変態
「ねぇ、莉緒? なにか、わたしに言うことなぁい?」
次の日、美咲が開口一番にそれを言ってきた。
な、なんのことだろうか……? 思い当たることは……うん、何もないよー。
――と、思ったけど、美咲の目が笑っていない。
あ、これダメなやつだ。
「零に何か言ったでしょ。もしかして、普段の調子で接したんじゃないの?」
「あはは……ちょっと煽っただけだよ……ストップ! まずは、その拳を下げようか!」
「あ、ごめん。聞こえなかった」
「は? 聞こえてるでしょ! 冴も見てないで美咲を止めてよ! どっちの味方なの!?」
「即答!?」
どうやら、味方はいないようだった。
でも、問題ない。この程度の苦難なんて、乗り越え――
「いたっ!? ほんとに殴った!?」
「軽めだよ?」
「軽めでこれ!? 骨に響いたんだけど!?」
「莉緒が零を泣かせたんでしょ?」
「まずは、説明させてよ!」
何とか説得し、美咲を止める。これで、ある程度の時間は稼ぐことが出来るだろう。
「説明って何?」
「ボクが零にしたことはね、ちょっと努力の方向性を伝えただけだよ」
「努力の方向性?」
「そうだよ。今のままでは、永遠に美咲に届くことは出来ない。だから、努力の方向を変えるべきだ。そう伝えただけ」
「……ほんと?」
「うん」
ボクは、嘘を言っているわけじゃない。これらのことは全て本当のことで、その過程で零を泣かせたりしたことを省いているだけだ。
人を騙すのに嘘を言う必要なんてない。本当のことだけで、人は簡単に騙せてしまうんだよ。
……でも、それが通用するのは、出会って数か月しか付き合いが無い美咲だった。もっと幼いころからの付き合いで、ボクの手段について熟知しているもう一人の天才には、それが通用することはなかった。
「それが全部か?」
冴が口出してくる。でも、ボクは何も言うことが出来ない。嘘なんて吐けば、この天才たちには一瞬でばれてしまうから。
「え? どういうこと?」
「コイツは、大事な部分を抜いて話すことがよくあるからな」
「あー、なるほどね。零のことを泣かした可能性があったりするのか」
気づくの早すぎだろ。もう少し時間を稼げると思ったのに。仕方がない、正直に話そう。
「確かに、ボクは零のことを泣かせたよ!」
「は?」
「でもね、それは必要なことだったんだ! このままだと、零は美咲に勝つことが出来ず、いつか努力をやめてしまうかもしれない。でも、ボクが煽ることによって、ボクに対してやり返したいという気持ちが芽生えたはずだ!」
言いながら、自分でも必死すぎると思った。
でも、これは本心だ。零の努力は本物。だからこそ、方向さえ変わればもっと伸びる。
「だから、美咲という目標以外にも、ボクという第二の目標が出来たんだ。それって、君にとっても、いいことのはずだよ」
「それは……そうだけど」
「だって、そうでしょ? 君が妹のことを好きになったのは、あの向上心が理由のはずだ。ボクも、あの向上心を気に入ったしね」
たぶん、美咲が零のことを好きな理由は他にもあるんだと思う。けど、やっぱり原点はそれ。
「はぁ、いいよ。この件については許してあげる」
「妹が好きな理由はそれなのか?」
「そうだよ、冴。わたしの周りにいた人たちは、わたしを褒めるだけで、横に立とうとしなかった。すごいねって言うだけで、誰も本気で追いかけてこなかった」
その言葉には、ほんの少しだけ孤独が滲んでいた。
天才は孤独だ。
冴や美咲のようなタイプは特に。周囲が勝手に諦めて、勝手に距離を置いて、勝手に別世界の人間扱いする。
だからこそ――
「けど、零はその中で唯一、わたしより上に行こうとしたんだ」
美咲の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「好きになるに決まってるでしょ」
その一言は、冗談でも狂気でもなく、ただの姉としての本音だった。
