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第1章「追放と、秘められた多重の兆し」

訓練場の土が、沈んだ。

乾いた踏み込みの音と同時に、木剣を握った兵士が一気に間合いを詰める。正面で受けるはずだったもう一人の兵士は、その一撃を目で追うことすらできず、慌てて半歩退いた。

「速っ……!」

周囲からどよめきが漏れる。

兵士の動きは、明らかに異常だった。脚力、踏み込み、振り抜き。どれを取っても、さっきまでのそれとは別物だ。

訓練場の端に立つレオンは、自分の右手を見つめていた。指先が微かに熱を帯びている。魔法を発動した直後にだけ残る、独特の感覚だった。

「もう一度だ」

凛とした声が飛ぶ。

中央に立つ女騎士――エリシアが、まっすぐレオンを見た。陽光を受けた金髪が揺れ、鋭い青い瞳が一切の迷いなく彼を射抜く。

「次は、同じ対象に重ねてみろ」

「で、でも……補助魔法は普通、一人に一度しか」

「普通なら、な」

エリシアは口元だけで笑った。

「さっき一度目をかけた時、お前の魔力は消えなかった。なら試す価値はある」

訓練場の視線が、一斉にレオンへ集まる。

息が詰まりそうだった。

これまで何度も味わってきた視線だ。期待ではない。観察、猜疑、値踏み。支援魔法師でしかない自分が、また何かを失敗するのではないかという、冷たい待機。

それでも、今だけは違った。

エリシアだけは、最初から疑っていない。

「……わかりました」

レオンは小さく息を吸い、前に出る兵士へ向かって杖を掲げた。

「《スピード・ブースト》」

淡い青白い光が兵士の脚へ絡みつく。空気が震え、筋肉の輪郭がわずかに光を帯びた。

兵士が駆ける。速い。だが、まだ人の理解の範囲だ。

エリシアはそこで頷き、静かに命じた。

「もう一度」

「……《スピード・ブースト》」

二度目の光が重なった瞬間、兵士の身体がびくりと震えた。次の一歩が、さっきよりも深く、鋭く、地面を抉る。

「なっ……」

見物していた兵士の一人が思わず声を漏らす。

強化が、上書きされていない。

積み上がっている。

レオン自身が、いちばん信じられなかった。いつもなら一度で定着するはずの魔力が、今は対象の中に層のように残っている。薄い膜が何枚も重なるように、同じ術式がひとつの身体の中で干渉し合わず共存していた。

胸の奥が熱い。

何かが、そこから押し返してくるようだった。

「最後だ」

エリシアの声に、訓練場が静まり返る。

「三度目をかけろ」

「三回も……そんなの、聞いたことが」

「だから見たいんだ」

短い言葉だった。

だがその言葉は、レオンの中にある恐れを、不思議と押し流した。

彼は杖を握り直す。

「《スピード・ブースト》」

三度目の光が走った。

刹那、兵士の身体が弾けたように前へ出る。

エリシアは息を呑んだ。レオンの魔法が三層重なった瞬間、目の前の風景から「予備動作」という概念が消えた。速いなんてレベルじゃない。加速のプロセスが省略されている。まるで、移動したいと思った瞬間に、すでにその場所に身体が『置かれている』ような……。

剣を振るう腕の残像すら追えない。補助魔法が肉体の限界を超え、因果を逆転させているような、背筋が凍るほどの全能感があった。

風が巻き、砂埃が舞った。木剣の打ち込みはもはや残像めいて、受け手の兵士は反応すら間に合わず、肩口に寸止めされた剣を呆然と見つめるしかなかった。

しん、と訓練場が静まる。

次いで、遅れてざわめきが爆発した。

「三重強化だと……?」

「あり得ない」

「補助魔法で、こんな……?」

レオンはその声を遠くに聞きながら、自分の呼吸だけを必死に整えていた。

指先が震えている。怖かった。嬉しいより先に、怖いと思った。

自分の中に、知らないものがある。

そう感じたのは初めてだった。

エリシアが兵士に近づき、肩に手を置いて状態を確認する。

「身体への負荷は?」

「き、筋肉が焼ける感じはありますが……動けます。むしろ、まだいけそうなくらいです」

「魔力酔いは」

「ありません」

彼女はそこでようやく振り返り、まっすぐレオンを見た。

「見たか」

誰へ向けた言葉か、一瞬わからなかった。

だが次の瞬間、訓練場の奥から苛立った声が響く。

「馬鹿げた見世物だな」

現れたのは、レオンが所属していた隊の小隊長だった。重い足取りで中央まで歩み寄ると、彼はレオンを見て、露骨に顔をしかめた。

「……三重強化だと? 馬鹿げた真似を。補助魔法の術式定数の限界は、王立魔導院が定めた安全基準を大幅に逸脱しているぞ。」

小隊長はレオンを指差し、冷徹な声で告げた。

「レオン、貴様の術はもはや補助ではない。対象の筋繊維や魔力回路に、通常の三倍の負荷を強いる『自壊の呪い』だ。 現に今の兵士の動きを見ろ、一歩間違えれば再起不能の重傷を負わせていた。我が隊は兵士を使い潰す消耗品とは考えていない。」

