裏側
「アハハッ! 良かったよ。ボクのショートケーキが口に合って。前にあげたフィナンシェは喜んでくれなかったからさ」
そこは事務所にある一室。
誰もいない部屋の中で、狂狼は一人笑っていた。
「うーん。でも、ルミナのローストビーフの方がおいしそうに食べてるね……。比較しにくいように味を寄せたのが悪かったのか、それとも……ボクもまだまだってことかな?」
莉緒は椅子に深く腰を下ろし、指先で机を軽く叩いた。
「……でも、負けっぱなしじゃ面白くないよね。次はもっと驚かせてあげないと」
その瞳には、悔しさよりも楽しげな光が宿っていた。
競い合うことが嫌なのではなく、むしろそれを糧にしている。
ルミナの圧倒的な腕前を認めながらも、莉緒は自分の挑戦をやめるつもりはなかった。
「ま、次がいつになるのかは、わからないんだけどね」
いくら事務所の運営側に関わってるとは言っても、最終的な決定をするのは社長であり、莉緒には決定権など一つも無い。
……それでも、口八丁で場を転がし、だいたいのことを思い通りにしてきたのも事実だった。
そうしている間にも、配信は進み、やがてカラオケが始まる。
三期生は、みんなそれぞれの個性を歌に込めていた。
ニヤは勢いで場を明るくし、マサは渋い声で空気を変え、ユイトは不器用ながらも真剣に歌い切った。
ユイの透き通る声は観客を癒やし、そして最後にノアが――心の奥底をさらけ出すような歌を放った。
モニター越しにその光景を見つめながら、莉緒は小さく息を吐いた。
「……やっぱり、面白いな。舞台の上で輝くのは、こういう瞬間なんだ」
三期生を見ていると、一生かけて成し遂げなければならない願いが叶いそうに思えてしまう。
一期生だけでは人が足りない。二期生だけでは、熱意が足りない。三期生がいて初めて、すべてが揃ってくれる――そう、確信できた。
「これでようやく、舞台は完成する。あとは……どう動かすか。――ああ、わかってるよ。もちろん、彼女らだけじゃない、ボクもすべてを出し切るから」
そもそも、この願いはボクだけのものだ。
冴でも気付いておらず、気付いている可能性があるのはユイの姉だけで……しかし、彼女はもうこの世にいない。
――だからこそ、これはボクだけの使命であり、その責任として、ボク自身が誰よりも力を出し切らねばならない。
そんな時……部屋の扉が開く。
「やぁ、冴じゃないか。どうしたの?」
振り返った莉緒の視線の先に立っていたのは、同じ一期生であり、ルミナの中の人、そして何よりも莉緒の親友――星見冴だった。
「ここに来た理由など、莉緒なら理解しているはずだが?」
「それ、冴の悪いとこだよ。みんな冴ほど頭がよくないんだから」
「それなら、口から出る言葉のほとんどが嘘とごまかしの莉緒はどうなんだ?」
「アハハッ! 確かに、それもそうだ!」
やっぱり、冴はボクのことをわかってくれてる。
……その点は、本当に好きだよ。
「はぁ、時間の無駄だから、私から言うぞ。――さすがに荒療治すぎる。もっと時間を掛けても良かったはずだ」
相変わらず主語が無い。……でも、その主語は誰のことなのか、ボクにはよく理解できた。
「主語が無いからボクには誰のことかわからないよ」
「……」
「アハハッ! ごめんって。朝霧ノア――氷室澪のことだよね?」
そう、画面の中で歌ってるノアのことだ。
彼女は、ここ最近の先輩たちとのコラボ――そして、今回のコラボがとどめとなって、一時的に逃げ出した。
何故そんなことをしたのか、どんな過去があったのか、それは少しもわからないけど、その行動を導いたのは確かにボクの仕業だった。
「……やっぱり、お前の仕業だったのか」
冴の声は淡々としていたが、その奥にわずかな怒りと心配が混じっていた。
……きっと、その心配はノアに向けられているのだろう。
「そう、ボクが仕掛けたことだよ。ノアを追い込んだのは、間違いなくボクのやり方だった。でもね、あのまま放っておいても、いつかこうなることは確実だった。だから、ボクがしたことなんて、せいぜいその期間を圧縮したくらいだよ。どこかの魔女様みたいにね」
そんな軽口を言うけれど、冴はどうやら許してくれないみたんだった。
「そんなことは問題じゃない。少しでも間違えれば取り返しのつかないことになりかけたんだぞ」
「でも、冴なら途中でボクのたくらみを気付いていたでしょ。例えば、初めてコラボした時くらいに。それでも、ノアに介入しなかったのは、このままボクに任せていたら、ノアの闇を解決できると演算したからじゃないのかい?」
極論、こういうことなのだ。
ユイやニヤ、そしてノアなどは、ボクのたくらみに気付いていなかった。だから、ボクのことを非難する権利はあるし、いくらでも非難してもらっても構わない。……なんなら、暴力という手段を使ってもいいよ。
でも、冴は非難する権利すら持っていない。何故なら、唯一ボクを止めることが出来た人物だったからだ。
ただ……。
「私が言っているのは、そのやり方では――たとえ結果が出ても、お前が感謝される未来は永遠に訪れないということだ。むしろ、いずれ誰からも拒絶され、孤独に取り残されることになる」
「いいよ。全ての人から嫌われることなんて、ずっと前から覚悟しているんだし、もちろんその中には君も含まれているんだから」
その言葉を言うと、冴は息の詰まったような表情を――一瞬だけ見せた。
はぁ、相変わらず優しいんだから、冷酷な人の演技なんてしなくていいのに。
「何が、お前をそこまで突き動かす?」
「言わないよ。少なくとも、君にだけは絶対に言わない」
そうして、 ボクは立ち上がり、冴の横を通りすぎて、部屋から出ていく。
その時、とても小さな声で、冴が呟いた。
「……もう、ともに歩むことは出来ないのか?」
冴の声はかすかに震えていた。
「……そうかもね」
莉緒は振り返らずに答える。
「だけど――最っ高のプレゼントは用意してるから、楽しみにしてて」
扉が閉まる音が響き、部屋には冴だけが残された。
彼女はしばらく動けずに立ち尽くし、莉緒の残した言葉を胸の奥で繰り返す。
それは別れの宣告であり、同時に未来への約束でもあった。




