表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

顔の無い王

ボクと王様の初体験

作者: どるき

基本設定等の説明はこの話(シリーズ先頭)を読んでいただけると幸いです。

https://ncode.syosetu.com/n8855kt/

 合衆国の西端に位置するオメガ公領。

 5年前までボクはこの土地にいた。

 当時のボクはエンディミオンという男が率いていた〝紅蓮の鷹〟という傭兵団に所属しており、幼子ということでエンディミオンには特別贔屓をされていた。

 美丈夫の彼の寵愛を受けていることへの嫉妬から誹謗中傷をする人間も居たとは思うが……何人かはボク自身の手で黙らせていたのは覚えている。

 この頃のボクはエンディミオンに仕込まれた奇襲の技に自信を持っていたし、それで何度も彼を救っていたことを誇る程度には子供らしい優越感で彼からの寵愛を教授していた。

 そんな暮らしの終焉を告げる鐘の音がボクを今の道へと誘ったのは間違いない。

 そう……それは唐突に訪れた。


「今日は団長と一緒じゃねえのか?」


 この日、エンディミオンはオメガ公アルケイデスに呼び出されて公爵邸に向かっていた。

 いくら重宝しているとは言え所詮は浮浪児にすぎなのだろう。

 彼はボクを置き去りにして出かけており、ボクも手持ち無沙汰から新しい技の練習をしていた。

 そんなボクを見つけて声をかけてきたのはクレスという中年男性。

 エンディミオンとは紅蓮の鷹結成以前から付き合いのある古馴染みの男だ。


「公爵様のおうちにお呼ばれだって」

「そういうことか。だったらお前がお留守番なのも仕方がねえ」


 他の団員だったら「子供の相手に疲れて年増園で息抜きしている」とでも言いそうなところ、クレスは古株だからこそボクの言葉で事情を察したようだ。

 ボクとしても他の団員のように「子供だけじゃ胃もたれするから大人を抱くのは良いことだ」とうざ絡みされるよりは気楽である。

 おかげで年齢の割にボクも耳年増になってしまったものだ。


「じゃあ俺も団長に用があるから一緒にいてやるよ。いくら役に立つと言ってもお前だってまだまだガキなんだからよ」

「ありがとう」

「ハハハ。そういや今練習していたのは〝鬼の爪〟か?」

「そうだけど……」

「だったら暇つぶしがてらコツを教えてやるわ。お前がその技を使いこなせたら俺らもだいぶ楽になるからよ」


 そのままボクらはエンディミオンが戻って来るまで新技の訓練を続けたのだが、一方その頃エンディミオンは───


「そろそろ遊びは終わりにしてくれよ〝兄さん〟」


 屋敷の主である公爵から〝兄さん〟と呼ばれていた。


「わざわざ公爵権限で招集しておいて、いきなり言うことがそれかよ。てっきり次の遠征についての話かと」

「三日後にファイ公がこちらに来るんだぞ。わざわざ他所に手出しをして領地を手薄にできるか」

「それはそうだな」

「だから兄さんも傭兵ごっこはもうおしまいにしてくれ。兄さんには公爵家の人間として私を間近で守ってほしいんだ」

「別に良いじゃねえか。紅蓮の鷹は充分デカくなったから、お前の護衛のための兵士だっていくらでも付けることができるぜ。これもお前が言う〝傭兵ごっこ〟の成果だぞ」

「でも〝ごっこ〟なのは認めるんだろう? 兄さんが傭兵ごっこのおかげで強くなった自信があるんだったら、それこそ公爵家の人間として、その力を私のために使って欲しい」

「はあ……」


 家に戻ってほしいと懇願するアルケイデス。

 必死に頼む弟の顔を見て兄は深いため息をつく。


「父上も亡くなって今じゃ名実ともにオメガ公はお前なんだから、もう少しどっしりと構えればいいじゃないか。俺の紅蓮の鷹を放蕩兄貴の遊びだと思うんだったら、他の傭兵団を使えば良い。ごっこ遊びに過ぎない俺よりも頼りになるぜ」

「他の傭兵なんて信用ならん。私を殺して兄さんを次の公爵にしたい人間なんて、オメガの地にはいっぱいいるんだから」

「ハハハ。心配しすぎだって。それに公爵家のエンディミオンってのは公には既に死んでいる人間だぞ。跡継ぎのいないお前を殺してしまったら金印が誰の手に渡るかわからない。そんな状態でお前を殺そうだなんて奴がいるものかよ」

