偽りの祈り ― 後編
鈍い琥珀と紅の閃光が森を裂いた。
聖なる祈りと血の命がぶつかり合い、
空気そのものが悲鳴を上げる。
エリスの加速は限界を越えていた。
肉体は軋み、肺が灼ける。
それでも彼は止まらなかった。
ライナスの槍が閃き、聖光が奔る。
紅の拳がそれを受け、火花が爆ぜた。
「なぜ抗う! 薄痣風情が!」
「お前が言ったろ。神の命令に従ってるだけじゃ、誰も守れない!」
紅のガントレットが光を掴み、砕く。
琥珀の破片が散り、森の霧に消える。
だが、ライナスの表情にはまだ余裕があった。
「……確かに速い。薄痣にしては異常だな。
だが俺は“神の加護”を受けた者。貴様のような獣とは違う!」
光が彼の手に再び集まる。
地面の聖印が明るく脈動した。
「《セイクリッド・ランス:ジャッジメント》!」
光の奔流が森を焼く。
樹皮が弾け、熱が空気を裂く。
エリスの体が吹き飛び、背中が地を滑った。
肩口の傷が開き、血が滲む。
「エリス!」
リュシアの声が響く。
血の粒が地を伝い、彼女の足元に集まる。
「血よ、応えなさい!」
紅い光が地を這い、結晶が花のように開く。
《ブラッド・スパイン》
無数の紅槍が空から降り注ぎ、光の陣を打ち砕いた。
ライナスが目を見開く。
「な……これは……!」
リュシアの瞳が深紅に染まる。
唇をかすかに噛み、血の剣を握る。
《ブラッド・エッジ》
「神の加護を誇るなら、その光で人を救ってみせなさい!」
紅の剣が弧を描き、光の槍を弾いた。
聖なる輝きが砕け、琥珀の欠片が散る。
しかしリュシアの膝が沈む。
血の剣が揺れ、肩が震えた。
「リュシア、もうやめろ!」
「……殺さない。誰も、殺したくないの……!」
その言葉が、エリスの胸を打つ。
彼はゆっくりと立ち上がった。
血の結晶が腕に纏わりつき、紅の手甲となる。
《ブラッド・ガントレット》
「じゃあ、壊すだけだ。力も、信仰も、何もかも。」
エリスは地を蹴った。
紅と加速の軌跡が重なり、空気が裂けた。
《ディレクト・アクセラレーション》
世界が沈黙する。
光が追いつく前に、彼は槍を掴み、ねじり折った。
ライナスの体勢が崩れる。
彼の喉元へ紅の拳が迫る。
だが、寸前で止まった。
拳は空を切り、風だけが彼の頬を打った。
「……なぜ、止めた?」
「お前を殺しても、何も変わらない。」
エリスの声は静かだった。
ライナスの肩が震え、槍が手から滑り落ちる。
「……神は……お前を許さないぞ。」
「神が何者か、俺は知らない。だが――人を救えない神の代わりなら、いくらでもなる。」
ライナスの目がわずかに揺れた。
怒りではなく、恐怖でもなく。
理解に似た感情が、そこにあった。
「行け。二度とこの森に入るな。」
エリスが剣を納めると、ライナスは沈黙のまま兵たちを下がらせた。
鎧の擦れる音が遠ざかり、霧が再び森を包む。
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戦いの後、リュシアは膝をつき、静かに息を吐いた。
血の剣が溶け、霧のように消えていく。
「殺さなかった……ありがとう、エリス。」
「お前が言ったんだろ。誰も殺したくないって。」
彼女の肩が小さく震える。
その頬に一筋、血の涙が落ちる。
「あなた、優しすぎるわ。」
「優しくなんかない。俺はただ、もう誰も間違って殺したくないだけだ。」
エリスは手を差し出し、リュシアを立たせる。
その瞬間、彼女のフードがずれ、尖った耳が露わになった。
エリスは小さく眉を上げた。
リュシアは慌てて耳を隠す。
「このままじゃ、また見つかる。」
「……わかってる。」
彼女は荷物から深いフードを取り出し、被った。
耳がすっぽりと隠れ、影が顔の半分を覆う。
「どう?」
「十分だ。少なくとも、人には見える。」
「人として歩くのは、少し怖いわ。」
「俺も同じだ。勇者の痣を持ってても、人じゃないと思われてる。」
二人の視線が交わり、
わずかに笑いが零れる。
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森の奥、崩れた聖堂の壁のひび割れから、
淡い光が漏れていた。
エリスが足を止め、壁に手を触れる。
刻まれた文字が薄く光る。
『血により契られし平和、
光により覆われし虚構。
契約が破れし時、真実は再び血を選ぶ。』
リュシアがその文を見つめ、息を呑む。
「……アーク・リュミナスの契約文ね。」
「勇者と魔王の血の誓い……。
もし本当に存在したなら、俺たちがその“証明”なのかもな。」
エリスが笑う。
リュシアも小さく笑い返した。
外へ出ると、霧が晴れていた。
木々の隙間から、淡い陽光が差し込む。
それは黄金ではなく、柔らかな琥珀色。
エリスが空を見上げ、静かに呟く
「神の光より、血の方がずっと綺麗だ。」
風が吹き抜け、二人の外套が揺れた。
森を後にして、
二つの影が並んで歩き出す。
片方は、血を隠した少女。
片方は、光を拒んだ青年。
彼らはまだ知らない。
この先に待つ“真実”が、神話をも殺すほど重いことを。
それでも――
その歩みは、確かに同じだった。




