表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
浦和探偵 ジン  作者: 如月あげは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/14

『血より濃い、朱』中巻

夕暮れの河川敷と、シスター

 

 河川敷は、走る人間の呼吸がよく聞こえる場所だ。川の流れより、肺の音のほうが先に耳に入る。あの男がやってきた。

「ちりんちりん、ちりんちりん」

「なんだい」

「ジンちゃんがさ、そろそろ会長かわってくれるかなって」

「俺はやらねぇってば。ってか、口でちりんちりん言うのはやめろって!」

「最近ベルが鳴らなくてねぇ」

「整備不良だぞ」

「ジンちゃんナンパか」

「ちげえって」

「あつーは?」

「おれ? 集金、集金よ」

「気をつけてなー」

「また、ナーちゃんに会いに行くからねぇ」

「もう。くんなよ」

あつろうを見送り、俺は独り言をつぶやいた。「ハンサムなんだか、ダンディーなんだか、わかんねぇおっさんだな」。

 ひかりと初めて言葉を交わしたのは、そんな夕方だった。何度か顔は見ていた。互いに声をかけないまま、距離だけが縮まっていく、そういう知り合い方。ひかりも俺も、それぞれ走っていた。ひかりは一定の速度、同じ靴、同じフォーム。数字に置き換えられる努力を、きちんと続けている身体だった。電話が鳴った。俺はベンチに腰を下ろし、煙草に火を点けた。足音が近づき、遠ざかり、また戻ってくる。

「ジン金払えよ」

「今度払いにいくってば」

「事務員雇ってからヒモが固くなってな」

「そりゃ関係ねぇじゃん」

「厳しいんだぜ」

「……確かに」

「ナオナが来てからジン変わったな」

「そうかぁ、今度いくわ」

「待ってる」

ただのぶからの請求の電話だった。ベンチから立ち上がると、ひかりが足を止めて言った。

「こんばんは」

「……こんばんは」

それだけで十分だった。河川敷では、説明が多いほど邪魔になる。

 それから、ひかりは時々俺の横に座るようになった。息が落ち着くまでの数分、記録の話はしない。ただ、黙って水を飲む。沈黙が苦にならない人間は、たいてい重い問いを抱えている。ある日、彼女が言った。

「信じたいんです。でも、怖いんです」

「そうか」

「おかしいですか」

「おかしくない」

「でも、怖いのに信じたいって、矛盾してますよね」

「矛盾してない。両方、本当のことだからだ」

彼女の話は断片的だった。恋人がいること、優しいこと、応援してくれること。ただし、彼は決して並んでは走らない。レースの日にはいつも不在で、終わったあともいない。理由はいつも仕事、用事。どれも嘘ではない。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。ひかりといいます」

「俺は探偵をしている桜井だ。よろしく」

「探偵……」

「驚くか」

「少し。この辺で探偵なんて、初めて聞きました」

「どこにでもいるよ」

「桜井さん。あまりものですが、おにぎり食べません?」

「いや、嬉しいね。もらってもいいか」

「もちろんです」

食べながら、話は恋人との関係に及んだ。ホテルに行くとき、弁当を作っていっても褒めてもらったことがないという。

「妹みたいだって言われます」

「それで、どう感じる」

「……安心してほしいから、走ってるわけじゃないんですけど」

「だな」

「でも、喜んでくれるから、それでもいいかなって思ってました」

「今は」

「……今は、少し違う気がします」

俺は川を見た。水面は、何も答えない。

 そうした時間が、何度も重なっていった。俺の横に座る時間が増えるにつれ、彼の名前も、特別なものではなく会話の中に混じるようになった。そうして迎えた何度目かの夕方、ひかりは言った。

「私、考えすぎなんでしょうか」

「考えている人間は、大体そう言われる。慰めじゃない。経験則だ」

「桜井さんも言われましたか」

「散々言われた」

「それでも考えるんですか」

「やめる理由がないからな。自分で考えなくて済む場所に身を置くと、人は楽になる。考えなくていい、というのが一番強い」

ひかりの指が、膝の上で止まった。要求にだけ応えていれば、彼の機嫌はいいのだという。

「問いってのはな、すぐ答えを出すためにあるもんじゃない。自分がその先を引き受けられるかどうか、そこを確かめるために残るもんだ」

「引き受ける、か」

「そうだ」

「引き受けたくないから、考えないようにしてたのかもしれないです」

「それが分かったなら、十分だ」

川の匂いが風に乗る。

「走るのは悪くない。でもな、そろそろ、伴走しないやつをそのままパートナーって呼び続けるかどうか、一度立ち止まって考える頃合いなのかもな。優しいな、お前は。でもな、成り立たない関係ってのは、最初から並んでいないんだ。相手を守るために自分の考えを止めなきゃいけないなら、それはもう、優しさとは少し違う。手入れしているつもりで、自分だけ削っていないか」

「…………」

「返事はしなくていい」

「してもいいですか」

「どうぞ」

「……削ってたと思います。削ってることに、気づかないようにしてました」

ひかりはしばらく俯いていた。泣かなかったが、呼吸だけが少し乱れた。

「私……スマイルさんとのこと、問い続けているつもりでした。でも桜井さんの話を聞いて分かりました。考えないように、考えないようにとしてきたのは、私の方だったのかもしれません。信じ続けようって自分に言い聞かせながら、一番聞いちゃいけないことだけを避ける癖が、ついていた気がします」

「それが分かったなら、もう十分だ」

俺は何も言わなかった。それ以上は毒になる。

 日が落ちる頃、ひかりは立ち上がった。

「また、走ってきます」

「いってこい」

走る背中は相変わらず一人だった。問いを持ったまま走る人間の背中は、少しだけ重く、そして自由だった。……まあ、悪くねぇ顔してたな。俺は煙草を揉み消し、川の流れを見送った。

 戻ると、弦太とえいたがいた。

「ジンさん、写真、バッチリ押さえましたよ」

「なになになに!」

「彼女なん?」

「ちげえって。いやー、それにしても、二人のバイク迫力あるなぁ」

「話をそらしてるんさ」

「だから、そんなんじゃねぇって」

「明日、ナーさんに写真、見せちゃいますからね」

「好きにしろ、って、暇なら事務所によってくか」

「たまにはいいっすね」

三台連なって、事務所に向かった。あいつは、まだ走っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