「そこまで言うんだったらカタチだけじゃなくて本当に死んでくれよ兄さん。いくら公には死んだことにしていると言っても実際にはこの通り生きている。クレスのように昔から兄さんを知る人間にとっては公然の秘密なんだぞ。兄さんが生きている限り兄さんが言う話はただの空論。だから私は……枕を高くして眠れない」

「いい加減、肝っ玉が小さいやつだな。幼い頃に出奔した不肖の身で言うのはなんだが、お前は自分で思っている以上にやればできる子さ。それにイザとなれば金印の力がお前を守ってくれる。そこまで不安を覚える理由は知らんが、気をしっかりと持て。その調子じゃ不届き者に殺されるよりも先に病に殺されるぞ」

「兄さんは当事者じゃないから気楽に言えるんだ。金印の力は皆が思うほど万能じゃない!」


 この公爵の姿とは思えないほどに気が弱いアルケイデスは元々はオメガ公爵家の末弟。

 兄であるエンディミオンとの年齢差は10歳もある。

 だがエンディミオンがアラフォーと言うことは彼も自ずと三十路であり、既に子供を複数作った親になっていても良いこの世界の価値観としては領民や他の公爵には見せられない姿なのは間違いない。

 そんな彼が兄を恐れている大きな理由は金印の継承システムに起因している。

 金印は基本的には血縁者に直接受け渡す事で継承するわけだが、もし金印を持ったまま公爵が死んでしまった場合は自動的に最も近しい血縁者に受け継がれる術式となっていた。

 これを知っている貴族(過去の公爵家の傍流)が自分の首を取り、無理やりにでも「もっとも近しい血縁者」であるエンディミオンを新たな公爵として擁立するのではないか。

 それをアルケイデスは不安に思っていた。

 まあ……さっさと子供を作って優先権のある血縁者を増やしたり、あるいは若くして亡くなっている他の兄弟たちのようにエンディミオンを殺して非情に徹するという選択肢を取れない時点で彼は愚鈍な王。

 暗殺されることを危惧するのも客観的に見て妥当なくらいに判断力に乏しく、エンディミオンの出自を知る人間ほど「兄弟のどちらかが死ぬとしたら、死ぬべきはアルケイデスである」と思っていた。

 それでもアルケイデスの疑心暗鬼が現実にならないのはエンディミオンを立てる人間ほど気ままに自由で生きていたい彼の気持ちを汲んでいたのと、エンディミオンが言うようにいくら小心者であってもアルケイデスが持つ金印の力を危険視しているから。

 堂々としている限り彼の疑心暗鬼はただの不安で終わるはずだった。


「そんなに言うんだったら今度の会談の間、俺が間近でお前を守ってやるよ。まあ……紅蓮の鷹としてだがな」

「兄としてではなく?」

「当然。それにこれは父上との約束があるからでもあるんだ。お前が嫡子になった時点で公爵家としてのエンディミオンは死んだ。いくら先方にはバレバレであろうとも、公爵家の人間として顔を出すわけにはいかない。これはお前の頼みを聞き入れる上で最大限の譲歩だ」

「……父上の言葉でもあるというのなら兄さんに従おう」

「恩に着る」


 こうして間近に迫ったファイ公との会談にエンディミオンが護衛の傭兵として出席することが決まる。

 傭兵としての仕事であればボクも同行するのが自明であるが、このときのボクの幼さが二人の兄弟の運命を左右するとはボク自信知る由もない。

 とにかく運命を決めたあの日は三日後。

 それを知らぬボクは彼に褒めてもらいたい一心で、帰宅したエンディミオンに練習したての技を見せていた。


 この世界において公爵同士が会談を行う場合にはいくつかの理由がある。

 まずは攘夷の相談。

 いくら内紛が絶えないとは言え他国から攻め入られるときには一致団結する合衆国において、オメガ公領のような他国と隣接する土地には重要な仕事である。

 次は経済対策。

 農業や商業を発展させなければ合衆国とて食い扶持を生み出せないし、こんなクソみたいな内情の国で本を書こうというガッツがある人間は面白ければ重用するのが公爵の度量とされていた。