「待ってください、今のは――」

「黙れ。制御不能な特異個体を部隊単位で抱える余裕はない。 また、もし貴様が戦場で暴発し味方を傷つければ、任命責任を問われるのは私だ。我が隊の安定運用を乱す不確定要素は、今日限りで排除する。 荷をまとめろ。」


レオンは目を見開く。

「待ってください、今のは――」

「結果がどうであれ同じだ。得体の知れん力は現場の混乱になる。お前は今日限りで外れてもらう」

その宣告は、あまりにも簡単だった。

訓練場の空気が、急に遠くなる。

やはりそうなるのか、と、どこか冷えた自分が囁いていた。少し期待してしまったぶんだけ、その声はひどくよく響いた。

「そんな横暴が通ると思うのか」

鋭く割り込んだのは、エリシアだった。

「小隊長、未知の力をすべて暴走と断じるなら、我が国の魔法体系は千年前から一歩も進んでいないことになります。現状維持という名の衰退を選ぶことが、果たして隊の守りと言えるのですか?」

だが男は肩をすくめるだけだ。

「これは我が隊の判断だ。部外者に口を挟まれる筋合いはない」

「なら、せめて能力の記録を――」

「不要だ。こんなもの、偶然の暴走に決まっている」

レオンは唇を噛んだ。

反論したかった。けれど声にならない。胸の奥の熱はまだ残っているのに、その熱とは裏腹に、身体は冷えていく。

男は背を向け、兵士に言い放つ。

「荷をまとめさせろ。今日中に駐屯地から出す」

それだけで終わりだった。

エリシアが何かを言おうとしたが、レオンはかすかに首を振った。

もう、これ以上惨めになりたくなかった。

「……わかりました」

自分でも驚くほど平坦な声だった。

レオンは訓練場を後にする。背中に無数の視線を感じながら、それでも一度も振り返らなかった。

ただ、胸の奥にだけ、消えない熱があった。

それが怒りなのか、悔しさなのか、それとも別の何かなのか――その時の彼には、まだわからなかった。


駐屯地を出た時には、もう陽が傾き始めていた。

支給品の入った小さな袋を肩にかけ、レオンは森へ続く道をひとり歩く。背後の柵と見張り台が遠ざかるたび、そこに自分の居場所がなかったことだけが、妙にはっきりした。

荷物は少ない。

もともと、自分のものと呼べるものが多くなかったせいだ。

「……これで、本当に終わりか」

呟いてみても、返事はない。

兵士たちの掛け声も、剣がぶつかる音も、もう聞こえない。聞こえるのは風が木々を揺らす音と、踏みしめる落ち葉の乾いた音だけだ。

進む先など決まっていなかった。

どこか別の駐屯地へ行くにしても、紹介状も実績もない。補助魔法師というだけで評価の低い立場で、その上「不安定な術者」と見なされた人間を、受け入れてくれる場所があるとは思えなかった。

けれど立ち止まるわけにもいかない。

立ち止まれば、自分が本当に何者でもなくなってしまう気がした。

胸に手を当てる。

まだ熱は残っている。

訓練場で魔法を重ねたあの瞬間から、心臓の裏あたりに小さな火種が置かれたような感覚が続いていた。痛みではない。だが、違和感としては十分すぎる。

「なんなんだ、これ……」

魔力の乱れだろうか。暴走の前兆だろうか。もしそうなら、小隊長の判断は正しかったのかもしれない。

そんな考えが浮かんで、レオンは苦く笑う。

追い出された後ですら、自分を切り捨てた言葉をなぞってしまう。その癖が染みついていることが、情けなかった。

ふと、茂みの奥で何かが動いた。

レオンは足を止める。

風ではない。獣の気配だ。

次の瞬間、低いうなり声が森の静けさを裂いた。

「――ッ」

黒い影が飛び出す。

ダスクウルフ。

夕闇の森に紛れる毛並みを持ち、群れで獲物を追い詰めることで知られる魔獣だ。だが現れたのは一頭だけではない。左右の茂み、前方の木陰、気づけば三つ、四つの赤い目がこちらを見ていた。

レオンの喉が乾く。

一対一でも危険な相手だ。補助魔法師ひとりで、どうにかできる相手じゃない。

それでも、逃げるしかない。

「《スピード・ブースト》」

自分自身へ魔法をかける。脚が軽くなる。だが次の一歩を踏み出した瞬間、横から飛び出した影が行く手を塞いだ。

包囲されている。

「くそ……!」

杖を構える。震える手で、少しでも生存率を上げる術を探す。

防御強化。感覚補助。瞬発補正。重ねたい。だが自分にそれが可能かどうか、今この場で試すにはあまりにも危険すぎた。

ダスクウルフが跳ぶ。

反射的に身を引いたレオンの頬を、爪が浅く裂いた。熱い痛みが走る。転びそうになった足を、なんとか踏みとどまる。

二頭目が回り込む。

もう駄目だと、そう思った時だった。

銀の閃光が森を切り裂いた。

一閃。

飛びかかったダスクウルフの身体が、空中で弾かれる。地面に叩きつけられた魔獣が呻く間もなく、次の瞬間には二頭目の喉元に白刃が走っていた。

風のように、誰かが着地する。

「下がれ!」

聞き覚えのある声だった。

レオンがはっと顔を上げる。

月の光を先取りしたような白銀の剣。その柄を握るのは、訓練場で見た女騎士――エリシアだった。


「エリシア……さん」

名を呼ぶ声は、我ながら情けないほど掠れていた。

だが彼女は振り返らない。視線はレオンではなく、残るダスクウルフたちへ向けられている。

「話は後だ。立てるか」

「は、はい」

「なら生き延びろ」

言い切ると同時に、彼女は踏み込んだ。

速い。

訓練場で見たどの兵士よりも、ずっと速い。無駄のない剣筋が夜気を裂き、牙を剥いた魔獣の前脚を斬り払う。飛び退いた一頭が吠え、残る個体が左右から挟み込むように動いた。

