その後
「お疲れさま、ノアちゃん」
あれから何曲か歌い、配信は終わった。
ライトが落ち、モニターに映っていたコメントの奔流も静まり返る。
さっきまで熱気でいっぱいだった部屋に、急に静けさが訪れた。
「……お疲れさまです、ユイさん」
マイクを外しながら答えると、胸の奥にじんわりとした余韻が広がっていく。
初めての歌枠、初めてのデュエット。緊張もあったけれど、それ以上に――楽しかった。
ふと横を見ると、ユイさんが椅子に深く腰掛けて、天井を見上げていた。
頬にはまだ涙の跡が残っているのに、その表情はどこか晴れやかで、柔らかい。
「……ありがとね、ノアちゃん。今日、あなたがいてくれてよかった」
その声は、配信中よりもずっと小さく、素直で、弱さを隠していなかった。
でも、その瞳には影が残されておらず、彼女は自信の問題に向き合い、解決できたのだろう。
「こちらこそありがとうございます。最初の方は、ユイさんのおかげで助けられましたから」
配信が始まってすぐのころは、僕の人見知りのせいでうまく話すことが出来ていなかったと思う。
だけど、ユイさんのフォローのおかげで、視聴者のみんなにちゃんと笑顔を向けることが出来た。もし、ユイさんがフォローしてくれていなかったらどうなったのか――想像するまでもない。
でも、ユイさんは僕の感謝を受け取ってくれなかった。
「ううん、私はユイちゃんに――澪ちゃんに感謝されるべき人物じゃないよ」
ユイさんはそう言って、かすかに視線を逸らした。
その横顔には、さっきまでの晴れやかさとは違う、長年染みついた影がまだ残っているように見える。
「澪ちゃん、ちょっと時間ある? 私の過去について聞いてほしいんだ」
その言葉に、胸が少しだけざわついた。
配信の熱気が消えた静かな部屋に、ユイさんの――零さんの声だけが落ちていく。
彼女の瞳はまっすぐこちらを見ているのに、どこか遠くを見ているようでもあった。
「……もちろんです」
「ありがとう。……たぶん、これを話すのは初めてなんだ」
ユイさんの声は震えてはいなかった。けれど、長い間胸の奥に押し込めてきたものを、ようやく言葉にしようとしているのが伝わってきた。
僕はただ黙って、彼女の言葉を待った。
「私はね、昔から姉さんと比べられてきたんだ。姉さんは、一期生のあの人のような天才で、どれだけ努力しても……一度も勝つことが出来なかった」
ユイさんは淡々と語っていた。けれど、その声の奥には、長年積み重ねてきた悔しさと諦めが滲んでいた。
「テストの点数も、運動会も、歌も……全部。私がどれだけ頑張っても、周りは『お姉ちゃんはもっとすごい』って言うの。気づけば、私自身を見てくれる人なんて、誰もいなくなってた」
ユイさんは小さく笑った。けれど、その笑みは痛々しいほどに弱々しかった。
「それにね、私の『零』って名前は少し男っぽい名前だと思わない? それは、私の両親が男の子を欲しがってたからで、姉さんは才能で黙らせることが出来ていたけど、私はそれが出来なかった。
それでも、姉のことを憎めなかった。だって……唯一、私を褒めてくれたのは姉さんだったから。皮肉だよね。私を一番苦しめた存在が、同時に一番優しかったなんて」
言葉を重ねるごとに、ユイさんの肩が少しずつ震えていく。
僕はただ黙って、その痛みを受け止めるしかなかった。
「だけど、姉さんは数年前に死んでしまった。その理由は……歩道に突っ込んできた車から私を庇ったから。結果、私は無傷で生き残って、姉さんは帰ってこなかった。それからどんなことが起きたのか……それは言わなくても予想できるでしょ」
ユイさんはそこで言葉を切った。静まり返った部屋に、時計の針の音だけが響く。
彼女の横顔は笑っているようにも見えたけれど、その瞳の奥には深い痛みが隠されていた。
――生き残ったこと自体が罪だと、ずっと責められてきたのだろう。
「その後は、いろいろあって、ここのオーディションに応募して受かったんだ。でも、うまく伸びることが出来なかった。ここでなら私でも輝くことが出来ると思っていたけど、そんな幻想は一瞬で打ち壊された。だから、私は今日のコラボでこんなことをしたんだ」
ユイさんは自嘲するように笑った。その笑みは、配信中に見せていた晴れやかなものとはまるで違っていた。
「ノアちゃんが人見知りだってことは知っていたから、オフコラボをすることによって、きっと私の方が主導権を握れると思ったの。それに、ゲームや歌は、私でも勝つことが出来るかもしれない。そして、勝つことが出来れば、少しは視聴者を奪えるかもしれないって……そんな醜い考えで誘ったんだよ」
ユイさんは苦笑しながらも、視線を合わせようとはしなかった。その横顔は、まるで自分自身を罰するように硬くこわばっている。
「だから、感謝される筋合いなんて無いんだよ」
ユイさんはそう言って、唇を噛みしめた。
その声は震えてはいなかったけれど、どこか自分を突き放すような冷たさがあった。
「……そんなことありません」
気づけば、僕は強い声で言っていた。
ユイさんが驚いたように目を瞬かせる。
「理由がどうであれ、今日、僕はユイさんに助けられました。それは事実です。だから、感謝させてください。僕にとっては、それだけで十分なんです」
言葉にすると、胸の奥が熱くなった。
ユイさんはしばらく黙って僕を見つめていたけれど、やがて小さく息を吐き、かすかに笑った。
「……ほんと、ノアちゃんは強い子だね。そんなことを言われると、少しだけ……救われちゃうじゃんか」
そうして、ユイさんは――零さんは優しく微笑んだ。
「ねぇ、私はこんなにもめんどくさいけれど、これからもコラボしてくれる?」
その問いかけは、冗談めかした響きを装っていたけれど――瞳の奥は真剣だった。
拒絶されるのが怖いから、軽く笑ってごまかしている。けれど、本当は必死に縋っている。
「……もちろんです」
気づけば、即答していた。
零さんの目がわずかに見開かれる。
「僕だって人見知りで、頼りないところばかりです。でも、今日一緒に歌って、零さんとなら……もっと楽しいことができるって思えたんです」
言葉にすると、胸の奥が熱くなる。
零さんはしばらく黙って僕を見つめていたけれど、やがて小さく笑った。
「……そっか。じゃあ、これからもよろしくね、澪ちゃん」
その笑顔は、さっきまでのどんな笑顔よりも自然で、柔らかかった。




