十一話
「……」
かちゃかちゃと食器の擦れる音だけが響く食堂内。
私とドーラは向かい合い、食事をしていた。
「……」
いつもは何だかんだと騒がしい朝の食事風景も、私が悩み続けて難しい顔をしているせいか今朝は何故か静まり返り使用人さんたちも壁際に控えたまま身動きすら見せない。
その時、私の背後に大きな影が落ち
「奥方様、おはようございます。遅ればせながら昨日のご無事のご帰還をお祝い申し上げます」
にゅ、っと顔を出したのは我が家の料理長を任されているゴンゴレス・レスレト。身長は詳しくは知らないけどドーラより頭二つほど大きい。兎に角巨大すぎて私には壁にしか見えないけど、しゃがんでもらってちゃんと顔を見せてもらえば鮮やかな朱色の髪をした結構な男前なのだ。
「あ、ごん……あり、がと?」
あ、ゴンゴレスって普段は呼びづらくてゴンって呼んでます。
「いいえ、感謝の言葉など必要ありません。俺は奥方様に帰って来て頂けただけで十分でございます」
すっと私の右に滑り出たゴンはそのまま言葉を続け
「しかし、いつもは俺の作った料理を幸せそうに食べて下さると言うのに……今朝はやはり体調が崩れませんか?先ほどからあまり食が進んでいらっしゃらないご様子ですか」
……?やっぱり難しい言葉は聞き取れないなぁ。
「……あぁ、そうでした。おくがたさま……なにか、なやみごとでも?」
聞き取れなくてどう返事を返したものか考え込むと、ゴンはそのことに気が付いてもう一度ゆっくりと繰り返してくれた。ドーラなら絶対気が付かないだろうに、本当にゴンは優しいなぁ。
「な、やみごと……?んぅっと」
右側に立つゴンと話しながら、正面に座りこちらを見つめるドーラをちらちらと気にしながら腹をさすり。
どうしたら伝わるんだろ?赤ん坊・妊娠・懐妊と言った単語はもちろん教わっていないわけで。しきりに腹をさすりながら視線はドーラとゴンを行ったり来たり……どうしたものか。
「……はらぐわいでも、わるいのかの?」
正面に座るドーラが心配そうにそう聞いてきたけど、いやいやいや!!全然違うから!!と言う意味で首を振る。
「そうか」
「ではおなかがいっぱいなのでしょうか」
それも違う!!!また首を振る。
すると見かねた若いメイドさん達が壁際から一歩前に出ると
「「もしや、あれでは?」」
いやいや、それも違う!!
「うぅん?」
もう、どうすれば良いのか……あ!!あれだ!!!
以前マリアンさんとユーユが作ってくれた異世界版のあいうえお表!!
「ゆゆ?」
マリアンさんは表が無くても何となく察してくれるから、いつもはユーユのメイドエプロンのポケットに常備されているため彼女を視線で探す。
「っはい!!」
ぼぅっと天井のシャンデリアを見つめていたユーユは名前を呼ばれて驚いたらしくとんでもなく大きな声で返事をしたものだからその場にいる全員の視線を集めてしまい顔色も赤くなったり青くなったり忙しない。
「ゆゆ、ぽんぽ」
ユーユ、お腹のポケットのやつ出して!!と両手を差出し
「あ、はい。ええっと!お勉強表ですね!?」
と皆に見られて焦っているのかポケットの中をがさごそがさごそとひっくり返していて、たまにふさふさの絨毯に落ちるのはゴミなのか何なのか。一向に望みの物が出てくる気配がない。
「……」
時間が経つにつれ、皆の視線が強くなり……ついにマリアンさんが動き出した。
「ユーユ・ケードリン、貴方はメイドのポケットを何と思っているのですか?先ほどから出てくるのは丸められた紙や良く分からない布の切れ端。いつも身支度はしっかりするように言い聞かせて」
「……マリアン、その辺にしておけ」
長々と続きそうなマリアンさんのお説教に、またしてもユーユの顔色は赤と青を行ったり来たり。それを見かねてドーラがマリアンさんを止めてあげたけど、ユーユは今にも泣きだしそうな空気。
こういう天然系の子って世界が違ってもやっぱりいるものなのねぇと思いながら。とりあえず、私は!表!!表が欲しいの!!
「……ゆゆ?」
「はい!!今すぐ!!」
そしてばっと差し出された表を食堂のテーブルに広げ、ドーラにも見えるように指を差し始めた。
……ごくりっ!!唾を飲む音が聞こえ、
「……」
表にはご丁寧にも人間の身体の絵や動物、他には小さな赤ちゃんの絵も描かれている。
まずは、女の人の身体の絵を指し。腹の部分を念入りにぐりぐりとほじくり。その横にある赤ちゃんの絵もぐるぐると囲む。そして顔を上げ、満足げに周囲の人の様子を見れば……む?
「……」
皆、なんだか微妙な様子で私を見ている。喜んでいる人もいれば、喜んで良いのか周りの様子を窺っている人もいるし、本当なのか疑っている人も……。
するとドーラが、
「リリィ、儂が子を産んでくれと頼んだからじゃな……。」
しんみりとそう零したので。いやいやいや!!違う違う!!本当だから!!多分本気で妊娠したの!!そう心で叫んでももう遅い。
周囲はやっぱりそうかって、ちょっとだけ残念そうに、でも微笑ましいみたいな視線を向けていた。
……はぁ、やっぱりこうなるのね。
「……どぉら」
上手く行きそうだったのに……結局こうなるのか、いつになったらドーラの喜ぶ顔が見れるやら。