囲い込み。

群れの狩り方だ。

「右!」

レオンは叫んでいた。

エリシアがわずかに剣先をずらし、死角から飛び出した個体を寸前で受ける。爪と剣が火花を散らす。

「見えているのか」

「動きが、少し……!」

何故かわからない。だが今のレオンには、獣の重心移動や踏み込みの癖が妙にはっきり見えていた。訓練場で魔法を使った直後から、感覚がわずかに研ぎ澄まされている気がする。

胸の奥の熱が、また強くなった。

「なら合わせろ」

エリシアは短く言う。

「支援魔法を」

「え」

「お前の魔法だ。自分で見ただろう。普通じゃない」

一頭が低く沈み、跳躍の構えに入る。

レオンは迷っている暇がないと悟った。杖を掲げる。

「《フィジカル・ブースト》!」

淡い光がエリシアの身体を包む。

彼女の踏み込みがさらに鋭くなる。一撃で一頭の肩口を断ち、返す刃で二頭目の鼻先を裂く。だが三頭目がその隙を衝いた。

「後ろ!」

レオンは反射的に二度目の魔法を放つ。

「《フィジカル・ブースト》!」

光が、重なる。

エリシアの目がわずかに見開かれた。次の瞬間、その身体がひときわ強く地を蹴る。普通なら間に合わない体勢から、彼女は半歩で振り向き、背後から襲いかかったダスクウルフの胴を斬り払った。

血飛沫が散る。

獣たちが本能的に距離を取る。

レオン自身が息を呑んだ。

やはり重なっている。しかも対象は、自分以外でも成立する。

「もう一回、いけるか」

エリシアの問いは、確認ではなく信頼だった。

そのことが、レオンの胸を打つ。

「……やってみます」

三頭目が吠え、残った二頭が一斉に駆けた。

レオンは杖を握りしめる。怖い。失敗したら終わりだ。魔力が暴走したら、今度こそ彼女まで巻き込む。

それでも、目の前で戦ってくれている人がいる。

自分の力を、最初から価値あるものとして扱ってくれる人がいる。

なら、応えたいと思った。

「《フィジカル・ブースト》!」

三度目の光が走る。

空気がびり、と震えた。

エリシアの身体が、信じられない加速で前へ滑る。剣が一筋の銀光となって、二頭のダスクウルフの間を斜めに抜ける。

遅れて、二つの身体が崩れ落ちた。

最後の一頭が踵を返して森の奥へ逃げようとする。だがエリシアはそれを追わず、剣を払って血を落とした。

「深追いはしない。群れの残りがいる可能性がある」

静かな声だった。

戦闘の直後とは思えないほど冷静で、その背中に、レオンはようやく自分が助かったのだと実感する。

膝から力が抜けた。

その場に座り込みそうになるのを、エリシアが片手で支えた。

「おい」

「す、すみません……」

「謝るな。よく持ちこたえた」

その一言が、不意打ちのように胸へ落ちる。

これまで誰にも言われたことのない言葉だった。

よくやった、ではない。

役に立った、でもない。

ただ、持ちこたえたと認められることが、こんなにも救いになるとは思わなかった。

エリシアはレオンの頬の傷を見て、眉をひそめる。

「浅いが、手当てはいるな」

「あなたこそ、怪我は」

「お前の強化のおかげで軽い」

彼女は少しだけ口元を和らげた。

「本当に面白いな、お前の魔法は」

その言い方に、レオンは困ったように笑うしかなかった。

面白い。

その響きは、自分にはあまりにも新しかった。


エリシアに連れられて森を抜ける頃には、夜の帳がほとんど下りていた。

彼女の所属する駐屯地は、レオンがいた場所よりずっと簡素だった。木柵に囲まれた拠点の中央には焚き火があり、見張り台も高くない。だが兵たちの目はよく行き届いていて、少数でもまとまりのある隊だと一目でわかった。

門前で見張りの兵が目を丸くする。

「隊長、その人は?」

「保護対象。あと、面白い術者だ」

「その説明でわかる人、ここにいませんよ」

呆れたような声とともに出てきたのは、茶髪の青年だった。細身だが目の動きが鋭く、斥候か情報担当といった雰囲気がある。

「カイルだ。うちの索敵と連絡を主にやってる」

「は、はじめまして。レオンです」

「へえ。あの“面白い術者”ね」

カイルは露骨に興味を隠さない顔でレオンを見た後、頬の傷に気づいて表情を引き締めた。

「ひとまず中へ。リナ、救護箱! ガルド、門閉め頼む!」

「はいはい」

「……了解した」

応えた声は二つ。

ひとりは、焚き火の横で弓の手入れをしていた若い女兵士。栗色の髪を後ろで束ね、軽装の上からでも引き締まった身のこなしがわかる。もうひとりは、柵のそばに立つ大柄な男だった。短く刈った黒髪に無精ひげ、岩のような体格に対して、声は驚くほど静かだった。

