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四話

 *****ドーラ・キルシュ・ノールブルク視点


 「荷は全て積み終えたか?」


 愛妻であるリリィをその腕にしっかりと抱き、彼女が隠れ住んでいた小さな木造の家を出た。そして周囲を見渡せばすでに人だかりが……。

 そうだ、ここは儂等の屋敷がある貴族層の土地ではないと言うのに、突然このような平民層の家々が立ち並ぶ土地に騎士やメイドが駆けつけ、この家がある道の先、大通りには我がノールブルグ家の印が焼かれた馬車まで止まっているとあって噂付きの人々が集まり始めていた。


 「荷は積み終えましたが、この人の多さでは……馬車へたどり着くにも一苦労です」


 本来ならば、リリィの顔を見られぬよう家のドア前に馬車をつけ、素早く乗り込み帰途に着く予定だったのだが。この辺は狭く、馬車がこちらまで入ってこられぬため、自分の足で人だかりをかき分け歩くしかない。


 「全くだ、まぁ良い。リリィは小さいからの、こうしてシーツに包まり儂のような巨体が抱き上げれば顔など見えやせんだろう」


 部下たちよりも頭一つ高い所から、儂はそう告げ足を踏み出した。

 ざっざっ、と儂を囲むように配置につく部下とメイドたち。


 「ご主人様、奥方様のご様子は……」


 歩き出す儂の背後から問うその声は、リリィへ付けたメイドの一人……名はユーユと言ったか。


 「今は眠っているようだ。きっと、疲れているのだろう……」


 ちらりと白いシーツの隙間から見える美しい黒髪は、すぅすぅと規則正しく上下している。その穏やかな呼吸を腕に感じ、あぁ、先ほどの怯えは儂へ向けられていたわけではないのだと、ほっと胸を撫で下ろす。

 そしてふ、と考えてしまう……。もし、万が一彼女が儂を恐れ、あの美しい漆黒の瞳から涙を流すようなことがあれば……と、己のもっとも恐れる妄想へ取りつかれかけたその時


 「ドーラ様、御足もとにお気を付け下さりませ」


 ノールブルグ家の執事長であるジャオが深みのある低い声でそっと注意を呼びかけ、はっと俯き気味であった顔を上げれば……目の前には見慣れた我が家の印が焼かれた馬車が。


 「……あぁ、少し、物思いに耽りすぎたようだな」


 儂の腕の中、身動き一つせずに眠り続けるリリィを見つめ……。つい三年前の儂であれば、五十を過ぎてなお鍛錬や戦しか知らぬ自分が、まさかこの先、こんなにも心揺れる相手に出会うなど、妻として迎え入れるなど、考えも及ばなかったであろう……と思い返す。婚姻が決まった頃は年老いた初老の男が今更、と噂され、酷い言葉を投げつけられたことも一度や二度ではない。それでも儂は、一度この腕に抱き恋した愛しい女性ひとを手放すことが出来ず……恥も外聞も投げ捨て、やっと手に入れた妻を失う恐怖に、こんなにも動揺し怯える夫を知ったなら、リリィは何を思うのだろう?


 「皆、今日は良く働いてくれた。後日浴びるほどの酒を贈らせてもらおう」


 腕には愛する人を抱き、そんなことを考えているとは考えもつきもしないだろう部下へそう告げ、儂は馬車へと乗り込んだ。





















 _____がたん、ごとん、がたん、ごとん


 屋敷へと走り出した馬車の御者台には執事のジャオと御者兼馬小屋世話人のリャク。馬車内部には、儂とリリィ、そしてリリィ付きメイドのユーユとメイド長のマリアンが同席している。


 「ご主人様、このような場で差し出がましいことを申しますが……奥方様は、やはり例の件が御嫌でいらしたのでは」


 数分か、数十分か、誰も口を利かず、深々と静まり返っていた室内に、彼女には似合わぬ弱弱しい小声でそう進言したのは……メイド長であるマリアンであった。


 「マリー様……そのようなこと」


 マリアンのその一言は王宮を、ひいては王族を非難したと取られてもおかしくはない内容である。まだ年若いユーユでも、その言葉に同意すると言うことがどういう事態へと繋がるのか瞬時に理解出来たらしい。青褪め、そわそわと小窓を気にし始める彼女だが、走り出した馬車の中で交わされる会話など誰の耳に入ろうか。

 そして、言葉では否定していても、徐々に俯くユーユの悲しみに暮れるその表情を見れば、誰でも彼女が本当のところどう思っているのかくらい想像がつくと言うものだ。


 「……ユーユ、貴方はまだ若く経験も浅い。使える主人が自室から居られなくなられた事態に気づくのが遅れるなど、本来ならば有ってはならぬ大問題です。今回は奥方様の置手紙も見つかり、無事保護も終え、旦那様の寛大なご処置でお許しを頂けたとはいえ、次はないものと思いなさい」


 「……は、はい」


 マリアンは彼女の言葉など聞いてはいないとばかりに厳しい声音でユーユへ告げると


 「此度の件を、旦那様はどうお思いでございましょう?」


 くるりと首の向きを変え、続けて儂へと問うてきた。


 「……ふむ、そうじゃなぁ」


 マリアンとユーユの視線を感じつつ、リリィにかかるシーツを少しずらし、いつ見てもまるで濡れているかのようにつやつやと輝くその髪を梳き、額へと口づける。


 「確かに、リリィは黒の一族唯一の生き残りであるが故に、子をなさねばならぬ。……まったく、医療院の連中にも困ったものだ。最初はじめは、ただ衰弱したリリィの治療の為だと申しておったと言うのに、儂と婚姻を結んだとたん、今度は子を望むか……」


 髪を梳いていた手のひらを、今度はリリィの頬へを滑らせる。


 「旦那様、それでは奥方様があんまりにお可哀想ではございませんか……!この国の戦の為、血縁者全てを亡くされて、食べる物も住む場所も、言葉や笑顔さえ、何もかもを奪われたと言うのに……今度はいまだ存在さえしていない赤子まで奪おうと言うのですかっ!?」


 マリアンは普段見せない感情的なまなこで儂を睨み、ユーユはその隣で瞳を潤ませ、唇を噛んでいた。


 「そう興奮するな、リリィが起きる」


 「っ……わたくしは、先ほど、怯える奥方様を拝見した際、肝が冷えました。まるで、初めてお屋敷へお越しになられたあの頃へ、奥方様の御心が戻ってしまわれたのでは、と」


 そう声音を押さえ話すマリーの細い腕の先、膝へ重ねられた指先は小刻みに震えていた。


 「……王宮医療院へは使いをやろう。暫く顔を出すな、と。どちらにせよ、此度の件についてリリィと

良く話し合わねばならぬしな……彼女が落ち着きを取り戻し、子について考える余裕が出てくるまで」


 体調については問題ない。あの頃の様に常に医師を必要としているわけでもない。医師団が月に何度も屋敷へ訪れる必要も感じられぬ。リリィの笑顔を曇らせる奴らなど、いっそ二度と顔を出さねば良いものを!


 「……どぉ、ら」


 物騒なことを考えたせいか、腕に力でも籠ってしまったのか。瞳を開く様子もないリリィが愚図るように、舌足らずな言葉で無防備にも名を呼ぶもので、つい誘惑に駆られ、マリアンやユーユがいることも忘れた儂は、最愛の妻へとそっと、心からの愛を込め、口づけを落とした。


 「リリィ、愛している」


 だから、どうかこの先、彼女が儂から離れることのないよう……。そう、祈りながら。






 

  


 


 


 

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