連絡
「えー、こういうことですので、この問題の答えは……」
あれから、何事も無く授業は進んでいった。
先生は、ホワイトボードに数式を書き込んでいき、生徒たちもそれをノートに書きこんでいく。
(はぁ、今日は集中できない)
いつもは、集中して授業を聞くことが出来ていたはずなのに、今朝見た夢のせいで、それが出来なくなってしまっていた。
こうなってしまったら仕方がない。休み時間や家で、しっかりと復習をしよう。
「……ということで、今日はここまで、ちゃんと復習しておくように」
そんなことを考えていると、気づけば授業が終わっていて、周りのクラスメイトたちは友達同士で集まっていた。
笑い声や雑談があちこちから飛び交い、教室は一気に賑やかさを取り戻す。
その輪の中に入ることができない僕は、教科書を数ページだけ戻して、授業の復讐を始めていった。
(僕には関係ないことだ。たとえ、一人だったとしても……この毎日は充実している)
ただ虚しくなるだけかもしれないけれど、僕はそう考えて自習を続けていった。
ページをめくる音だけが、僕の机の周りに響いていく。
隣の席からは楽しそうな笑い声が漏れてくる。
その声を聞くたびに、胸の奥の空洞が少しずつ広がっていくような気がした。
そんな時――ポケットの中のスマートフォンが震え、通知の着信を告げた。
(ん? 何だろう? おじいちゃんからかな?)
そう思いながら、スマホを開くと、予想外の人からの連絡が来た。
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ベオ・オーリス
今日、事務所に来れる?
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「えっ⁉」
莉緒さんからの連絡に、つい大声を上げてしまう。
「え? 今のって誰の声?」「氷室じゃない?」「氷室って誰?」「いつも、自分の席に座ってるあの人」「へぇ、大きな声出せるんだ」
周囲の視線が一斉に集まってきた。
普段は誰も気に留めないはずなのに、今だけは僕が教室の中心にいるような錯覚を覚える。
けれど、それは居心地の良いものではなく、ただ胸の奥をざわつかせるだけだった。
(最悪、注目されたくなかったのに。それに、事務所に来てってどういうこと? あの人のことだから、碌なことじゃないでしょ)
僕にとって、莉緒さんは警戒すべき人物であり、決して気を許してはいけない相手だった。
その人からの「事務所に来れる?」という一文は、ただの呼びかけではなく、何か裏があるようにしか思えない。
(……無視した方がいいのかな。でも、もし行かなかったら……)
それでも、莉緒さんは偉大な先輩であり、言うことを聞かないのは失礼になる。
(……やっぱり行くべきなのか。いや、でも……)
心臓の鼓動が速くなる。
スマホの画面に映る短い文字列が、まるで試練のように僕を見つめ返していた。
断れば、失礼になる。
応じれば、何かに巻き込まれるかもしれない。
(はぁ、気が進まない)
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朝霧ノア
わかりました。学校が終わり次第向かいます
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ベオ・オーリス
ありがとね
お詫びになにかしてあげるから
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お詫びと言われても、碌なことじゃない気がする。
それでも、言ってしまったことは仕方がない。ちゃんと、事務所に行かないと。
(はぁ、本当に憂鬱だ)
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ガタゴトガタゴト――電車が一定のリズムで揺れている。
窓の外には、灰色の街並みが流れていく。
周囲の乗客たちはスマホを見たり、友人と話したりしているが、僕はただ座席に身を沈めていた。
(それにしても、事務所に来てってどういうことなんだろう? 話すだけだと、前みたいに喫茶店とかでもいいはずなのに)
莉緒さんが、何故事務所に呼んだのか。あれからずっと考えていたけど、結局答えは出なかった。
ただ一つ言えるのは――喫茶店や通話ではなく、わざわざ事務所という場所を指定してきたこと。
それは、きっと軽い話ではない。
そう考えていると、事務所の最寄駅に着いた。
電車のドアが開き、冷たい風が一気に車内へ流れ込んでくる。
人の波に押されるようにホームへ降り立つと、胸の奥の不安がさらに重くなった。
(……本当に来ちゃったんだな)
改札を抜けると、見慣れない街並みが広がっていた。
ビルの影が長く伸び、午後の光はどこか灰色がかっている。
事務所へ向かう道はわかっているはずなのに、足取りは自然と遅くなっていた。
「仕方がない。覚悟を決めよう」




