悪役令嬢の兄
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「シャルル殿下、聞いてくれよ!!」
シャルルが訓練場に行くと、いつものように先に来ていたエリックがいつになく興奮した様子で待っていた。
「どうしたの? またミカエルに距離を置こうって言われた?」
「あいつはもうそんなこと言わねーよ。じゃなくて! オレの姉が婚約したんだけどさ!」
「へー、エリックってお姉さんいたんだ」
「兄も2人いるぞ。ってか知らなかったのかよ? お前オレに全然興味ないよな。薄情な友人だぜ」
「そんなことないよ? ちゃんと大切な友人だと思ってる」
嬉しそうな顔から一変し不満そうに口を尖らせたエリックは、笑顔で告げるシャルルの言葉を疑って「ほんとかよ」とぼやいている。
「当たり前じゃないか。それよりお姉さんが婚約したんだよね? おめでとう」
シャルルが逸れてしまった話の先を促すと、途端に単純なエリックはパッと嬉しそうな顔になる。
「そうなんだよ! いや婚約したこと自体は別にどーでもいいんだけど、その相手がすごいんだよ!」
「すごい? 隣国の王子とか?」
「いや、そうじゃなくて! ジェレミー様だよ! ディアマン卿のとこの!」
「え」
大興奮のエリックが告げた名前にシャルルは目を丸くした。「昨日顔合わせがあって」と嬉しそうに話すエリックの声を右から左に聞き流して、シャルルは必死にゲームの設定を思い出す。
しかしゲーム上ではベルナデットと違い顔も出ないジェレミーは情報自体がほとんどなく、婚約者についても触れられていなかったように思う。
(実はゲーム上でも婚約していたのか? いや、でももしそうだとしたらエリックルートで話が出そうなものだが……昨日顔合わせしたって言ったか? 少なくともゲーム上では2人の出会いは酒場だったはずだ)
「難しい顔してどうした? 具合が悪いのか?」
いつの間にか眉間に皺が寄っていたらしく、心配そうにエリックに声をかけられたことでハッとしてシャルルは何でもないと慌てて誤魔化した。
「シャルル殿下」
そんな話をしていると、ドナシアンが来て訓練場の入り口からシャルルに声をかけた。いつもより早い来訪に首を傾げながらも入り口に向かうと、ドナシアンの後ろに人影が見えた。
「ちょうどいい機会なので紹介したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「うん?」
どこか嬉しそうなドナシアンの様子にシャルルが首を傾げつつ頷くと、ドナシアンに促されてその人物が前に進み出た。
歳はちょうど魔法学園に通っているくらいだろうか。金の髪にサファイア色の瞳の男らしいイケメンである。鍛えていることが分かる引き締まった身体からして、騎士団の人間だろうかとシャルルは考えた。
「お初にお目にかかります。ディアマン辺境伯爵家が嫡男、ジェレミー・ディアマンでございます」
目の前の男の言葉に驚いてシャルルは目を見開いた。しかしこちらを見つめる彼の目に気づき、すぐに笑顔を取り繕う。
「驚いた。会えて嬉しいよ」
(なんで!? いや、昨日顔合わせだったってエリックが言ってたから先生が気を利かせてくれたんだろうけど! ってかベルナデットと似てないな? 彼女は確かブロンドの髪にペリドット色の瞳の儚げな美少女だった筈)
にこにこと平静を装いながらシャルルは内心大混乱である。
「ジェレミー様も一緒に訓練に参加していただけるんですか!?」
期待を込めてキラッキラに目を輝かせるエリックにジェレミーは苦笑して首を振った。
「グルナ卿の指導を受けられないのは残念だが、あまり時間が無くてね。今日は挨拶だけで失礼するよ」
ジェレミーの返事にエリックは落胆していたが、シャルルはホッとしたような残念なような複雑な気持ちだった。
