一話
「こわい、こわいの……」
舌足らずな口調で、怯えたように後ずさるあたしを見て、痛ましげにその瞳を伏せる男とメイドたち。
「……リリィ、すまない。にをはこびだせっ」
小さく謝罪を口にしたその男は、それでもこれ以上の逃亡生活を許す気はないらしい。
一言命じられて、壁際に控え顔を伏せていたメイドや使用人たちは、火急的速やかにあたしの小さな隠れ家から少ない荷物をさらに小さくして広あげられた大きな布に包み運び出している。
「……こ、わい」
そう呟きながら、あぁ……これであたしの心穏やかだった日々も終わりか、と諦めの籠った何ともやるせない気持ちのまま思い返せば、本当にあたしの人生は波乱万丈だな。
_____始まりは三年前、何が原因かなんてことはいまだに解明に到っていないけれど……あたしは異世界へと迷い込んだ。気が付けば見知らぬ路地裏にいて、言葉も通じず、何より生き物のサイズが大違いも良い所だった。人……なのだ。それは間違いないと思う。でも、これは無いだろう?と顔も知らぬ神に問いかけたくなるほど、彼らは大きかった。どんなに背伸びをしても、あたしの身長はこの世界の平均の人間の腰くらいしかない。話しかけようにも彼らの言葉はまるで、そう……例えるならノイズの様にざらざらと耳障りな音でしかなく。
何度泣いただろう、何度声を嗄らしたか覚えてもいない。……十五の秋、あたしは世界を超えた。
それから半年もの間路地裏を彷徨い、結果生きるためゴミも漁ったし、お風呂なんて夢の中でしか堪能できない日々を送り、立派なホームレス……と言えば聞こえは可愛いけれど、そう、小汚い浮浪者へと成り果てたのである。
そして今から二年と半年前、あの日、あたしはその小ささゆえか幼い顔立ちが目に留まったのかは分からないけれど、半年もの間小汚い孤児としか見られていなかったはずが奴隷商人へと捕まり、目隠しと手かせをされて乱暴にどこかへ連れ去られた挙句、数週間もの間、陽の入らないじめじめした場所へと閉じ込められた。
ぴちゃん……と、どこかから響く水の滴る音。地面に転がされ目隠し状態のまま、どれほどの時間が経過したのか。容赦なく縛られたままの手足は血が通っていないのか、感覚もない。本当に、死にたいと思った。ここへ迷い込んで、何度も帰りたいと泣いたけれど、所詮異世界なのだ。あたしがどれほど泣こうが、気にする者は一人もいない。心配してくれる母も父も兄も弟もペットの犬も……親友も。あたしの嘆きも悲しみも、届きはしない。……だから、もういっそ死んでしまえば、そう、考えてしまうほどには、心も体も、疲れていたのだ。
けれどあの時、目隠しの布の端に光が差し込んだのだ。ゆらゆらと揺れる蝋燭の光。奴隷商が来たのかと身体を強張らせたあたしの耳元で、突然、あのノイズのような聞き取れない音が響き、お恥ずかしながらも人生で初、極度の疲労ととてつもない恐怖により気を失った。
そして目を覚ませば、これまた見知らぬ男の家で、それもふかふかの柔らか高級ベットへ寝かされていて。ふぇ?って飛び起きましたよ、そりゃね。でもまぁ、悪いようにはされず保護されたらしいことを、言葉は通じなくとも感じ取ったあたしは大人しく療養した。だって、言葉が通じない以上いつなんどき放り出されるか分かったもんじゃないでしょ?だから出された食事はそれこそお腹が裂けるんじゃないかってくらいパンパンになるまで食べて、お風呂だって日本にいた頃はいつでも入れたからそこまで真剣に入浴した事もなかったけど、肌が紅くなるくらいごしごし擦って温かなお湯にものぼせるほどじっくりと浸かって今の幸せを堪能していた。
そして、何よりもこの穏やかな生活の中で一番助かったのは言語教育!!二年半経ってもまだ子供の様にひらがな言葉しか喋れないけど、それでも簡単な単語なら理解できる。初めて理解できたとき、感動して泣いてしまったほど。他人と意思疎通が出来ると言うのは、本当に人間には必要不可欠で、心身共に安心感を与えるものだなぁなんて実感できた出来事だった。
____そして、やっと幸せになれたはずのあたしが、今現在何故怯えているのか……。
それは、いくら簡単な言葉がわかるようになったと言ってもそれは所詮ひらがな単語。
難しい単語や言葉、会話など高レベルなことなど無理だってのに……勝手に勘違いしたこちらの世界での保護者によってとんでもない大恥をかかされたから。
それによって湧き出したとてつもない羞恥と怒りが噴火して、あたしが家出。まぁ、結局は隠れ家も見つかってしまい今連れ戻されているわけだけど、でも元々悪いのはあの人なんだから!!
……あぁもうっ!思い出すだけでも恥ずかしすぎて泣きたくなるっつーの!!
25.8.18手直ししました。