「レオン。こっちは弓手のリナ、重装前衛のガルドだ」

「よろしくね」

「……よろしく」

それぞれ短い挨拶だったが、不思議と居心地は悪くなかった。

少なくとも、値踏みされるだけの沈黙ではない。

リナが慣れた手つきで頬の傷を消毒しながら言う。

「隊長が人を連れてくるなんて珍しい。しかも顔がちょっと楽しそうだし」

「そう見えるか?」

「見える見える。で、その子、何したの?」

「ダスクウルフ相手に俺を三段階で強化した」

「……え?」

「正確には、本人も半信半疑だったがな」

「いや、ちょっと待って。三段階って、同じ補助魔法を?」

「ああ」

「それ、本当なら大事件じゃない」

リナが手を止め、レオンをまじまじと見る。

レオンは居心地悪そうに肩をすくめた。

「その、“本当なら”っていうのは……俺もまだ、よくわかってなくて」

「わかってなくても、できたんでしょ?」

「……はい」

「充分すごいよ」

あまりにあっさりと言われて、レオンは返事に詰まった。

すごい。

その言葉もまた、自分には縁遠かった。

焚き火の向こうで、ガルドが腰を下ろす。彼はしばらく黙ってレオンを見ていたが、やがて低い声で言った。

「隊長が連れてきたなら、それでいい」

「いや、もうちょっと興味持とうよ」

「持っている。言わないだけだ」

カイルが吹き出し、リナも笑う。

その自然なやりとりに、レオンは胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。

追い出されたばかりなのに、不思議だった。

まだ何も決まっていない。ここにいていいと許されたわけでもない。それでも、この焚き火の輪の中には、少なくとも最初から拒絶する気配がなかった。

エリシアはその様子を見渡し、短く告げる。

「今夜はここで休ませる。詳しい話は明日だ」

「了解」

「異議なし」

「俺もだ」

「……ありがとうございます」

レオンが頭を下げると、エリシアは小さく肩をすくめた。

「礼は、まだ早い。うちに置くかどうかは、お前自身を見てから決める」

厳しい言葉のはずなのに、不思議と冷たくはなかった。

見て判断する。

それはつまり、最初から切り捨てないということだ。

レオンは焚き火の明かりを見つめながら、そっと息を吐いた。

胸の奥の熱は、まだ消えていない。

けれど今はもう、それがただ不気味なだけのものには思えなかった。


翌朝、駐屯地は早くから動き始めていた。

見張り交代、装備点検、簡単な朝食。人数は多くないが、誰が何をするかが明確に分かれていて、無駄がない。

レオンは少し離れた場所で、その流れを邪魔しないよう立っていた。

昨夜は空いている天幕を借りて眠ったが、ほとんど熟睡できなかった。目を閉じれば、訓練場でのざわめきと追放の言葉が蘇る。けれど同時に、エリシアの「もう一度」、リナの「充分すごいよ」、ガルドの「それでいい」も思い出されて、感情の置き場がわからなくなるのだ。

「緊張してる?」

声をかけてきたのはカイルだった。手には水筒が二つある。

「少し」

「だよね。まあ、うちの隊長、試す時は徹底的に試すから」

一本を差し出され、レオンは礼を言って受け取る。

「でも安心して。あの人、期待してない相手には最初から時間使わないから」

「……それ、安心材料になりますか?」

「なるよ。少なくとも、もう興味は持たれてる」

カイルは軽く笑ってから、少し真面目な顔になった。

「昨夜の話、隊長からざっと聞いた。元の隊を追い出されたんだって?」

「……はい」

「ならなおさら、今日はちゃんと見せた方がいい」

彼は駐屯地の外れを顎で示した。

そこには訓練用の丸太と的、そして朝の準備を終えたエリシアたちの姿がある。

「うちは前衛二人、弓手一人、斥候一人。火力も機動力もあるけど、継戦力に欠ける。特に強化系の支援はずっと欲しかった」

「補助魔法師なら、他にも」

「いる。けど大抵は常駐型の大部隊に回されるか、術式の幅が狭い。現場で咄嗟に対応できる人は少ないんだ」

レオンは水筒を握りしめる。

必要とされる。

それは、これまで最も遠かった言葉だ。

「レオン」

呼ばれて振り向くと、エリシアが立っていた。

「今日は簡単な確認をする。基礎の強化、持続時間、重ねがけの負荷、それから対象ごとの差」

「はい」

「無理はするな。ただし、手加減もしなくていい」

訓練場で聞いたのと同じ口調だ。

だが今度は、あの時より少しだけ肩の力が抜ける気がした。

「まずは私だ」

エリシアが剣を抜く。朝日に光る刃は、見ているだけで緊張するほど研ぎ澄まされていた。

「いつでも」

レオンは杖を構え、深く息を吸う。

怖さはある。

けれど、今度は一人ではない。

「《フィジカル・ブースト》」

光が走る。

エリシアが一歩踏み出す。速い。昨夜の戦闘を思い出させる鋭さだ。

「もう一度」

「《フィジカル・ブースト》」

「さらに」

「《フィジカル・ブースト》!」

三層目が重なった瞬間、周囲の空気がざわついた。

エリシアは丸太標的へ向かって一閃を放つ。乾いた音とともに、太い丸太が斜めに滑り落ちた。

「うわ」

「……本物か」

リナが目を見開き、カイルが呟く。

ガルドだけは腕を組んだままだったが、その視線は明らかに変わっていた。

エリシアは剣を下ろし、呼吸を整える。

「持続は?」

「体感、通常強化の二倍近い。負荷は増えるが制御可能だ」

「了解。次、対象変更。ガルド」

「来い」

大柄な前衛が進み出る。

彼に強化をかけると、効果の出方はエリシアとは少し違った。速度よりも踏ん張りや瞬発的な押し込みに強く作用する。リナにかければ感覚の鋭さと照準の安定が増し、カイルでは足運びと身軽さが伸びる。