 殺伐とした国のイメージとはかけ離れた合衆国が輸出するに足ると認めた本は貴重な外貨収入源である。

 そして最後の一番大きな理由が勢力争いのためのルール決め。

 人の命をゲームの駒として扱う公爵たちも駒が無くなればゲームを続けられない。

 ゲームを終わらせないための運営作業は彼らにとってはある意味で最も大事な話し合いである。


「フフフ……」


 だが馬車の中で不適な笑みを浮かべるファイ公イヌイタ・ファイの目的はこれらとは異なっていた。

 彼は今回ある目的を持ってオメガを目指している。

 それはオメガの領民にも支持されるであろう大きな改革。

 内政干渉であろうとも「正しい事だと思っている」からこそ彼の心に揺るぎは無い。

 無論そんなことを一方的な判断で行うことは不可能。

 だが合衆国そのものを憂いた末での行動であり、先方からも合意を得ているのならば問題ないというのが彼の考え。

 そしてその改革の内容とは……奇しくも、あるいは当然のようにアルケイデスの不安通りであった。


「それじゃあ明日の布陣を発表する」


 イヌイタ来訪を明日に控え、〝紅蓮の鷹〟舎屋では明日の警護についてエンディミオンが皆に通達を出す。

 曰く、まず周囲の警戒はリーチのある長槍衆と弓矢衆が固め、アルケイデスたちの警護はエンディミオン、クレス、そしてボクの三人だけの少数精鋭で挑むのだという。

 団員の中には「クレスは当然としてボクが居るのは不釣り合いだ」と言うものも居たが、そこはエンディミオンが上手く言い包めた。

 なんでも小姓を引き連れているほうが〝らしい〟のだとか。

 公爵やそれに連なる貴族と呼ばれる人間の感性などボクには理解できなかったが、今にして思えばこの考えはエンディミオン個人のモノだったのだろう。

 そして翌日。

 ボクはエンディミオンが仕立てた小姓として恥ずかしくのない衣服に身を包んで、彼の後ろを歩いていた。

 膝上まで丈のあるコートは針金が仕込まれているかのようにパリッとしており、実際ところどころ仕込みの武器が骨組みのようになっている。

 特にゆったりとした袖口は危険物の宝庫といえる。

 そしてコートを脱げば身体のラインが強調される長袖と長ズボンの着衣。

 これはもし戦闘になった場合に怪我をしても動けるように強く身体を締め付けているぁらである。

 最後に手に持つ剣はエンディミオンに渡すためのものだが、まず真っ先にボク自身が斬りつけられるように柄を手にして持っていた。

 ただしボク自信が刺客となって周りを襲う意思がないことを示すために、刀身は鞘に納められたままである。


「ようこそお越しいただいた」


 最初に挨拶をしたのはアルケイデス。

 ホストであるオメガ公自らが前に出ることで友好を示す。


「こちらこそ貴公のお招きを感謝する」


 礼儀として玉座で出迎えたアルケイデスに頭を下げるイヌイタ。

 これが公爵同士として頭を下げる最後の機会だと思う彼は心の内側を必死に隠していた。


(やはりか……だが誰の差し金だ?)


