六話
*****ドーラ・キルシュ・ノールブルク
静かに進む馬車の小窓、何時の間にやらそこへ映る外の風景は一の門に守られる平民達の土地を抜け、二の門を潜り貴族層が住む煌びやかな土地へ、帰ってきていたようだった。
「……マリアン、屋敷へ戻り次第リリィの身なりを整えてくれんか?儂は、王宮と王宮医療院へ宛て手紙を書かねばいかんのでな」
「はい、では御夕食はいかがいたしますか」
「あぁ、食事はいらん。少し、疲れてしもうたようじゃ……儂ももう歳かのぉ」
リリィの髪を梳き、頬を撫で、小窓の外へ視線をやりながら、儂はマリアンへ指示をだす。
「じゃがお前たちは儂等を気にせず、食事をしなさい。それから、リリィを寝室へ寝かせたら皆に休むよう言ってくれぬか……本来ならば皆を労うべきなのだろうが、それも明日にさせてもらうと」
「……承りました。しかし、どうかドーラ様も、お身体を御労わり下さいまし」
儂は何故だか、心配をかけたらしいマリアンのその言葉には目もくれず、返事を返さず、また視線流れる町並みを見つめていた。そうすると、いつの間にか屋敷へと到着したようで、馬車の振動も止まっていたようだ。
_____どさっ、と音を立て、いつもの通り、書斎にある重厚な椅子へ腰を掛けた。
「さて、どうしたものか……。王宮へはリリィの発見とその無事について、そして儂の休暇願いを認めれば良いが。王宮医療院へ同じ内容で済ませると言うわけにもいかん……むしろ見つかったと聞くや否や、治療を口実に明日にでも押しかけてきそうじゃなぁ」
ぎし、……我が家の当主へ代々受け継がれる樹齢幾百年の老木で作られた巨大な執務机が軋む。
「……ふむ、王宮への手紙に、医療院へ口添えを頼めばいくらかましかの?」
内容に悩みながらも、時間短縮の為決まったことから筆を動かし認め、引き出しから封筒と蜜蝋、印を取り出す。
「……うむうむ、これで良いじゃろう」
溶かした蝋を垂らし、家印を押し付ける。
卓上の隅に置かれているベルを二度ならし、音を立てず入室してきたジャオへ手紙を二通手渡す。
「すまんな、これを頼む」
「確かに、御受取りいたしました。すぐにでも馬を走らせましょう」
「それが済んだら、ジャオも休め」
そう言葉を切った儂は、部屋にジャオを残し二階にある私室へと歩調を早めた。
_____かちゃり、ノブを回し室内へと足を踏み入れるが、室内は真っ暗で人の気配は感じられず……。
「……リリィ?」
毛の長い絨毯が敷き詰められているため、物音を立てずに部屋の奥、寝室へと進む。
……少し隙間の空いたドアを、とん、通せば視界は開かれ、寝室の奥に設えられた大型のベットの上に、ベランダから差す月の光を一心に浴びながら、彼女は眠っていた。
「ふ……まだ、眠っていたか」
そっと近づき、いつも通りメイドたちによってふかふかに纏められたクッションやシーツに埋もれ眠る愛妻を抱き上げる。
「……無事見つかり、本当に良かった。リリィ、君にこのような難しい言葉はいまだ伝わらんのだろうが、屋敷を抜け出しいなくなったと報告を受けたあの日は肝が冷えたわい。幾日も幾日も探し回り、見つからずに、まるで気が狂うかと、思ったものじゃ……。なぜ、いなくなった?……儂が、嫌になったかの?子を成すのが、怖いのか?……言葉が通じんと言うのは、可愛らしい反面、こういった際にはとんと不便だのぉ……」
儂はそのまま、ベットヘッドを背に座りこみ、ただ……心健やかに眠る彼女の身体を抱きしめた。
「……っん」
その時、リリィが辛そうに声を上げ。
「リリィ、……怖い夢でも見たのかの?」
時たま、リリィは真夜中に苦しそうに目を覚ますことがある。以前治療中にその話を伝えれば、王宮医療団の連中は、彼女が一族の者を失った時の悪夢を見ているのだろう、そう診断を下した。それゆえ、彼女が魘されるたび、儂は飛び起き安心させようと腕の中の彼女をさらに強く抱きしめるのだ。
「……どぉら、く、るし」
おっと、今日は力加減を間違えたらしい。……普段はジャオなどにも注意されるため、柔らかな果実を掴む訓練に勤しんでいるのだが、最近は忙しく忘れておったな。
「おぉ、すまんすまんっ!……大丈夫かの?」
儂は、訓練を怠っていたことを思い出し、感覚を思い出そうとまず彼女をそっとベットへ横たえた。
リリィは大きなシーツへ包まれ苦しいのか、もぞもぞとなかを動き回っている。儂は、と言えば……両手をにぎにぎ、と握り直し、このくらいで合っていただろうか?と彼女に触れて良い握力を思い出していた。
「だ、だいじょぶ?」
すると、いつの間にかシーツから抜け出したリリィは、彼女こそ悪夢に魘されておったと言うのに、ただ両手の拳を握りしめ力加減の練習を行っておった儂の心配をし、声をかけてくれた。
「……あぁ、儂は大丈夫じゃ。リリィは優しいのう」
自分の事よりも、年老いた儂の事を心配してくれるなど、なんと良き妻だろう。思わず、微笑んでしまうほどには、嬉しい出来事であった。
「どぉら、いえ、かえる、いった」
微笑ましい気持ちのまま、彼女を見つめていれば……リリィはいつもの様に簡単な単語を並べ、儂へ何かを伝えようとしている。……ふむ、かわゆいのぅ。
「っ……」
「おっと!リリィ、このような不安定な場所で急に立ち上がってはいかんぞ?落ちて怪我なぞしたものなら、皆が心配する」
突然彼女はそれまで座り込んでいたベットの上に立ち上がろうと腰を上げたのだが、婚姻の際に新調したふわふわのマットへ足を取られ、がくん、と膝が折れ……危なく床へ落ちるところであった。
「ご、めんなさい」
「かまわんよ、リリィが無事ならば。それで、どこへ行くつもりかの?」
儂が腰を支え、ゆっくりとその行動の先を問えば
「ん、みん、な……りりぃ、しんぱい」
彼女はメイドや執事や仲の良い使用人へ謝罪したいのだと、そう告げてきた。のだが……彼女は元々小さく可愛らしいその容姿を理解しておるのだろうか?精一杯儂の顔を見上げ、潤んだ瞳も、ナイトドレスの襟から覗くその柔らかそうな肌も、全てが儂へさらけ出され……。ごほんっ、儂以外の男子には決して同じことをしてはいかんと伝えておかねば!!
「……っ、リリィ、今日はもう遅い。皆には休むようにと、そう告げたばかりだからの。謝りたいのなら明日にすれば良いと、思うぞ」
……どうしたものか、彼女は先ほど帰ったばかりだと言うのに。儂と言う男は!!
良い年をして動揺を隠せぬ儂は、つい彼女を支えておった両手を離し、気が付けばトレードマークとも言える白髪交じりの髭を忙しなく梳いていた。
「……わ、」
「……っ」
そして、勢いよく座り込んだ愛妻のスカートは捲れ上がり……見えた白い太ももに、儂の年老いた理性は意味をなくした、とだけ言っておこう。