独演
夜の救急外来の待合室。
点滴の落ちる音と、古いテレビの砂嵐だけが、二人の女の息づかいを縁取っていた。
───
綾芽は、七年間ずっと同じ男を追っていた。
「追っていた」と本人は言わなかったが、彼の出社時間と退社時間、家の前の街灯の切れかけ具合まで把握している時点で、周囲は遠巻きに“それ”と呼んでいた。
彼のために弁当を作り、捨てられてもまた作り、
「もしかしたら台風で飛ばされたのかもしれない」
と自分に都合のいい解釈をし続けた。
ある夜、彼にようやく話しかけた。しかし返ってきた言葉は、
「警察、呼びますよ」
の一言だった。
その瞬間、綾芽の中で何かがぷつんと切れた。
愛した分だけ自分が解体されていくのを初めて悟った。
そして今、夜の待合室。
彼女は精神的ショックで過呼吸になり、毛布に包まれている。
携帯には誰からも連絡はない。
“彼だけを見てきた”という誇りは、今やただのひび割れたガラス片だ。
───
莉久は自由だった。
誰かと深く関わると逃げたくなるので、
「好きだけど本気じゃないからね?」
と最初に言っておき、責任のない恋を量産した。
彼女のSNSはいつも賑やかで、誰かしらの腕の中で笑っていた。
ただ、病室で一人になった時、
その「笑っていた誰か」の顔をほとんど思い出せなかった。
検査結果を聞きに来いと言われたその日、
「今夜会えない?」
とメッセージを送った相手たちからの返事はすべて同じだった。
既読スルー。
そして今、点滴台の横で膝を抱えている。
彼女が“浅い関係”と呼んだものは、
本当に浅くて、つま先すら引っかからなかった。
───
点滴の滴る音が、ふたりの孤独を交互に叩いた。
綾芽は「あの人の声が、まだ耳の奥に残ってる」と呟いた。
莉久は「誰か来ると思ったんだけどね」と乾いた笑いを漏らした。
会話が途切れたとき、二人の視線がふと交差する。
「ねえ……どっちが正しかったんだろうね」
「さあ。どっちも間違えたのかも」
綾芽は、深く深く愛することで自分を捧げすぎた。
莉久は、浅く繋がることで誰も自分に触れない人生を選んだ。
そして結局――どちらの生き方も、
“誰も側にいない場所”へ辿り着いた。
冷たい椅子の上で、
ふたりの呼吸だけが、やけに静かに重なっていた。