 しかし対するアルケイデスとて曲がりなりにも金印を持つ公爵である。

 オメガの金印に秘められた力の一端を用いてイヌイタの本心を見破った彼は同じ公爵を……そして身内にいるであろう裏切り者を警戒しながら、イヌイタを客間に案内した。

 すでに客間には豪華な前菜が並べられており、このまま会食形式で話し合いをしようという段取りである。

 一応、名目としては今回の会談は冬季に増えるであろう隣国からの攻撃に対しての攘夷の相談となっていた。

 オメガとファイではどの程度の兵を持ち出すのか。

 国外遠征はどの程度の頻度と範囲で行うのか。

 遠征費の予算組みと持ち出し割合の相談。

 それらを打ち合わせするのは自然な流れである。


「早速だが前菜から召し上がっていただこう。今日は旬の野菜を揚げたものを用意した」

「では、まずは拙から」


 テーブルに上にある皿に対して、最初は護衛の側近が鬼役として味見をした。

 ボクらオメガとしてはエンディミオンがその役目。

 ボクやクレスの場合は「鬼役にすら足らない」ため、ただ背後に立って気を張るのみである。

 当然のように毒を盛られることなどありえない。

 互いの護衛が前菜を飲み込むと、続けて公爵たちが料理に手を付けて会食が始まった。

 難しい話はボクにはよく理解できていないが、相手が連れてきた側近の女──マレーナのことをボクは並々ならぬ威圧感を感じ取って警戒をしてしまう。

 悪意を持って接してくる団内の嫌なヤツとも、明確な敵意を持って立ちはだかる敵兵とも異なる〝ぬめり〟とした殺気。

 誰かを狙っているが、それが誰なのか悟らせない卓越したモノにボクは背筋に汗を流す。

 今にして思えばボクの身体に流れる何かが警告していたのだろう。

 このまま留まれば死ぬぞと。

 だがそれに気づかぬまま神経をすり減らし続けて2時間ほどが過ぎた頃であろうか。

 会談も一段落としてデザートが振る舞われたタイミングでイヌイタはおもむろに口火を切った。


「ところでオメガ公……また可愛らしい小姓を連れておりますな。子宝に恵まれておらぬとは聞いておりますが、まさか隠し子では?」

「口三味線とはファイ公もお戯れが過ぎる。あの子はこちらのエンディミオンが連れてきた童よ」

「ほう」


 アルケイデスは目的こそ読めていないが、イヌイタの発言が動揺を誘うブラフであることは見抜いている。

 そこでどうなろうと知ったことではないボクのことを正直に答えたのだが、イヌイタは勘ぐるような反応を示した。


「ではエンディミオン殿下の嫡子という訳ですか」

「えっ⁉️」

「何を仰るっ、フェイ公っ!」

「隠すことはありますまい。この場にいるのはエンディミオン殿が貴公の兄君殿下であることなど重々承知の人間のみ。民に流した嘘が漏れる心配はありません。そしてそれを知っているであろう貴公がこの場に招き入れた童など実子のほかにありますまい。いやあ、教育熱心なことで」


 ボクがエンディミオンの嫡子だと言い出すイヌイタの言葉はボクにとっても寝耳に水というやつで、つい動揺して気を許してしまう。

 その隙を突いたマレーナの術がボクの意識を刈り取って、ボクは身動きを取れすに剣を落としてしまう。

 どうやらマレーナは魔術師というやつらしい。

 そして意識を失ったボクの横ではクレスが腰の剣を引き抜いていた。

 それはボクを攻撃している魔術師に向けたものではなく───


「……やはりお前だったか」


 嫌な汗で頬を濡らしながら「やはり」とアルケイデスが言うように、彼の首にはクレスの刃がかかってた。


「クレスっ! 何をしているっ」

「団長……いいや、殿下は我々に従ってください」

「たはは……だから遊びは辞めてくれと言ったんだよ兄さん」


 突然の裏切り。

 クレスの行動を理解できないエンディミオンとは異なり、日頃から疑心暗鬼に囚われていたからこそ「来る日が来た」とでも言う態度でアルケイデスは納得している。

 こうなればどちらが主体かなど関係ない。

 クレスとイヌイタは自分を公爵の座から引きずり下ろしたいのだろうと、アルケイデスは来るのがわかっていた絶望を回避できなかった自分を嘲笑う。

 開き直ったその姿は普段からは想像できないほどに堂々としていた。


「じょ……冗談だよな?」


 そして普段は弟である公爵を臆病者だと言っていたエンディミオンは逆に狼狽している。

 まるで一部では腰抜けと揶揄されているアルケイデスのように。


「冗談ではありませんよ。ですがその様子だと我々としては期待外れですがね。紅蓮の鷹もしょせんは気楽な遊びだからこそ大きな態度でやれていただけとなれば」

「約束が違うぞ」

「まあまあ、クレスくんは落ち着いてください」

「く……」

「それで良し」


 クレスに態度から察せられるのは今回の絵図はイヌイタが引いたものということ。

 主人であるエンディミオンを期待外れと呼ばれた彼は焦りの色を見せるが、イヌイタはそれを制止する。

 そして蚊帳の外であるエンディミオンはボクが意識を取り戻していたら失望するほどに情けない顔で二人に問う。

 イヌイタたちはオメガの兄弟を脅して何をするつもりなのかと。


「オイオイオイ……だからコレは何の冗談なんだ」

「察しが悪いですね兄さん。ファイ公は私を葬って兄さんを新しいオメガ公爵にしたいんですよ」

「そんなことをしてどうなるというんだ」

「そんなの腰抜けと後ろ指をさされる私よりも〝紅蓮の鷹を率いる美丈夫〟として人気者な兄さんのほうが公爵にふさわしいと思ったからに決まっているだろう。そのうえ自分たちは愚鈍な私を排斥して兄さんを禅譲させるのに貢献したという貸しを作ることで、オメガ公爵家に対して優位に立つ。まあ……この状況に狼狽えた姿を見てファイ公には迷いがあるようですが」