同じ術式でも、対象によって出力の偏りが違う。

しかも重ねれば、その差がより明確になる。

「面白いわね……」

リナが弓を下ろしながら呟く。

「ただ強くするんじゃなくて、その人の得意な方向を押し広げる感じ」

「そうだな」

エリシアが頷いた。

「単純な強化より、よほど実戦向きだ」

その評価に、レオンは思わず視線を伏せた。

胸の奥が熱い。

今度の熱は、怖さよりも先に、確かな手応えを伴っていた。


昼前、駐屯地に緊張が走った。

見張り台から短い笛の音が響く。森の北側で魔獣の動きがあった合図だ。

カイルが真っ先に駆け寄る。

「北東の浅い谷。二、いや三頭。たぶんダスクウルフ」

「昨日の残りか」

「可能性は高い」

エリシアは即座に判断した。

「迎え撃つ。群れが大きくなる前に叩く」

「レオンは?」

とリナ。

「連れていく」

短い答えに、レオンは息を呑む。

実戦。

昨夜の戦闘は、生き残るための混乱の中だった。だが今度は違う。隊の一員として、意図して戦場へ出る。

「無理なら今言え」

エリシアの視線は真っ直ぐだった。

そこに試す色はあっても、脅しはない。

レオンは拳を握る。

逃げる選択肢が頭をよぎらなかったわけではない。けれど、ここで引けば、また自分は“使えない側”へ戻ってしまう気がした。

何より。

昨夜から何度も胸の内で反芻していた。

この人たちは、自分を最初から見限らなかった。

なら、自分もそれに応えたい。

「行きます」

「よし」

エリシアは頷き、素早く指示を飛ばす。

「カイルが先行索敵。リナは後方援護。ガルドは前線維持。レオンは私のすぐ後ろで強化を回せ。まずは単層から、状況を見て重ねろ」

「了解!」

全員の返答が重なる。

その中に自分の声が混じったことに、レオンは一瞬だけ驚いた。

森へ入る。

木漏れ日が揺れ、湿った土の匂いが濃くなる。カイルの合図に従い、足音を殺しながら進むと、ほどなくして谷の手前に獣の気配が見えた。

三頭。

いや、奥にもう二頭いる。

「五頭か」

「昨日より多いね」

「谷に入らせたら面倒だ」

エリシアは剣の柄に手をかける。

「先に動く。リナ、右翼の高所へ。カイルは側面から攪乱。ガルド、正面固定」

「了解」

「任せて」

「……行く」

それぞれが散る。

レオンは喉を鳴らし、エリシアの背を見る。

「レオン」

「はい」

「呼吸を合わせろ。お前の魔法が、今日はこの隊の要だ」

胸が大きく鳴った。

その言葉を、重みごと受け止める。

「――《フィジカル・ブースト》」

光がエリシアを包む。

彼女が駆ける。ほぼ同時にリナの矢が放たれ、谷の端にいた一頭の肩を射抜いた。吠え声が上がり、群れがこちらへ向き直る。

ガルドが前へ出る。

巨体に見合わぬ速さで盾を構え、突進してきた個体を真正面から受け止めた。衝撃で土が抉れる。

「今だ、二層目!」

レオンは魔法を重ねる。

「《フィジカル・ブースト》!」

エリシアの剣筋がさらに伸びる。ガルドの踏ん張りが増す。重ねた先から、体勢の安定がはっきり違う。

カイルが側面から石を投げ、二頭の注意を逸らした。そこへリナの二射目が飛び、群れの隊列を崩す。

全員が噛み合っている。

その中心に、自分の魔法がある。

「三層目、エリシアさんに!」

叫ばれ、レオンは即座に術式を組む。

「《フィジカル・ブースト》!」

光が重なった瞬間、エリシアの剣が一気に閃く。

一頭、二頭。

ほとんど連続するような斬撃で、前衛の魔獣が崩れた。

だがその隙に、谷の陰にいた最後の一頭がレオンへ向かって飛び出してくる。

「レオン!」

カイルの叫び。

目の前に迫る牙。

反射的に杖を前へ出したレオンは、自分へ魔法をかけるより先に、別の感覚を覚えた。

胸の奥の熱が、強く脈打つ。

次の瞬間、身体が勝手に動いた。

「《スピード・ブースト》!」

自分自身へ。

それも、普段よりはるかに素早く。

地を蹴った足が、自分でも信じられない軽さで横へ流れる。牙が空を噛み、間一髪で回避したところへ、ガルドの大剣が振り下ろされた。

最後の一頭が地に沈む。

静寂。

荒い呼吸だけが森に残る。

「……終わったか」

「ああ」

エリシアが剣を払う。

