるためにぎりぎりと手を伸ばす小さな自分。
ん?……意味もないのに妻の腹を撫でる夫。
「……ん?!」
え?それってどういう事?あれ?私って奥さんだよね?それでドーラは旦那さんで……
「……」
私はそっと、いまだに人の腹を撫で続ける夫の手を掴み、ぺいっと投げ捨てる。
そして柔らかな毛布の中、深く潜り身体を丸めて縮こまると瞳を固く閉じて……。あれ?それってそう言う意味だったの?って言うか、もしかしてこの腹にはもうすでに子供がいるんですか?え?え?どういうことだ?
動揺しはじめてどれくらい時間が経過したのかなんて私には分からないけど、とりあえず息苦しくなってきた。そして……あぁもうっ!!と、わけが分からなくなった私は苛ついて被っていた毛布を蹴飛ばし、こんな時の為にと手に入れてはいたものの、全く使用していなかった踏み台を使い必死に足を延ばしベットを下りると、いまだに惰眠を貪る夫を一瞥しその場を後にした。
_____きょろきょろと周囲を見渡し寝室のドアから顔だけを出す私。誰もいないのを確認し、寝室を出るとそっと静かにドアを締め……呼び鈴の置き場所を見て顔を顰める。
「……」
とりあえず、ユーユじゃ若すぎて相談の相手としては役不足な感じが否めない為、マリアンさんに会わなきゃ。
ドーラはいつも人を呼ぶ時暖炉上に置いてある呼び鈴を鳴らす。でも私は小さくて暖炉に手が届かない。それは踏み台があっても結果は変わらないだろうし、もし物音をたててドーラが起きたら面倒くさい事この上ないから却下。かといって……ちらりとリビングから廊下に繋がる扉を見るけど、あれは両扉でしかも分厚いから重すぎて私じゃ押したところでビクともしない。
「はぁ」
初めからドーラに聞けばいいのに、なぜか聞くのが怖い。何が怖いのかと聞かれても、自分でも分からないのだけど。……それがいったいなんなのか分からないことが怖いのかもしれない。
「……」
遠い目をしつつ、もうなんだか疲れてしまったので……とりあえずリビングに置いてあるふかふかのソファに腰を下ろし、私の身体には大きすぎるくらいのクッションを一つ抱き込んで。
こうして一人でいると嫌なことばかりが思い起こされて暗くなるなぁ……。なんて、天井を見つめながら脳裏を過るのはこの世界に来たばかりの頃。あぁ本当に……苦しいことも辛いことも沢山あった。突然何不自由ない所で生きていた現代人が路地裏に放り出されて浮浪者に成り果てて、今まで食べたことのない半ば腐りかけのごみを漁ったり、時には変態さんに襲われかけたり、こっちの人間同様大型の野良犬に食われかけたり、奴隷商に捕まって死にかけたり。保護されてからも、栄養失調とか奴隷商に捕まって縛られていた影響で手足が暫く動かなくて食事療養とリハビリに時間を費やして……。
あの頃は本当に、周りのみんなが一生懸命なのに反して私は、心を捨てかけていた。助けられたと言っても、言葉は通じないままだし、男も女も動物も何一つ私と同サイズの生き物が存在しないこんなわけのわからん世界で……いったい何に希望を見出せって?みたいに何もかもに興味を持てずに、寝て、食べて、まぁ貰えるモノはもらいます精神で与えられた風呂や食事を満喫しつつも、やっぱり心のどこかで、何時放り出されるのかと……その不安定な足場に怯えていたと思う。
そんな時、突然私に与えられた客室へ顔を出した無精ひげを生やした初老の軍人が、ドーラだった。白い髭を梳きながら、偉そうな軍服に身を包んだまま人の部屋に足を踏み入れ現れたドーラは初日、部屋を見渡し私を視界に入れるや否やさっさと踵を返した。……今も思うけど何しに来たんだ?
次の日は幼児用の絵本片手にやってきて、私が何も言わないのを良いことに勝手に膝にのせて絵本を朗読し始めるし。その次の日も、そのまた次の日も、厳つい顔の偉そうな軍人は私の部屋へ勝手にやって来ては絵本を読み聞かせ帰って行った。そんなことが私の毎日の日課になりつつあったある日、ドーラはまた勝手に部屋に侵入した。だけどその日は、見たところ絵本を持参してはいなかったようで、彼はいつもの様に私を膝にのせると……あれが初めてだったと思うけど自分や部下の失敗談を話し始めた。ただ、ぼぅっと何の反応もせずに、彼の膝の上で話を聞き流していた私には正直、どうでも良い内容だったけど。それでも、毎日、毎日、日を置かずに現れて私を幼子の様に散々甘やかして、まさか私を自分の子供や孫と勘違いしてるんじゃ?そんな心配をしてしまうほどには、彼も、彼に使える使用人さん達も優しすぎた。……うっかり閉ざしていた心を許してしまうほどには。
「……ふふっ」
そして、あの日。いつも通り突然部屋に侵入した彼に、下手くそな絵やジェスチャーを一生懸命使って遠乗りに行こうと誘われるころには、もうきっと……お互い恋に落ちていたんだと思う。
「……そう、かぁ」
もう、世界とか歳とか体格とか、そんな違いに戸惑うような繊細さなんて持っていたら結婚してないよなぁ……。本当に、今更じゃないか?浮浪者生活も奴隷商に捕まって地下牢で死にかけるなんて事件も経験したし、異世界婚しておいてこれ以上驚くような出来事はまぁ、起きないだろうし。と言うより起こられても困るし。
うぅん、と伸びをして一息つくと頭もスッキリするもので。ま、とりあえずは私の腹に宿ったらしい赤ん坊について……今度はドーラにどう伝えたものか悩みます。