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回想 新堂の過去7

まだ夜も明けきらない時間だった。私は結局執務室の机に座ったまま眠っていた。いろいろと考えている間に寝落ちしてしまったらしい。

座ったまま変な体勢で眠っていたので夢見が悪かったのかなと思っていると。遠くで高い糸を引くような声がかすかに聞こえた。間違いなく人の悲鳴である。椅子を蹴るように立ち上がると入り口のカギを開け外に出る。

外はまだ夜の闇が支配している。見る限りどこも明かりをつけていたり、住人が騒いでいると言った様子は見当たらない。


一応集落の中ほどまでは歩いてきたが、あれっ切り悲鳴のような声が聞こえることもないし、みんなが寝静まった夜の静寂がただ辺りを支配していた。


「気のせいだったのか?」


思わずそうこぼしたが、さっき聞いた声は確かに人の悲鳴だった。何かあってはいけないと思い私は足を進めた。


そのまま歩き、集落の端の方まで来たがこれといって変わった様子はない。目の前には島の主である甚右衛門さんの屋敷へと昇る石段がある。甚右衛門さんの屋敷にも明かりはついていないし人が動いている気配もない。


「……気にしすぎか?気が張って鳥か虫の声を聞き違えたのかもしれないな」


思わず苦笑いしながら私は元来た道を引き返すことにした。ここまで様子をうかがいながら歩いてきたことで、それなりの時間が経っている。気づくと薄暗い空にうっすらと日の出の気配がではじめている。

住民たちの朝は早い。早い人はもう起きだしているだろうな。

甚右衛門さんが島長(しまおさ)になってから、照明器具などの文明の利器が急速に普及している。それでも年配の住民を中心に多くの住民たちは日の出とともに起きて日の入りと共に床につく生活を続けている。


それを証明するかのようにさっきまではその家も真っ暗だったのが、いくつかの家には明かりが灯り人の動き出す気配が感じられるようになっている。

誰かのあったら早く目が覚めたので早朝の散歩をしていた事にしよう……誰に言うでもない言い訳を考えながら歩いていると前を通りがかった家の玄関がガラリと開いた。思わずそちらに目をやると年配のご婦人が木の桶を抱えて出てくるところだった。


「おや、新堂さん!昨日はすまなかったねぇ……あまりにも心配だったもんで、つい駐在所にまで押しかけてしまって」


そこにいたのは昨日ご主人の安否を聞きに駐在所をたずねてきた野中さんの奥さんだった。


鉱山の方は何も状況は変わっていない。昨日と同じく待つしかないことを伝えるしかないことを不甲斐なく思っていると、野中さんは意外なことを言い出したのだ。


「あれから私も落ち着けなくて遅くまで寝れなかったんだけどねぇ。夜中に主人がひょっこり帰って来たんだよ!驚いたけど新堂さんの言う通りおとなしく待っていてよかったよ、心配かけてすまなかったねえ」


野中さんは人のよさそうな笑顔に、少しばかりすまなそうな表情をにじませて頭を下げる。


「いや、そんなことはいいんですけど……えっ、ご主人戻られたんですか?」


私は思わず聞き返した。野中さんのご主人は鉱山で働いている。それも坑道の中に入って掘削するグループだ。当然昨日の落盤事故の被害者の一人である。もちろん無事ならばそれに越したことはないし、そうであれば私もうれしいのだが、事故の状況を知っている身としてはあの坑道から自力で戻れるとはとても思えなかった。

入り口の方までもうもうと土煙が充満していた坑道を思い出す。自分の目で見たわけではないが脱出できた人の話をまとめると今動かせる全員を使っても人力で崩落した瓦礫を撤去して救出は無理と思える範囲で落盤が起きていたのだ。思わず聞き返すのは仕方のない事だと思う。


そんな私の言葉に、ご主人が戻ってきてご機嫌な野中さんは笑顔で応じてくれる。


「そうなんですよ、私も半ば覚悟していたんですがねぇ。でも、やっぱり疲れたのか事故の影響かわからないけど何も話す事もなく寝ちまってねぇ、あたしもまだ話していないんだよ。けがも大したことなさそうだったし、ちょっと呼んでくるよ。事故の事とか聞きたいだろう?」


そう言うと私の返事も待たずに野中さんは再び家の中に姿を消してしまった。話しを聞きたいのはやまやまだが、本当に野中さんが帰って来たのなら命からがらという事だろうし、怪我も動かさない方がいいこともある。少なくとも間宮医師に診てもらったほうがいいだろう。そう考えた私はそっとしておくように野中さんに言おうと玄関をまたいだ。


「ぎゃ!ちょ、あ、あんた、なにすんだい!」


家の中に入った途端野中さんの奥さんの声が聞こえてきた。声というよりも悲鳴だ。慌てて靴を脱ぎ、声の方に行くと奥にある部屋の入り口でこっちに逃げてくる野中さんの奥さんとぶつかった。