カイルが息をつき、リナが木上から降りてくる。ガルドはレオンの前に立ち、しばらく周囲を警戒していたが、危険が去ったと確認してようやく肩の力を抜いた。

レオンは、自分の両手を見つめた。

今の回避。

あれはただの一層強化じゃない。発動速度も身体の反応も、これまでの自分とは違っていた。

「今の、見た?」

とリナ。

「見た。見たけど説明つかない」

とカイル。

エリシアはレオンを見たまま言う。

「……自分でもわからないか」

「はい」

正直に答えるしかない。

だが彼女は責めず、むしろ静かに頷いた。

「なら、それも含めて見ていく」

その言葉に、レオンは小さく息を吐いた。

捨て置かない。

わからないから切る、ではない。

その違いが、今は何より大きかった。


駐屯地へ戻る頃には、皆の表情に疲労と同時に、確かな高揚があった。

五頭のダスクウルフを、ほぼ危なげなく仕留めた。少数部隊としては十分すぎる戦果だ。

何より、隊の連携が昨日までとまるで違った。

焚き火のそばに腰を下ろしたカイルが、心底感心したように言う。

「いや、本当に変わるんだな。前線の厚み」

「ガルドが押し負けなかったの、かなり大きいわ」

「俺一人では保たなかった」

とガルド。

「前より半歩、いや一歩前に出られた。あれは大きい」

大柄な男の率直な評価に、レオンは思わず目を瞬かせた。

彼は言葉数が少ない。だが少ないぶん、その一言一言に重みがある。

リナは水を飲んでから、明るく笑った。

「私も射線の見え方、いつもよりずっとはっきりしてた。揺れが少ないっていうか、息が乱れないっていうか」

「カイルも動きやすそうだったな」

とエリシア。

「隠れる位置を変えるタイミングが取りやすかったです。脚が軽いと、選択肢が増える」

それぞれが言葉にするたび、レオンは居心地が悪いような、くすぐったいような気持ちになった。

自分の魔法が、ちゃんと役に立っている。

頭では理解できても、心はまだ慣れていない。

エリシアはそんなレオンを見て、ふっと表情を緩めた。

「どうした。浮かない顔だな」

「……いや、その……こんなふうに、感想を言われることが、あまりなかったので」

「悪い感想しか聞いてこなかったか」

「……たぶん」

肯定すると、カイルがなんとも言えない顔になる。

リナは眉をひそめ、ガルドは黙って焚き火の向こうへ視線を向けた。

少しの沈黙の後、エリシアが言う。

「なら覚えろ。今日の働きは明確に戦果へ繋がった。お前の魔法は強い」

「……はい」

「曖昧に返すな」

「……はい!」

今度は少しだけはっきり答えられた。

その様子に、リナがくすっと笑う。

「うん、その方がいい」

「隊長って、こう見えてちゃんと褒めるんだよ」

「“こう見えて”は余計だ、カイル」

「でも事実ですし」

「訓練増やすぞ」

「すみませんでした」

軽口に場が和む。

レオンは、その輪の中で静かに息を吐いた。

胸の奥の熱は、まだ消えない。むしろ少しずつ、そこにあることが自然になり始めていた。

怖いだけではない。

もしかしたらこれは、自分の中で眠っていた何かが、ようやく形を取り始めているのかもしれない。

そんな予感が、ほんのわずかに胸をよぎる。

その時、見張り台から声が飛んだ。

「伝令だ!」

門前に軽騎が一騎。王国紋章をつけた伝令兵が、急ぎ足で書状を届けにくる。エリシアがそれを受け取り、封を切ると、表情が少しだけ硬くなった。

「王都方面の補給路で魔獣の出没が増えている。周辺隊は警戒を強めろ、か」

「最近、多いですね」

とカイル。

「ただの季節変動じゃない気がする」

とリナ。

エリシアは書状を畳み、火に翳すように見つめた。

「明日も動く。備えておけ」

「了解」

短い返答が重なる。

レオンもまた、小さく頷いた。

昨日まで、自分に“明日”の予定などなかった。

それが今は、この隊の一員として次の行動を考えている。

その事実が、胸の奥に静かに染みていく。


夜は静かに更けていった。

夕食を終え、見張り以外の者がそれぞれ休息に入る時間になっても、レオンはすぐには眠れなかった。焚き火の残り火をぼんやり眺めながら、今日一日のことを何度も反芻してしまう。

