新堂謙太郎 島へ1
目を細めながら空を見ると、ほとんど雲もない快晴の空が広がっている。そんな気持ちの良い天気とはうらはらに私の腹の内は暗雲垂れこめる嵐の様相を呈している。
「なあ、新堂のダンナ。今更ですけどほんとにやるんですか?」
心から心配そうな顔をして船を操っている男がこちらを見ている。……本当に今更だ。もう後戻りなどできん所まできている。
「いいから、余計な心配はせんでいい。お前は無事に島に着く事だけを考えていろ。お前もずっと島には戻っていないんじゃろ?なにしろ悪名高き忌み島に行くんだ。よそ見なんぞしとったらこんな漁船なんぞ木っ端みじんになるぞ」
そう言うと男を渋々言うのを止めた。男は山下といい、不思議に何かと縁があり付き合いが続いていた。警官時代に初めてあげた空き巣の犯人が山下だ。
それからなにかと縁があり、最初は空き巣やスリを繰り返す山下を私が捕まえるという縁だったが、足を洗ってからは真面目に働き、結婚する時には保証人にもなってやった。いまでは昔取った杵柄で漁師をやってそこそこの稼ぎで妻と二人の子供を養っている。
……無理を言って最後に悪い仕事をさせてしまったが……後はまるっと私が被るので勘弁してくれ。
私はつい最近まで現役の警官だった。定年で職を辞してからようやくずっと心に刺さっていたとげを抜きに向かっている。
新堂謙太郎という一人の男の人生を狂わせた島に……
それからは無言で漁船は進んでいく。やがて島が見えだした頃、エンジンを止めて船が流されないように山下がアンカーをうっている。
「……潮流か」
「はい。この時期は一日通して一番穏やかですが、といってもタイミングを間違うと旦那が言う通り潮にもまれて木っ端みじんです。今日だと正午から一時間くらいの間にしか抜けれません。」
山下が潮時表片手にそう言った。
「忌々しい……何から何まで忌々しい」
そう呟くのを聞いた山下がまた心配そうな顔になる。いかんな……もうすぐだ。あの島で起きたあの時の真相を明かさないと私は死んでも死に切れん。このために少しずつ準備を進めてきた。元警官として、いや人としてやってはならんことまでしている。
昭和後期に起きた島民集団失踪事件。私は当時忌み島の駐在をしていた。そこで今でも夢にでる経験をして……いかんな、こんな事を考えていたら山下がまた心配してしまう。
頭を振って忌々しい思い出をいったん頭から振り払う。腕時計を見ると、今は11時になったばかり。
「あと一時間ほどはこのままという訳か……」
「はい……」
「嫁さんと子供は元気か?」
寝転がって目を閉じたまま山下にそう訊ねる。
「はい!妻も新堂の旦那には深く感謝してます。子供たちも……新堂のおじちゃんは今度いつ遊びにくるのって……聞いてきます。ダンナ……」
話しているうちに、山下の声は震えて湿っぽくなってくる。
「子供たちには私が謝っていたと……伝えてくれ。それと……山下、これを」
そう言って懐から出した包みを怪訝な顔で山下が受け取る。そして震える手で包みを開けると……
「ダンナ!これは……」
「山下!」
「!」
「すまんな、黙ってきいてくれ。私はこの年になるまで警察という所で働いてきた。それは食うため、生きていくためでもあるが、一番は島の事が分かるかもしれんと期待してのことだった。結局私の頭の中にある一番は、島の出来事だったんだよ。そんな私に寄ってくる女などおらん。お前も知っている通り、私には身内と呼べる存在がただの一人もおらん。そんな中で、お前さんの家に遊びに行く事だけが唯一家族を味わえる時間だったんじゃ」
「ダンナァ。それなら、なんで。ウチにならいくらでも来てくださいよ。ウチのやつだって……」
山下に最後まで言わせず、手で制する。何度も話したことだ。
「まぁ、お前の所の子供は親戚の子くらいには思っている。それは私にはもう必要のないものだからな、有効に使ってやってくれ。くれぐれも若い頃のお前みたいな道を歩かせるんじゃないぞ?最後に私に親戚のおじさんごっこをさせてくれ」
山下はもう声にならないほど涙を流しながらただ頷いている。その胸に私が渡した包みをしっかりと抱きながら……
そこには、これまで勤め上げてきて生活で必要な分を使い、残った給料などと定年で退職し貰った退職金が手つかずで入った通帳が入っている。名義は勝手ながら山下の子供の名前で作らせてもらった。
これで、少なくとも金が理由で子供を不幸にはできんぞ。と最後の応援の意味も込めている。
「ん?」
そんな時、私の耳に何かが聞こえた。職業柄絶対に聞き逃してはならない種類のものだ。それが子供のものであればなおさら……
身を起こすと聞こえてきた方向を注意して見てみると、少し先に洋風の船が止まっている。
「まさか故障かなにかか?」
山下を見ると、もう操舵の準備をしている。こちら一声待ちの姿勢だ。
その姿に思わず笑ってしまったが、私がうなづくとゆっくりとその船へ向かって動き出した。
「あれはプレジャーボートってやつですね。雰囲気的に若い奴が沖ではっちゃけてるんじゃないですか?……ダンナはもう現役じゃないんだし……」
恐らく私を止めようと理由を探しながら話す山下に静かにするようジェスチャーをすると、山下は不承不承ながら口を閉じた。
……イヤアァ!止めて離して! 離しなさいよバカァ!