そして、美咲は少しだけ視線を逸らし、照れ隠しのように小さく付け足した。
「……ま、他にも理由はあるんだけどね」
「……なるほどな、気持ちはわかるよ」
「え? 冴も理解できるの?」
「うるさい、黙れ」
「なんで!?」
「ははっ、やっぱり君たちは面白いよ」
理不尽だ、ボクが責められる要素なんて、どこにもなかったはずなのに。でも、仕方ないか、冴が理不尽なのはずっと前からだ。
憧れた弱み。冴のそういう所も好きだから、何も言うことが出来ない。
「それで、他の理由って何なの?」
「えっ!?」
「ほらほら言いなよー。面白そうな話が出てきそうじゃんか!」
「はぁ……相変わらず、性格が悪い」
性格が悪いなんて酷いなー。新しい煽る材料が見つかりそうだから、ボクはさらに踏み込むことにしただけじゃんか。
「で? 他の理由って何なのさ。ほら、言ってみなよ。どうせロクでもない理由でしょ?」
「はぁ……わかったよ。言えばいいんでしょ、言えば」
美咲がむっと頬を膨らませる。
その反応があまりに分かりやすくて、ボクは笑いを堪えるのに必死だった。
「まずは、わたしと同じ産道を通って生まれたこと。次に、わたしと遺伝子が酷似していること。その次に、零の寝起きの声がちょっと掠れてて可愛いところ。あとね、眠いときだけ語尾が弱くなるの、あれ反則級に可愛い。ページをめくる指が丁寧で、本を大事にしてるのが伝わるところ。怒ったときに眉がきゅっと寄るの、世界で一番守りたくなる。食べ物を食べるとき、最初の一口だけ慎重になる癖も好き。努力するときの顔がね、ほんとに綺麗で、見てるだけで泣きそうになる。わたしのスイーツを食べたときのわるくないは実質最高評価なところ。わたしが何を言っても真正面から受け止めようとする強さも好き。でも、素直になれなくて拗ねるのも可愛い。あとね、零って、泣くときに声を出さないように我慢するの。あれ見ると胸が痛くなるけど、それでも愛おしい。わたしのこと嫌いって言いながら、実はちゃんと見てくれてるところ。努力が実らなくても、諦めずに続ける根性も好き。 わたしが褒めると照れて逃げるのも好き。逆に、わたしが落ち込んでるときは黙って隣に座ってくれるのも好き。手をつなぐと、温かくて、お腹の奥がぞくぞくしちゃう。零の全部が好き。理由なんて数えきれないし、数える意味もない。だって、零は零だから好きなんだよ」
とんでもない呪言が出てきた。
いや、呪言なんて生易しいものじゃない。あれはもう、愛情という名の質量兵器だ。
聞いてるだけで脳が焼ける。妹への愛を語っているはずなのに、なぜかボクのSAN値が削れていくのはどういう理屈なんだろう。
「……冴、これを法律で裁くことが出来ない?」
「……安心しろ。将来、政治家になって、この呪物を死刑に出来る法律を作るから」
「なんで!? それに、どうせ死ぬなら、妹を守って死にたい!」
「「ダメだこれ」」
はぁ、やっぱりコイツはどうにかすべきだ。
そうしないと、零の将来が危うい。
そうして、ボク達は話を終えた。
ボク達三人は、中学三年間も、高校三年間も一緒に過ごして、同じ大学にも進んだ。その間も、零との関係は続いていて、ボクは相変わらず嫌われていたけど、それでも第二の目標という立場であり続けることが出来たと自覚している。
けれど、大学生になって二年ほどが経った時、とあることが起きてしまったんだ。
その頃のボク達は、相変わらず馬鹿みたいに仲が良くて、くだらない話で笑い合って、零の話になると美咲が暴走して、冴が冷静にツッコんで、ボクが巻き込まれて――そんな日々が、ずっと続くと思っていた。
終わりなんて、考えたこともなかった。
でも、人生ってやつは、そういう油断を狙ってくる。
何の前触れもなく、何の予兆もなく、ただ、ある日突然やってきたんだ。
そう――美咲の死という、大事件が。