追放。遭遇。救助。実戦。評価。

ひとつひとつが濃すぎて、まだ心が追いついていない。

「眠れない?」

隣に腰を下ろしたのはリナだった。手には湯気の立つ木杯が二つある。

「少し」

「やっぱり」

彼女は片方を差し出す。薬草を煎じたものらしく、ほのかに苦い香りがした。

「ありがとうございます」

「いいよ。私も最初の実戦の夜は全然眠れなかったし」

リナは焚き火の灰を棒で軽く崩しながら、柔らかく言う。

「でも、今日のレオンはちゃんとやれてた」

「……必死でした」

「必死でいいの。最初から余裕な人なんていない」

その口調は軽いが、どこか実感がこもっていた。

レオンはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと漏らす。

「俺、自分の魔法が、こんなふうに使えるなんて思ってませんでした」

「周りが思わせてくれなかったんでしょ」

「……そうかもしれません」

リナは少しだけ肩をすくめた。

「人ってさ、言われ続けた言葉を、いつの間にか自分の声みたいに思っちゃうのよね」

「……」

「役に立たないとか、危ないとか、足手まといとか。そういうの」

レオンは返せなかった。

図星だった。

「でも今日のを見たら、少なくともこの隊でそれを言う人はいないよ」

彼女はまっすぐ言い切る。

「むしろ手放したくないくらい」

「え」

「冗談半分、本気半分」

くすっと笑ってから、リナは空を見上げた。

「前に、山で採集任務した時があってね。怪我人が出たのに、補助が足りなくて、逃げるので精一杯だったことがあるの。あの時、あと少し踏ん張れたら助けられたかもしれないって、今でも時々思う」

彼女の横顔が、焚き火の残り火に照らされる。

「だから、戦える人が増えることも大事だけど、“誰かの一歩を支えられる力”って、私はすごく重いと思ってる」

「……」

「レオンの魔法は、たぶんそういう力だよ」

静かな言葉だった。

押しつけでもなく、持ち上げるでもない。ただ、彼女自身の実感として置かれた言葉。

レオンは木杯を両手で包み込む。

温かい。

「ありがとうございます」

「うん。明日もよろしくね」

そう言って立ち上がると、リナは軽く手を振って自分の天幕へ戻っていった。

一人残されたレオンは、しばらくその背を見送る。

胸の奥の熱が、また微かに灯る。

それはもう、不穏な違和感だけではなかった。

自分の力が誰かを支えられるのだと、そう思えた時にだけ、少しだけ強く脈打つ。

まるで――応えるように。

レオンはその感覚に小さく眉をひそめながらも、今夜はもう深く考えないことにした。

考えるより先に、明日が来る。

そして今の彼には、その明日を迎える理由があった。


翌朝の空は薄く曇っていた。

湿り気を含んだ風が森から流れ込み、いつもより静かな朝だった。だがその静けさが、かえって不穏に感じられる。

「気配が薄いですね」

とカイル。

「薄いというか、隠れてる感じ」

とリナ。

エリシアは地図を広げながら答える。

「補給路の下見だけで終わればいいが、そうはいかないだろうな」

本日の任務は、王都方面へ続く補給路の周辺確認。昨日の伝令を受け、魔獣の活動域が広がっていないかを調べることになっていた。

隊は慎重に進む。

レオンも昨日よりは落ち着いて歩けていた。背後からではなく、ちゃんと隊列の中に自分の居場所がある。その感覚が、少しだけ足取りを軽くする。

やがて、谷を抜けた先の開けた場所で、カイルが鋭く手を上げた。

「止まって。……いる」

低木の向こう。地面を嗅ぐように動く黒い影が二つ、三つ。さらにその奥に、大きな体躯がひとつ見えた。

「上位種……?」

リナが小さく呟く。

通常のダスクウルフより一回り大きい個体だった。群れを率いる成体。単純な数以上に厄介な相手だ。

エリシアの目が細くなる。

「引くか、叩くか……」

「放置したら補給路に出ます」

とカイル。

「先に仕留めたい」

とガルド。

短い意見交換の後、エリシアは決断した。

「やる。ただし長引かせるな。レオン、昨日以上に忙しくなるぞ」

「はい」

「怖いか」

「……怖いです」

「そうだろうな」

意外にも、エリシアはそこで少しだけ笑った。

「私もだ。だが、それでいい。怖さを知っている方が、判断を誤りにくい」

その言葉に、レオンは張っていた息を少しだけ抜いた。

「行くぞ」

開戦は一瞬だった。

リナの矢が先頭の個体を射抜き、同時にカイルが左へ回り込む。群れが吠え、上位種がこちらを向いた。

重い。

その一歩だけで空気が変わる。

「ガルド!」

前衛が盾を構え、正面へ出る。

レオンは即座に強化を飛ばした。

「《フィジカル・ブースト》!」

ガルドの踏み込みが深くなり、激突の瞬間、上位種の突進を正面から受け止める。

鈍い衝撃音。

普通なら押し切られていたかもしれない。だが二層目を重ねた瞬間、ガルドは地面を踏みしめ直し、逆に相手の勢いを止めた。

軽い。いや、衝撃がないわけじゃない。ガルドの肉体が、地面と一体化して鉄の塊になったような感覚だ。スタッキングの層が厚くなるたび、己の『重さ』という物理定義が書き換えられていく。 上位種の巨体から放たれる質量を、ただの紙切れのように受け流せる異様な万能感が、盾を通じて全身に伝わってきた。