「代わりのご説明ドーモ。オメガ公が言う通り、我は貴公にこのように持ちかける予定でした。この童の命と弟の命……どちらを取るかと。クレスくんや他の団員からも聞いていますよ。このジェイとか言う童をたいそう贔屓にしているのだとか。貴公の隠し子か、あるいは10年前の件がトラウマとなって居るのかは測りかねますが……童の命と弟の命を天秤に掛ければ童をとるのは確実というではないですか」


 ジェイというのはエンディミオンの元にいた頃のボクの名前。

 幼かったため男か女かすらもわからない浮浪児だったボクにエンディミオンが名付けた〝ジョン〟でも〝ジェーン〟でもある〝ドゥ〟がこのジェイという呼び名だった。


「流石に私だって死にたくはないが……出来てせいぜいクレスと相打ちになる程度でしょうね。いくら金印の力を解放してもファイ公のことはマレーナが命がけで庇うでしょうし。そうなれば追撃で私の命はない。だったらもう兄さんに後を託しますよ。さあこちらに……兄さんに私の金印を刻みます。シャクですが彼らが望みを聞き入れてやろうじゃないですか」

「ククク。小心者と言われるだけあって演技がお上手だ。だが我はもうしびれを切らしておりまする故、もう遅い」


 アルケイデスは平和的に治めるためという体でエンディミオンに金印を渡そうとしているのだが、これが「金印を自分から手放すことで用済みになった先代公爵である自分をイヌイタたちは殺さない」という打算であり兄の身を案じてではない。

 決して兄エンディミオンをないがしろにしているわけではないが、自分の命よりも兄を優先するほどの自己犠牲精神を彼は持っていなかった。

 この内面はオメガの金印を持つ人間であれば簡単に見破れるほど。

 そしてエンディミオンは見破れていなかったが、イヌイタやマレーナからすれば予測の範疇として見破れるものだった。

 既に彼らはオメガの兄弟に見切りをつけている。

 なので用済みなのはアルケイデスだけではなく───


「「「う、うぐぐ」」」


 纏めて葬る対象となったクレスごと、兄弟は同時に苦しみだした。

 それを当然のことのように見つめるイヌイタはかざすように右手を伸ばしている。

 指先から魔毒を迸りながら。

 イヌイタが放つ無味無臭無色の毒は金印の力によるもの。

 その効き目は攻撃対象を選り分けて発揮されるため、優先順位の低いクレスには効き目が少しだけ弱い。

 そのためテーブルに伏せる鏡台とは異なり、口を押さえつつもイヌイタに眼光を向けるクレスに彼は語る。


「約束破りの不満を言いたそうにしているが……むしろ我としては裏切られたのはこちらの認識よ。何処がオメガ公にふさわしい男だ。これならまだ主のような不穏分子を始末した借りをオメガ公に作るほうがマシだというもの」

「だ…が……」


 エンディミオンの度量を期待外れと評するイヌイタにとってこの謀殺は当然の結果。

 それに対して兄弟纏めて殺したのでは次の公爵をどうするつもりなのかと言う意味合いで、出し切れない言葉を補うように伸ばすクレスの指はアルケイデスを指し示した。

 いかに効き目が弱いとはいえ金印の力。

 クレスの膝は崩れており、そろそろ彼の命も終わる。


「ああ、現公爵と第一候補をまとめて殺してしまったらという話か。知らぬ身であれば心配はするであろう。かつてのクシー公の事例もあるしな」


 クシー公の事例については詳細は伏せるが、軽く説明すると「かつて後継者が全員一度に死んだことで金印の行方がわからなくなり、没落貴族の庶子に継承されたことが判明するまで一騒動起きた」という話である。

 この前例もあり、各公爵家では後継者不在は避けるべき事態とされていた。


「……だが、死を起因とした金印の継承において重要なのは〝その場に居合わせる〟こと。20年も経てば記憶が薄れるのか……コレは母親の顔によく似ているのだが、気付かぬものだな」