少なくとも二人の若い女の子の悲鳴が聞こえる。そして、それをはやし立てるような男たちの声。下品な言葉を吐く者もいるようだ。
山下に目で合図すると、大きいため息をついて山下はエンジンを一番スローのまま移動させ始めた。
小判型の船体で後部にキャビン、前部は広いデッキになっているようだった。見上げるとそのデッキの落下防止のロープに体を押し付け、少しでも距離を開けようとしている二人の少女の姿がある。すでに一人の方は水着の上をはぎ取られたのかあられもない姿をさらしている。
「ちっ!」
こういうクズはいくらでも見て来たが一向に慣れることはないみたいだ。そんな事を考えながら、私は大きく跳躍した。
「ダンナ!」
後ろから山下の声が聞こえる。山下の漁船からするとプレジャーボートのデッキまではそこそこの高さがあったが、警官として、そして島のことを思い返して、一日たりと怠った事のない鍛錬は今に至るまで続けている。
ロープを張ってある柵をを掴むと一気に体をひきあげた。
「ひっ!」
「ああん?」
突然現れた珍客に、少女は怯えた声を男たちは怪訝な声をあげた。
「さて、しばらく辛抱してなさい。さ、これを着て」
そんな周りの反応に目もくれず、私は胸が露わになっているのに隠すことも忘れてしまっている少女に上着を脱いで渡した。
「おいおい、爺さん。何勝手に俺の船に上がって来てんだ?余計な事すんなよ、これからがメインイベントなんだからよ」
不敵な顔でそういう男と後ろにはさらに三名ほど。武器は所持していないが、近くに酒瓶などもある。油断なく相手をみていると、一番後ろでニヤニヤした笑いをかくそうともせずビデオで撮影している男もいる。きっと撮影した映像を盾に女の子の口を封じるつもりなのだろう。かくしきれない欲望が集中している股間を見ると虫唾が走る。
「君たち、こんなとこにいてはだめだ。よおくわかっただろう?下におじさんの知り合いが乗っている漁船が止まっている。海に向かって飛び込みなさい、引き上げてくれるから」
「でも……あいつら、私たちの身分証とか、携帯とか全部とられて……名前も住所も全部ばれて……」
さっきまで比較的威勢よく男たちに歯向かっていた少女だったが、大人の姿を見て安心したのか大粒の涙を流しながらそう訴えてくる。
こちらの話も全部聞こえているのだろう。男たちの一人が明らかにかわいらしいバッグを二つ肩から下げている。
「見下げ果てた卑劣漢じゃな……」
ポツリと呟いたつもりだったが、聞こえていたようだ。そして意外と沸点の低い頭の悪そうな男が襟首をつかんでひねりあげた。
「てめえ爺コラ!海に放り込まれたくなかったらいますぐ回れ右して帰りやがれ。」
顔を近づけ威圧してくると後ろからも所持金は置いて行けだの、あえて見せつけてやろうぜなどと言った言葉が飛び交う。
「はあ……」
大きくため息をついてみせると、それが勘に触ったのか、男は右手を振りかぶって殴りかかろうとしてきた。
すかさず後ろに下がり体重をかける。男は半歩ほど動くことになり体勢を崩す。そこで襟首をつかむ手を両手で持ち、関節を極めるとひねるように回した。
もし踏ん張れば関節は壊れるし、人間というものは無意識にそれをかばおうとするものだ。結果面白いように半回転した男は間抜けな顔のまま頭からデッキに落とされ目を回した。
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