「今だ!」

エリシアが走る。

レオンは彼女へ術式を切り替える。

「《スピード・ブースト》!」

「さらに!」

「《スピード・ブースト》!」

二重の加速を受けたエリシアが、一気に上位種の側面へ滑り込む。剣が脇腹を裂き、獣が怒りの咆哮を上げる。

周囲の個体も一斉に動き出した。

カイルが一頭を引きつけ、リナが後衛から援護する。だが上位種は傷を負ってなお速く、鋭い。

「レオン、後ろ!」

叫びと同時に、別個体が飛び出した。

レオンは反射的に自分へ魔法をかける。

「《スピード・ブースト》!」

昨日と同じ。だが今回は、それだけでは終わらなかった。

胸の奥の熱が、一気に脈打つ。

視界が澄む。

音が遠のく。

世界の輪郭だけが、不自然なほど鮮明になる。

レオンは滑るように身をかわし、そのまま無意識のうちにもう一節、術式を重ねていた。

「《センス・ブースト》」

初めて使う補助だった。いや、覚えてはいた。だがまともに実戦投入したことはない。にもかかわらず、今は驚くほど自然に術式が通る。

「エリシアさん、右から来ます!」

声を上げる。

死角へ回っていた個体を、エリシアが振り向きざまに斬る。

「助かった!」

その瞬間、上位種が体勢を崩した。

ガルドの押さえ、リナの矢、カイルの攪乱、そしてエリシアの一閃。全てが噛み合った結果だった。

獣の巨体が地に沈む。

残った個体は統率を失い、散り散りに逃げていった。

静寂が戻る。

誰もすぐには喋らなかった。戦闘の密度が高すぎて、現実感が追いつかないのだ。

やがてカイルが、長く息を吐いた。

「……今の、完全に見えてたよね」

「見えてたというか、読んでた」

とリナ。

ガルドは短く言う。

「助けられた」

エリシアは剣を収め、レオンの前まで来た。

「レオン」

「は、はい」

「今、補助を二系統切り替えたな」

「……たぶん」

「たぶん?」

「夢中で、気づいたら」

自分でも曖昧な答えだった。

だが嘘ではない。

エリシアは数秒だけ黙り込み、それから静かに言った。

「ますます面白い」

その言葉に、今度はレオンも少しだけ笑えた。


帰還後、報告を終えた頃には、空はすっかり夕色に染まっていた。

上位種を含む群れを撃退。補給路周辺の安全を一時的に確保。損傷軽微。戦果としては十分以上だ。

だが、隊の中で最も大きかったのは、数字に表れない変化だった。

焚き火を囲む空気が、昨日より明らかに近い。

「改めて言うけど、すごかったよ」

とカイル。

「索敵役としては泣いて喜ぶくらいありがたい」

「弓手としてもね」

とリナ。

「視界の補助まで入るなら、選べる戦い方が一気に増える」

「前衛としても助かる」

とガルド。

「支えられていると、前に出られる」

一人ずつの言葉が、レオンの胸に静かに積もっていく。

以前の隊では、成果があっても“たまたま”で片づけられた。失敗すれば“やはり役立たず”と断じられた。だがここでは、何がどう役立ったかを、ちゃんと言葉にして返してくれる。

それがどれほど大きいことか、今のレオンには痛いほどわかる。

エリシアは皆の反応を見回してから、立ち上がった。

「結論を言う」

自然と場が静まる。

レオンも背筋を伸ばした。

「レオン」

名を呼ばれる。

追放を告げられた時とは、まるで違う響きだった。

「君を、我が隊へ迎えたい」

焚き火の音だけが小さく鳴る。

レオンは数秒、意味を飲み込めなかった。

「……え」

「仮ではない。正式に、だ」

エリシアはまっすぐ彼を見る。

「君の魔法は、この隊に必要だ。戦力としても、今後の可能性としても」

「でも、俺は……」

「追放された補助魔法師、か」

彼女はレオンの言葉を引き取り、首を横に振った。

「それは君を切り捨てた側の都合だ。私たちには関係ない」

「……」

「私が見たのは、自分の力に怯えながらも、誰かを支えるために前へ出た術者だ」

その一言で、胸の奥が強く鳴った。

昨夜から燻っていた熱が、今度ははっきりと灯る。

怖さも、不安も、消えたわけではない。自分の中にあるこの異質な何かが、何を意味するのかもまだわからない。

けれど。

それでもここにいていいと言ってくれる人たちがいる。

「どうする?」

とカイルが笑う。

「断ったら、もったいなさすぎるけど」

「でも決めるのはレオンよ」

とリナ。

ガルドも静かに頷いた。

「お前が選べ」

選ぶ。

その言葉に、レオンは少しだけ目を閉じた。

これまでの自分は、選ばれる側ですらなかった。置かれた場所で、与えられた役目をこなし、それでも価値がないと切り捨てられるだけだった。

だが今、初めて自分の意志で答えを返せる。

レオンは顔を上げる。

「……お願いします」

声は震えていた。けれど、逃げなかった。

「俺を、この隊に入れてください」

エリシアが短く頷く。

「ようこそ」

その言葉と同時に、カイルが嬉しそうに息をつき、リナが笑って拍手し、ガルドが静かに腕を組んだまま頷いた。

焚き火の火が、ぱち、と弾ける。

レオンはその温かさを見つめながら、胸の奥へそっと手を当てた。

まだ熱はある。

小さく、けれど確かに。

まるで、自分の中で眠っていた何かが、この選択を待っていたかのように。

その正体は、まだわからない。

けれど今はもう、ただ恐れるだけではなかった。

追放された補助魔法師。

そう呼ばれて終わるはずだった自分に、別の名前が与えられようとしている。

支える者。

重ねる者。

そして、仲間。

レオンは初めて、明日を少しだけ楽しみに思った。

森の向こうで夜風が鳴る。

新しい居場所の火は、静かに、しかし確かに燃えていた。


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