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浦和探偵事務所帖 ぱぁとわん 萬屋マイク  作者: 揚羽(ageha)


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3/12

60歳からのリスタート

 商店街は、夜へ沈みかける直前の、ほのかな吐息のような柔らかさに包まれていた。

貴美子は、三つの鞄を抱えて歩いていた。肩のバッグ、手提げの布袋、背中のリュック。信号の前で足を止めた拍子に、リュックの隙間から小さなメモ帳が落ちた。

俺が拾い上げる。

「危ねぇな。落としたら、探すのが大仕事になるところだったぜ」

「……ありがとうございます」

「字が綺麗だな。几帳面で……ちょいと詰め込み気質の字だ」

俺は名乗った。

「萬屋マイク。通りすがりの探偵だよ」

「……探偵さん? まるで占い師のようですわ」

「占いはやってねぇが、人の性格を当てるのは、まぁ得意らしい」

夕暮れの光が、俺のコートの端を淡く染めていた。貴美子はそれを、しばらく見ていた。


 信号が青に変わった。

「鞄、多いな。三つ持ちはベテランだ」

「若い頃からなんです……持っていないと落ち着かなくて」

「それも、その人の生きる姿勢だよ」

俺は言った。

「珈琲でも飲んでくか」

「……よろしいのですか、私なんかが」

「いいよ。来る人は拒まねぇ主義でね」

路地に入ると、小さな木の扉があった。

「入んなよ。嫌ならすぐ帰ればいい」


 扉を開けると、部屋に焙煎豆の匂いが満ちていた。

「そこ座んな。鞄、いったん全部降ろしな」

貴美子が三つの鞄を床に置く。

「定年、最近だろ」

「……どうして、分かるのですか」

「心身が空っぽで疲れてるって顔してっから」

「六十まで働きました。やっと自由だと思ったのに……自由って、こんなに心細いものなのですね」

「道幅が急に広くなっただけさ。これからの歩き方は、自分で決めりゃいい」

「やっぱり……マイクさん、占い師みたいですわね」

「ただのお節介探偵だよ。ほら、鞄、ほどこうぜ」

机に品が並びはじめた。

「おっと……停電か。たまにあるんだよ、ここ」

俺は懐中電灯を点けた。

「……暗いと、余計にいろいろ見えてしまいますわね」

「そういうもんさ。陰影は、いらねぇもんを消す」


 照明が戻った。

「戻りましたわ」

俺は箱を差し出した。

「明るさと暗がり、両方から見て整理するのも悪くねぇ」

「私……選べるでしょうか。全部、大事にしてきたものなんです……でも今は、何が必要で、何が私を縛っているのか……」

「人生は急かさねぇ。いまのあんたに合うもんだけ、選べばいい」

「……私は、何を持っていけば」

「未来に必要なもんだけだ。それ以外はここに置いとけ。捨てなくていい」

「思い出の避難箱だ。しばらく休ませてやる……飲み屋のボトルキープみたいなもんさ」

「……軽くなりましたわ」

「見りゃわかる。肩の線が前向いてる」

「私……何かを始めたいのです。声を使うことを、試してみたい気がいたします」

「いいじゃねぇか。読み聞かせでも朗読でも。あんたの声なら届く」

「本当に……?」

「本当だよ。俺、嘘つくの苦手でね」


 外へ出ると、夜の空気がやわらかく街に降りていた。

「貴美子。あんた、今日……誕生日みてぇな顔してるぜ」

「まぁ……そんなふうに見えますの?」

「見えるさ。自由に迷って、自由に選び直した人の顔だ」

「これからの私は……今日よりもう少し、自分を好きでいたいです」

「似合うぜ。その生き方、あんたに」

「……やっぱりマイクさん、占い師みたいですわ」

「ちげぇっての」

「でも──私の未来を、そっと照らしてくださいました」

「読み聞かせ、うちで練習していいぞ」

「ありがとうございます」

「気ぃつけて帰れ」

貴美子は静かにうなずき、夜の商店街へ歩いていった。

未来は、もう動いていた。

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