新たな世界へ
それから一年が経った。トレンティア王国は急速に変化していた。
「電信網の設置が全国の七割まで完了しました」
クリフが報告した。彼は今や通信部門の責任者で、王国全土を結ぶ通信網の構築を指揮していた。
「よくやった」陽一は満足げに頷いた。「学校の設立状況は?」
「すでに二十校が開校し、民衆の子供たちが読み書きを学んでいます」
シルヴィアが答えた。彼女は教育改革の中心となり、全国に学校を設立する計画を進めていた。
陽一は地図を見つめた。王都バルトリアに設立された「王立科学院」を中心に、全国に科学の知識が広まりつつあった。
彼のスマホに残されていた知識陽一は窓の外を見つめながら、明日からの冒険に思いを馳せた。
王都潜入。国王との対面。そして、この国の未来を左右する重大な決断。
「電気魔導機の試作品が完成しました」
ハドソンが誇らしげに報告した。彼が開発した装置は、魔力を電気エネルギーに変換するもので、魔力を持つ者なら誰でも電気を生み出せるようにする画期的な発明だった。
「素晴らしい」陽一は笑顔で言った。「これで発電所の建設も進められる」
王宮での会議室に集まった閣僚たちの表情にも、希望の光が見えた。かつての腐敗した大臣たちは一掃され、今や有能で誠実な人材が集められていた。その多くは若く、改革に情熱を持つ者たちだった。
「農地改革の成果も出始めています」
農業担当大臣が報告した。「土地の再分配により、昨年比で収穫量が二割増加しました」
国王レオナルドは満足げに頷いた。彼は今や26歳。就任当初の不安げな表情は消え、自信に満ちた君主へと成長していた。
「これも電撃の義賊...いや、科学監察官の功績だ」
正式名称は「王立科学監察院」。陽一を長官とする新たな組織は、科学技術の普及と腐敗の監視という二つの役割を担っていた。
「まだ課題は山積みです」陽一は謙虚に答えた。「特に隣国との関係は難しい局面を迎えています」
トレンティア王国の急速な改革と発展は、周辺国に様々な反応を引き起こしていた。警戒する国もあれば、同様の改革を求める声が上がる国もあった。
「シュラン帝国からの使者が、あなたに会いたがっています」レイモンドが小声で陽一に伝えた。
「帝国の皇子自ら来訪されるそうです。あなたの『電気の力』に興味があるとか」
陽一は思案に暮れた。彼の技術が戦争に利用される可能性もある。慎重に対応しなければならない。
会議の後、陽一は王宮の庭園でひとり考え事をしていた。初夏の風が心地よい。
「陽一」
振り返ると、レオナルド国王が立っていた。公式の場ではなく、二人きりのときは、彼らはファーストネームで呼び合う仲だった。
「何を悩んでいる?」
「技術の伝播についてです」陽一は率直に答えた。「力は使い方次第で、善にも悪にもなる」
レオナルドは静かに頷いた。
「私もそれを懸念している。しかし、進歩を止めることはできないだろう」
「だからこそ、正しい使い方を広めなければなりません」
陽一は決意を新たにした。彼の目的は単なる技術革新ではなく、人々の幸福だ。権力者のためではなく、民のための科学でなければならない。
「あなたは変わった男だよ」レオナルドが笑った。「他の世界から来て、この国を変えてしまうとは」
「偶然の産物です」陽一も微笑んだ。「正しい場所に、正しいタイミングで転移しただけかもしれません」
「偶然か、それとも運命か」
国王は空を見上げた。
「いずれにせよ、私はあなたとの出会いに感謝している」
彼らは静かに庭園を歩いた。王都の街並みが見渡せる小高い丘に着くと、レオナルドが尋ねた。
「いつか、あなたの世界に戻りたいとは思わないのか?」
陽一は遠くを見つめた。かつての日本、現代社会への思いは、完全に消えたわけではない。しかし...
「今は、ここでやるべきことがあります」
そう答えながらも、彼の心には静かな決意があった。いつの日か、二つの世界を結ぶ道を見つけるかもしれない。しかしそれは、このトレンティア王国が真に平和で公正な国になってからのことだ。
晩餐の後、陽一は自室に戻った。王宮内に設けられた彼の部屋は、科学研究のための機材で溢れていた。
「ミミック、今日も長い一日だったな」
スマホを取り出し、画面を見つめる。
『確かに充実した一日でした。あなたの働きは多くの人々の生活を改善しています』
「まだまだだよ」陽一は疲れた表情で言った。「王国の隅々まで改革は行き渡っていない」
『しかし、確実に変化は起きています。一年前には想像もできなかった進歩です』
陽一は窓から夜空を見上げた。
「この世界に来て、もう一年半か...」
彼はふと、ポケットの中の小さな装置に手を伸ばした。それはハドソンと共同開発した「次元測定器」。理論上は、異世界へのエネルギー反応を測定できるはずだった。
何度試しても反応はなかったが、陽一は諦めていなかった。いつか、二つの世界を繋ぐ方法を見つけ出せるかもしれない。
「今夜も反応なしか...」
彼が測定器を置こうとした瞬間、装置が突然反応した。微弱ながらも、明らかに異次元からのエネルギー波を捉えている。
「ミミック、これは...」
『異次元エネルギーの反応です。理論上は、あなたの元の世界からの反応かもしれません』
陽一の心臓が高鳴った。これは偶然なのか、それとも何かの前兆なのか。
次の日から、彼は研究に没頭した。通常の公務をこなしながらも、夜は次元測定器の改良と異世界転移の理論研究に費やした。
一ヶ月後、ついに転機が訪れた。
「親分!」
クリフが興奮した様子で研究室に駆け込んできた。