 ちらりとイヌイタが目配せをしたのはマレーナの顔である。

 この仕草が「彼女の母に秘密がある」という意図なのは明白。


「ま…さ……ま…れ……」

「ようやく気づいたか。これから死にゆく者への手向けとして明かそう。このマレーナはただの従者ではない。我の腹違いの妹にして……オメガ公の従兄妹に当たる女よ。先代は他所の公爵の妾になった妹を毛嫌いしておったからな。妹の葬式にも顔を出さない男に育てられた貴公らが叔母のことを覚えておらずも仕方がない。ましてその娘ともなれば当然よ」


 つまりこのままオメガの兄弟が死ねば血縁的に近しい上に死に目に立ち会ったマレーナに金印が継承されるのは確実ということ。

 これでオメガ公爵家は事実上ファイ公爵家に取り込まれる。

 24公爵の派閥争いにおいて金印を二つ所有するアドバンテージは計り知れないと、イヌイタは計算してほくそ笑む。


「おの……」


 恨み言すら吐き出しきれぬまま毒に耐えきれなくなったクレスはそのまま息絶えた。

 そして肝心の現公爵アルケイデスだが……未だ金印がマレーナに移らない以上はまだ死んではいないらしい。

 そろそろ手にかけるかともイヌイタは考えるが、マレーナが次のオメガ公になるうえでのカバーストーリーとしてボクを利用したい。

 その兼ね合いでオメガの兄弟は〝クレスに脅されたボクに毒を盛られて〟毒殺されたことにイヌイタはするつもりであり、策謀を見抜いて処刑したことにするクレスのように雑には殺せなかった。

 なので金印による魔毒で息絶えるまで焦らされる。

 その間、策謀の末に首を吊らせる下ごしらえとして拘束状態のボクの夢に、初めて〝王様〟が現れた。


「父親のように慕っていた男を殺されて、我が身すらも死を待つだけになって……ようやく会えたなアレックス」


 ボクのことをボクが知らぬ真名の略称で呼ぶ黒い影。

 ローブで顔も体格も隠す怪異は優しい声でボクに語りかけている。

 彼こそがボクにとっては生涯の相棒とでも言うべき〝顔の無い王〟の正体。

 そして非力な孤児だったボクにエンディミオンの側近として寵愛されるだけの〝何か〟を与えた超常の存在が彼であった。

 ボクが彼を認識できたのはこの瞬間が初めてなのだが、後で聞くに記憶もなく無我夢中で戦った時の大半は彼が手を貸していたのだという。

 そんな彼と対話できる状態というのは〝この時点〟では非常に危うかった。


「誰?」

「顔の無い王」

「なにそれ」

「詳しくはいずれ。だが今はそれどころじゃない。このままでは死ぬぞ? お前」

「死……じゃあ…あれは現実なんだ。ボクの父親がエンディミオンで、それを聞いて驚いたボクがファイ公の側近に魔術をかけられたのは」

「まあな。だがあの男とお前が血縁どうこうってのはファイの連中がついたブラフだ。子供ゆえの未熟さに甘えるのなど余は好まん。見え透いた嘘で動揺してしまったのは情けないぞ」

「……」


 嘘に動揺したと言われたボクは押し黙ってしまう。

 確かに彼がいうようにさっきのボクは迂闊だった。


「だがこの話よりも今は生き残ることが先決だ。余に身体を寄越せアレックス」


 そして「身体を寄越せ」と言って無理矢理にボクの唇を奪ってきた彼の行動で夢は途切れた。

 彼が現れるまで繰り広げられて、彼が終わらせるまで一時停止していた〝父親との平穏な暮らし〟という経験したことのない夢。

 マレーナの魔術が見せたエンディミオンの子供……公爵子女としての優雅な暮らしは儚くも崩れ去り、目覚めたボクは彼が操る己の身体を俯瞰することしか出来なくなっていた。


「エンディミオンはまだ微かに息がありますが……アルケイデスはもう息がありませんね。これで拙に金印が渡らないということは、この虫の息のエンディミオンに宿ったということでしょうか?」