「ああ、新堂さん!助けておくれ!あの人の様子が変なんだよ、起こそうとしたらいきなり噛みついてきて……」


そう言う野中さんの奥さんの右腕は真っ赤に染まり、今もぽたぽたと血が畳に垂れている。慌てて野中さんの奥さんを支えていると、物音を聞きつけて隣に住む住人も様子を見に来て、この状況を見て驚きすぎて声もなく口を抑えている。


「なんですって!……ここは私が!奥さんは間宮医院に行って治療を受けてください!山下さん、お願いできますか?」


私は手近にあったタオルを傷口に押し付け、このまま押さえるように言うと間宮医師の元に行くように伝えた。そしていまだ立ち尽くしていた隣の山下さんに野中さんの奥さんの事をお願いした。その時に少しだけ傷を見たが肉がえぐれてわずかに骨が見えていた。人間が噛みついたとして、普通はそこまでの傷になることはない。どんなに激高していても無意識に加減はするものだ。

しかし野中さんの奥さんの傷は躊躇なく思い切り肉を噛みちぎっている。これはまともじゃない。


ショックのためかふらつく野中さんの奥さんをとそれを支えて歩き出した山下さんを送り出すと、私は野中邸の奥の部屋に向かった。この島に来て初めて腰から警棒も抜いている。

足音を忍ばせてふすまを開ける。そこには短い廊下があり、左右に障子がある。勢いよく開けたのだろう、右の障子は枠から外れ廊下の壁に立てかかっている。


「……野中さん?新堂です。わかりますか?入りますよ」


廊下から声をかけて部屋に足を踏み入れると、それほど広くない部屋に布団が二組敷いてあり、その片方に野中さんはいた。

布団は血で染まり、野中さんはくちゃくちゃと無心に何かを咀嚼していた。


「……野中さん?」


もう一度声をかけると、野中さんは咀嚼する口を止め、こちらを振り向いた。


「なっ……!」


その姿を見て絶句する。

そこにいる野中さんは、口の周りから胸ほどまで真っ赤に染まっている。私をまっすぐに見るその目からは何の感情も感じられず、視線すらどこに向いているのかよくわからない。口の周り以外の顔色はひどく悪く土気色をしており、鉱山から帰ってきてそのままなのか体のあちこちには黒い炭鉱の汚れがついている。

そして半開きのまま止まっている口の端からは赤い肉片がぶら下がっていた。


それが野中さんの奥さんの肉片であると理解した時、私の胃が激しく中身を押し戻そうとするのを必死に押し込めた。


「の、野中さん……動かないでください。事情は駐在所で聞きます。」


こみあげてくるものを飲み込みながらそう言うと、腰から手錠を取り警棒を向けたまま一歩踏み出した。

その時だった……



「ああああぁ……」


野中さんは、低く不気味な唸り声をあげながら、血で真っ赤になった口を大きく開けて私に向かって両手を伸ばしてきた。


「野中さん、落ち着いてください!くそ!」


しかし、野中さんは制止の声に全く耳も貸そうともせず、獣のような形相で向かってくる。それに身の危険すら感じた私は、野中さんの腕を取って逆手に捻り上げた。そして足で膝の裏を蹴って跪かせる。


「落ち着くまで拘束させてもらいます。おとなしくしなさい!」


そう言って、手錠を掛けようと片手を話した時、野中さんは大きく身をよじった。これまで平和なこの島でのんびりと生活してきて気が緩んでいた部分もあったかもしれない。野中さんは私の想像を大きく超える動きをしたのだ。

すなわち、逆手に捻り上げられ関節を決められたまま振り向こうとしてきたのだ。動きを止めるためにさらに強く腕をひねり上げたが野中さんは動きを止めない。


ぼきり


私は動きを封じようと、野中さんは私をどうにかするために無理やり振り返ろうとしてもみ合ううちに私の手に嫌な感触とくぐもった音が聞こえる。

それと同時に捻り上げていた腕の抵抗が急になくなった。


……折ってしまった。動きを止めるためとはいえ守るべき島の住民の腕か肩を折るつもりなどなかった私は思わずそれを離して愕然とした。


「そんな…野中さん……」


右腕を不自然にぶらぶらさせながらも、痛がる様子もなく野中さんはゆっくりと振り向いた。


「ひっ……!」


その顔を見て私は思わず後ずさった。腕の骨が折れたか肩が脱臼したか、そのはずの野中さんはなんの痛痒も感じていない顔で私を見ている。


「ああっ!」


そしてなおも掴みかかってこようとする野中さんを私は思い切り突き飛ばした。そして後ろを振り返ることもなくその場から逃げ出したのだ。



読んでいただきありがとうございます。作品について何か思う事があったら、ぜひ教えてくれるとうれしいです。

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