「北の森で、奇妙な光の現象が目撃されています!村人たちが『空に穴が開いた』と報告してきました」
陽一は即座に理解した。それは彼が最初にこの世界に転移した森と同じ場所だった。
「すぐに調査に向かおう」
彼はレオナルド国王に簡単な報告を残し、クリフ、ロギル、シルヴィアと共に北へと急いだ。
二日後、彼らは例の森に到着した。確かに、そこには不思議な現象が起きていた。空中に淡く光る円形の歪みが見え、時折強く明滅している。
「次元測定器の反応が強まっています」
陽一は装置を確認した。これは間違いなく、世界と世界を繋ぐ「門」の前兆だった。
「親分、これは何ですか?」クリフが不安そうに尋ねた。
「異世界への入口...おそらく、俺が来た世界への道だ」
陽一は静かに答えた。彼の心には、複雑な感情が渦巻いていた。帰れるかもしれないという喜び。しかし同時に、この世界への責任と絆も強く感じていた。
「帰るのか?」ロギルが重い声で尋ねた。
陽一は答えなかった。彼は光の円に近づき、手を伸ばした。触れると、不思議な感覚が全身を包む。確かに、これは元の世界との繋がりだった。
三日間、彼らは森に留まり、現象を観察した。光の円はだんだん大きく、安定してきていた。理論上は、この「門」を通れば元の世界に戻れるはずだ。
しかし、なぜ今この門が開いたのか。偶然なのか、それとも彼の研究が引き金となったのか。
夜、キャンプファイアの周りで、陽一は仲間たちに語った。彼の世界のこと、そして突然この世界に来ることになった経緯を。
「俺はまだ決めていない」彼は正直に言った。「帰るべきか、ここに残るべきか」
「親分がいなくなったら...」クリフの目に涙が浮かんだ。
「俺たちは構わない」ロギルが意外な言葉を口にした。「お前は自分の世界に帰る権利がある。ここでの使命は十分果たした」
シルヴィアも頷いた。「私たちは大丈夫。あなたが示してくれた道を、これからも進みます」
陽一は黙って火を見つめていた。このまま門が開いているという保証はない。今戻らなければ、二度とチャンスはないかもしれない。
翌朝、光の門はさらに安定し、人一人が通れるほどの大きさになっていた。
「決心がついたようだな」
ロギルが陽一の表情を見て言った。
「ああ」
陽一はスマホを取り出した。
「ミミック、最後の相談だ。俺はどうすべきだと思う?」
『それは完全にあなた自身の選択です。どちらの選択も正しく、どちらも間違っていません』
陽一は静かに頷いた。
「みんな、決めたよ」
彼は仲間たちを見回した。
「俺は...」
決断の瞬間、光の門が突然強く輝き、森全体を包み込んだ。眩しさに目を閉じた陽一が、再び目を開けると——
二つの世界が交差していた。異世界の森と、かつて陽一がいた日本の公園が、重なり合って見えるのだ。光の境界線を挟んで、両方の世界が共存していた。
「これは...」
陽一は呆然とした。理論上は不可能なはずだった。しかし、魔力と科学が融合したこの特異点では、常識を超えた現象が起きていたのだ。
「二つの世界が繋がった...」
彼は光の境界線に近づいた。向こう側には、自分が転移した日の風景が見える。時間が停止したかのように、そのままの状態で残っていたのだ。
「戻れるし、また来ることもできる」
陽一の顔に笑みが広がった。これは選択を迫られるものではなく、むしろ両方の世界を結ぶ架け橋になれる可能性を示していた。
「みんな、聞いてくれ」
彼は仲間たちに向き直った。
「この門は、単なる帰還の手段ではない。二つの世界を結ぶ架け橋だ。これを使って、両方の世界の知識と技術を交換できる」
クリフの目が輝いた。「つまり、親分は行ったり来たりできるってこと?」
「その可能性が高い」陽一は頷いた。「だが、慎重に進める必要がある。急激な変化は、どちらの世界にも混乱をもたらすだろう」
その夜、陽一はレオナルド国王と長い会話をした。二つの世界の架け橋となる可能性と、それに伴う責任について。
「これは新たな時代の始まりかもしれない」国王は興奮を抑えながら言った。
「ゆっくりと進めましょう」陽一は慎重に答えた。「最初は少数の人と知識の交換から始め、徐々に拡大していく」
計画は立てられた。まず陽一が元の世界に戻り、状況を確認する。そして、この世界にもたらすべき新たな知識と、逆に守るべき文化や価値観を見極める。
「行ってくる」
別れの日、陽一は仲間たちに言った。
「必ず戻ってくるよ。これは終わりじゃない。新しい物語の始まりだ」
クリフは涙を流しながらも笑顔で頷いた。ロギルは力強く肩を叩き、シルヴィアは温かい抱擁を送った。
「待ってるぞ、親分」
陽一はスマホを握りしめ、光の門へと歩みを進めた。振り返ると、彼が変えたこの世界の仲間たちが立っていた。
「また会おう」
彼は手を振り、光の中に一歩を踏み出した。
眩しい光が彼を包み込み、そして——
「あれ、ここは...」
陽一は自分が日本の公園に立っていることに気づいた。異世界に転移した、まさにその場所と時間に戻ってきたようだ。スマホの時計は、彼が消えた瞬間から一秒も進んでいなかった。
しかし、彼自身は確かに変わっていた。そして何より、彼のスマホにはミミックがいて、光の門に関するデータが記録されていた。
「ミミック、帰ってきたぞ」
『おかえりなさい、陽一さん。これからどうされますか?』
陽一は空を見上げた。目には見えないが、確かに二つの世界を繋ぐ糸が存在することを、彼は感じていた。
「これからが本番だな」
彼は微笑みながら歩き始めた。新たな冒険へ、二つの世界の架け橋として——。