 金印はどこの浮かび上がるのかは個人差があるし、能力を発揮しなければ隠れてしまうケースも多い。

 なので脱がせて確認するわけにもいかないと、いまだ宿らぬ力にマレーナはヤキモキしていた。

 一方で目覚めたボク……正確にはボクの身体を操る王様は目に力をこめる。

 俯瞰しているボクにも流れ込んでくる情報と魔力。

 これが金印によるものだと理解するのはあとの話だが、このときのボクは初めて感じる快楽的な刺激に悶えながら王様の戦いを見届けるしかできなかった。


「下がれっ! マレーナっ!」


 最初に察知したのは同じく金印を持つイヌイタ。

 まさかボクが起き出すとは思っていなかったマレーナは兄の言葉で咄嗟に身を翻し、王様が構えた短剣の先を回避した。


「この童……拙の幻惑を破った? どうやって?」

「理由は後で考えればいい。仕方がない。殺すぞ」


 イヌイタはマレーナが使う魔術の腕に自信があるからこそ「妹の魔術を破れる子供など即座に殺すべき」と判断する。

 椅子から飛び退くように立ち上がったイヌイタは金印の力を発揮して右手に毒の刃をまとわせて身構えた。

 公爵とは合衆国そのものの有事には協力して戦うもの。

 故に体術にも一定の自信を持っており、ファイの金印による毒の力を組み合わせたソレはイヌイタの十八番であった。


「童の間合いで我を刺せると思うなよ」


 マレーナは一歩下がって魔術で援護しろという指示なのは言わずもがな。

 大人の長い手足から放たれる毒の貫手は子供のボクが振るう剣よりも先に届く。


(我が強いぶん思考が読みやすいのは楽で助かる)


 だがボクの身体を通してオメガの金印を得た王様にはイヌイタの狙い所などお見通し。

 毒手を短剣の側面でいなしつつ、刃先にまとわせた毒は刃を溶かして鈍らせる。

 だが毒がたっぷりとついたソレは触れたものを殺すためのもの。

 そしてファイの毒に耐えられるのはファイの力だけ。


「やーっ」


 かいくぐって懐に飛び込んだ王様は毒まみれの短剣をイヌイタに突き立てた。

 ガタガタの刃は肋骨で滑りかすめるだけだが、彼以外が受けていれば確実に毒で死んでいるほど。

 そして自らの毒といえども一時的に動きを麻痺させるだけの力が魔毒にはあった。


「浅いか。だがこれでしばらく動けまい」


 ブルンと短剣についた血を振り拭う彼は刃のこぼれを見ながら呟く。

 その仕草はとても10歳そこそこの童には見えないほどで、実際にこのときボクの身体は王様が掌握していたのだから中身は子供ではない。


「まさか……童っ! お前は何者だっ!」


 なのでマレーナの慟哭は当然とも言える。

 魔術を破り人が変わったような態度を取るボクの豹変に驚かないほうがむしろ変だ。


「余は〝顔の無い王〟。貴様らに奪われたものを取り戻すために蘇った古の王……」

「子供のごっこ遊びにしては行き過ぎよっ!」

「金印を持たないお前の命はどうでもいい。だがファイの金印は逃さぬ」


 再び顔の無い王を名乗った王様はイヌイタから金印を奪うためにボロボロのナイフを構える。

 マレーナの命はどうでもいいとは言いつつも、イヌイタを殺すための目下の障害であるとともに、金印の継承者でもあるのだから実質殺すと言っているようなもの。

 マレーナはたしかに魔術には長けているが得手は心に干渉するトランス。

 油断もあったのであろうとはいえ体術上手の兄に一撃を加えつつ自分の幻惑魔術を自力で破ったボクらに対して彼女が取れる手札は少ない。

 丸腰では心もとないと言わんばかりにワンドを構える腰は引けていた。

 そんな彼女を兄がいさめる。


「お……お前では無理だ」

「ですがっ!」

「企みよりもこの場を切り抜けることのほうが大事よ。力を貸せ。毒露創夢を使う」

「ですがあれは……」

「いいからやるぞ。どのみち我はしばらく動けぬ」

「は……はい」


 イヌイタの指示に従ったマレーナが準備した大魔術は逃げに特化した術。

 ファイの金印によって生み出した毒で周囲を満たして内側を保護するもので、これを突破して彼らを殺すことはこの時のボクらには力不足。

 だが引きこもっている間にボクは好きなだけで逃げられるため、当面の安全はこれで確保できたと言える。


「ちっ」


 イヌイタを殺すつもりだった王様が舌を鳴らすことだけは妥当の結末だろうか。

 あと一息で手出しできなくなったファイの兄弟を前に手放した剣は落とした衝撃で折れてしまうほどに腐食しており、むしろ相手が逃げてくれて助かったのはボクらの方かもしれない。


