第6章「決戦:精霊の座へ」
夕食の時間、食堂の空気はどこか沈んでいた。
セイルが来てから、兵士たちの笑い声が消えた。
レオンはスープを前に、口をつけられずにいた。
胸の奥の熱はまだ弱く、しかし落ち着かない。
カイルが向かいに座り、スプーンを手で弄びながら言う。
「なあ、ちゃんと食えてるか?」
「……うん」
短い返事だった。
食堂の隅で、兵士たちの囁きが聞こえた。
「本部から追加部隊が来るらしい。"特異魔力の調査"だとか……」
カイルが眉をひそめた。「早すぎるだろ」
リナが小声で「レオンの名前が出る前に止めないと」と続ける。
その時、食堂の入口に黒い軍服が現れた。
セイルだった。
兵士たちの会話が一瞬で止まる。
セイルはレオンたちのテーブルの前に立ち、淡々と告げた。
「レオン・アーデル。本部から追加の指示が来た。――本部は、あなたを"隔離対象"として扱う可能性がある」
スプーンが落ちた音だけが響いた。
エリシアが即座に立ち上がる。「そんな判断、受け入れられません」
「まだ"可能性"だ。だが、明朝、追加部隊が到着する」
セイルの目がエリシアの手に止まった。
彼女はいつの間にかレオンの手を握っていた。
胸の熱が、わずかに落ち着く。
「……隊長の接触で安定する。やはり"対象を選んでいる"」
カイルが立ち上がった。「レオンを実験材料みたいに言うなよ!」
リナも続く。「レオンは危険じゃない!」
ガルドが低く言った。「監視官。それ以上は控えろ」
セイルは動じなかった。「本部の判断は変わらない」
その言葉を残し、黒い背中が食堂から消える。
沈黙が落ちた。
エリシアがレオンの手を強く握ったまま、静かに言った。
「ここからは、私たちが決める」
夜半、レオンの部屋に小隊全員が集まった。
「脱走する」
エリシアの言葉は短かったが、誰も反論しなかった。
カイルが最初に頷いた。「俺は最初からそのつもりだ。レオンを渡す気はねえ」
「私も」とリナ。
ガルドは腕を組み、一度だけ頷いた。「隔離より逃走を選ぶ。理由はそれだけだ」
レオンは膝の上で手を握った。「……俺のせいで、みんなが」
「違う」
エリシアが遮った。温かくも強い声だった。「君のせいじゃない。君は何も悪くない」
「でも……」
「レオン」
カイルが口を挟んだ。その瞳には、いつもの軽薄さは微塵もなかった。「俺さ、昔、別のパーティから弾き出されたことがあんだよ。理由は『お前の足は速すぎて合わせにくい。連携を乱す奴は要らない』ってさ」
誰も知らないカイルの過去に、リナが小さく「え……」と息を呑んだ。「そんな俺を拾ってくれたのが隊長で……俺の速さを『速すぎることはない』って笑って、隣に並んでくれたのがお前なんだよ、レオン。
……だからさ、今度は逆にお前が『特別だから』なんて理由で弾かれる番なんて……そんなの、俺が絶対に許さねえ」
カイルはレオンを真っ直ぐ見た。
「お前が俺に強化かけてくれた時、初めて自分の速さが本物だって思えた。それはお前じゃなきゃ意味がなかった」
レオンは言葉を失った。
「感傷は歩きながらでいい」
ガルドが立ち上がった。
それだけだったが、それがガルドなりのエールだと、レオンには分かった。
夜は深く、駐屯地の灯りはほとんど消えていた。
小隊は隊舎裏に集まり、最低限の荷物だけを背負っていた。
「巡回は三分サイクルだ」とガルドが低く言う。「今から動けば裏門まで抜けられる」
「全員そろったな」とカイルが確認する。
リナがレオンの荷物を見て頷く。「軽くしてある。走れるよ」
エリシアがレオンの肩に手を置いた。「何かあったらすぐ言って」
小隊は音を殺して動いた。
裏門を抜ける直前、ガルドが手を上げた。
全員が止まる。
暗闇の中、松明の光が動いている。
巡回が、予定より早く回っていた。
「待つ。三十秒」
誰も動かない。
土の匂いと夜気だけがある。
カイルが拳を固く握っているのが、レオンの視界に入った。
松明が遠ざかる。
「行くぞ」
五人は走った。
裏門の閂が静かに外れ、冷たい夜気の中へ吸い込まれるように出た。
森の入口まで、誰も言葉を発しなかった。
森の中に入ると、月明かりはほとんど届かなかった。
木々が高く、空気は冷えていた。
リナが先頭に立った。「地図、私が持つ。このあたりは魔力の乱れがある。下手に歩くと迷う」
「任せる」とエリシアが短く答えた。
リナは地図を広げながら淡々と進んだ。
月明かりが届かない中でも、リナの足は迷わない。
レオンは後ろから見ていた。「リナさんって……暗いところ、得意なんですか」
「昔、薬草採取で山ばっかり入ってたから。道のない場所の方が、案外落ち着く」
少し間があった。
「レオンの強化、受けた時さ」とリナが続けた。「初めて自分の足が"本物"の速さを出してる気がした。ずっと、もう少し速かったら、もう少し遠くまで行けたらって思ってたから」
「……俺が強化してるんじゃなくて、もともとリナさんの中にあったものが出てるだけだと思います」
「それを引き出せるのが、あなたの力でしょ」
リナが少しだけ笑った。
「私の矢が百発百中なのは、レオンがそこにいて、私の背中を信じて力を貸してくれるから。本部の研究班がどれだけ機械で測ったって、そんな『信頼』まで分析できるわけないじゃない。……だから、あんな奴らにレオンを奪わせたりしないわよ」
木の根を踏む音だけが続いた。
森の奥に入り、開けた場所で一行は足を止めた。
「ここで少し休む」とエリシアが言った。「水を飲んで」
カイルが水筒を投げてよこす。レオンが一口飲む。
ガルドが見張りに立ちながら、短く言った。
「追跡の気配はない。だが、明朝には気づかれる」
「分かってる。夜のうちに距離を稼ぐ」とエリシアが答えた。
レオンは空を見上げた。木々の隙間から、わずかに星が見える。
「……隊長」
「何?」
「俺のために脱走することになって、申し訳ないです」
エリシアは少し沈黙した。それから静かに言った。
「レオン。私が初めてあなたの魔力を見た時、"これは守らなければいけない"と思った。力として、じゃない。それを持っている、あなた自身を」
レオンは返事ができなかった。
「ガルド。行けそうか」
ガルドは振り返らずに答えた。「問題ない」
それだけだった。
でも、その声には迷いがなかった。
レオンは立ち上がった。
胸の奥の熱は弱く、しかし確かに存在していた。
「行きましょう」