ちなみにこの残念というのは現状のジェレミーの実力を見られなくて残念という意味であって、決して手合わせを願いたいわけではない。
「ジェレミーはディアマン卿の指導を受けて育っているんだから、私が教えられることなどないだろう?」
「そんなことないですよ。この前なんて妹に負けてしまいましたし」
「「えっ」」
ジェレミーの発言に思わずシャルルとエリックが声を上げた。
「妹ってベルナデット嬢?」
「おや? 殿下、妹に興味が?」
シャルルが気になって尋ねると、ジェレミーはスッと目を細めてピリッとした空気を漂わせた。
シャルルは敵意とも取れるその態度に確信を持ってにっこりした。彼はシスコンだ。
「別に変な意味じゃないよ。以前先生にディアマン卿の指導は男女平等だって聞いたのを思い出したんだ」
シャルルの返事にジェレミーは緊張感漂う空気を霧散させ、納得した様子でひとつ頷いた。
「そうですね。妹は父の教育方針で3歳の頃から剣術の指導を受けております。ただ少しお転婆が過ぎるところがあるので淑女としてはその方針が良かったのかは考えものですが、私個人としては破天荒な戦い方をする妹と手合わせするのがとても楽しいですよ」
「そうなんですね! 女の子でジェレミー様と対等に戦えるなんて、やっぱりディアマン卿の教育はすごいんですね!」
「まあ父の教育というより本人の資質によるとは思うけどね。もう1人の妹のコレットは体が弱いせいもあるけどあまり体を動かすのは得意ではないし」
「そうなんですね! いつかベルナデット嬢とも手合わせしてみたいです」
「それはいいな。騎士団長の息子と手合わせが出来ると聞けば妹もきっと喜ぶよ。っと、そろそろ行かなければ。それではシャルル殿下、私はこれで失礼します」
「あ、うん。わざわざ来てくれてありがとう」
「とんでもないです。ではグルナ卿、エリック、今度の食事会、楽しみにしてますね」
去っていくジェレミーの背中を見つめながら、たった今もたらされた情報の複雑さにシャルルは混乱していた。
まず、ベルナデットがゲームよりだいぶアクティブらしい。しかもなんかジェレミーと対等に戦えるらしいので、ジェレミーの虚無感からの放蕩フラグが既に折れてるっぽい。あとコレットなんて存在ゲームではいなかった。
(え? え? どういうこと!? ここ『オルタンシアの乙女』じゃなかった!? いやいやそんなことない。登場人物の名前だとか国の歴史だとかはゲームの通りだし。僕が動いた影響もあるのかもしれないけど、コルヌのこととかベルナデットのこととかは関係ない筈だし……こんなの1人で理解出来るか!! 誰か助けて……)
混乱と未知への恐怖で涙ぐむシャルルに、ドナシアンとエリックは子供を見守る親のような顔で苦笑した。
「そんなに喜んでもらえたなら良かったです。ですがシャルル殿下はもう少し感情を抑えられるようにならないといけませんね」
「泣き虫は相変わらずだなー。ほらハンカチ。まあ公の場ではそうだけど、今みたいに俺たちしかいない場所だったら別にいいんじゃね?」
「甘い。咄嗟の時は普段の習慣が現れるんだ。舐められたら困るだろう」
「……努力します」
涙の意味を誤解している親子に言いたいことはあるが、シャルルはそう返事をするに留めた。
流石にシャルルはもう感動したからと言って泣いたりしないし、エリックの言うように公共の場では今のところ氷冷の完璧王子をイメージしてキリっと出来ている。
しかし今泣いた本当の理由なんか説明出来る筈もないし、そもそも未だに泣き虫で怖がりなのは事実である。
ドナシアンの言い分にエリックは不満そうだったが、シャルルはドナシアンの言わんとすることは理解出来るので素直にその言葉を受け入れた。
「では少し遅くなってしまいましたが、今日の訓練を始めましょうか」