「流石に子供の体力ではあれしきで限界か。ほんの少し本気を出しただけで身体中がガタガタだ。まあ……向こうから逃げてくれたから今は一安心か。それにファイの金印を奪えなかったのは残念だが、オメガを手に入れただけ上出来よ。おかげで余とアレックスのつながりは確固なものとなったわい」

「だったらもういいでしょ」

「身体を返してほしいか?」

「当たり前じゃないか。なんだよ〝顔の無い王〟って。ボクの身体を好き勝手にして」

「ああしなければお前は死んでいた」

「だからって……」

「それに我慢しろ。一度身体を返したら余は眠りにつくがこの場で身体を返したところでお前はエンディミオンたちを殺した犯人扱いを受けて殺されるだろう。それは余の望むところではない」

「それは考えすぎだ」

「いいや、お前だってソレくらいわかっているだろう?」

(たしかにエンディミオンやクレスが庇ってくれなかったら今まで以上に嫌がらせされていたのはボクだってわかっているよ。だけどこのまま我が身かわいさでエンディミオンを見捨てて逃げたくない)

「なので別れの言葉があれば今から言え。余が代わりに伝えてやる」


 王様の正論を頭では理解できてもボクは受け入れ難くなっていた。

 だってそうだろう。

 突然殺された大事な人を見捨てて逃げるなんて嫌だ。

 だが王様はそのあたりのボクの気持ちを汲んでくれたようである。

 机に伏せていたエンディミオンを床に寝かせると、彼の大きな身体をボクの小さな身体で膝枕させて顔を見つめた。

 虫の息だがエンディミオンはまだ生きていたようだ。

 ボクの頬をひとりでに流れた涙の雫を受けてエンディミオンはうっすらと目を開けた。


「ジェイか……無事だったか……」

「うん。エンディミオンのおかげ。だけどオメガ公やクレスはあのまま死んじゃったよ」

「そうか。まあ……俺もどうやら手遅れみたいだ。俺のわがままに巻き込んじまったな」

「別にいい。どのみちボクはエンディミオンがいなかったら今頃野垂れ死んでいた孤児だったし」

「孤児じゃねえ。お前は俺の娘だ。誰が何と言おうともな」

(王様は嘘だと言っていたけれど……)

「俺が公爵家を出てのはお前の母さんとの間にお前を作ったからでな。当時公爵家の嫡子だった俺はメイドと秘密の恋をしていて……それがお前の母さんだ。色々あって母さんは死んでしまったんだが……隠れて子供を産んでいたことを知った俺は、公爵家を出奔して紅蓮の鷹を立ち上げたんだ。市井に紛れた彼女の遺児を探してな。そして見つけたのがお前。だからお前は……」

「お、お父さん」

「ありがたい。いきなり言われた話を信じてくれるのか」


 ボクの口……正確には心のなかで彼に伝えた伝言としてボクにお父さんと呼ばれたエンディミオンは気力が尽きたのだろうか。

 言いたいことを全て言い切った満足そうな顔であの世へと旅立った。


「お父さんっ!」

「臨終だ。それにこいつがお前の父というのはただの勘違いだぞ。だからあまり気にするな。こう言うのは呪いになる」

「関係ないよ。実の子かどうかなんて関係なく、ボクにとってエンディミオンはお父さんだったんだから」

「左様か。だったら余は王として父親の望みをかなえてやらんとな」

「望み?」

「親が我が子に願うことと言えば身の安全に決まっておる。とりあえず〝紅蓮の鷹のジェイ〟としてのお前は捨てるぞ。新しい土地で新しい名を名乗って、生活基盤をイチから作らねばならん。それまでお前は心のなかで寝ておれ。余が新しい父親としてお膳立てしてやろう」


 そのままボクは───正確にはボクの身体を操る顔の無い王は、二つ隣のユプシロン公領までボクの身体を誘った。

 いくら古の王がエスコートしているとはいえ、ろくな装備も金子もない子供がたどり着くまではなかなかに大冒険である。

 だが今回はこの話はしないでおこう。

 この話はあくまでボクが顔の無い王になった日の話なのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