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気紛

 扉は気まぐれ。それがこの世界の常識。鍵をかけることはできども、開けた先がいつの何処へ繋がるかは分からない。望んだ者が必要とするモノを得るため扉。そして開けたならば最後。必要とするモノを得なければ帰ることの出来ない扉。

 そんな扉の向こう側、繋がった先はきっと冬の夜なのだろう。カラリ音をたてて、男がひとり冷気と共に来店した。

「いらっしゃい。きょうはどんな夢をお探しですか?」

 昨日もなければ明日もない。そんな世界のイキモノが、それがどんなものかも知らずに吐いた「きょう」という単語に違和感を覚えた。彼が口にした事に対してではない。その単語自体が引っ掛かったのだ。

 気付いた時には戦慄した。夜や冬は分かるのに「今日」が何なのかが一時分からなくなっていたのである。己の内側からも『時間』が消え始めているのだろう。血の気の引いた指先を強く握りしめた。

 帰るつもりもないのに、迷子のような気分にもなった。道標となる記憶も、もうほとんど無くなってしまっているのだ。だからきっとこの身はどうしようもないところまできてしまっているだろう。いずれは自分も完全にこちら側のイキモノとなる。それが、まだ少し恐かった。

 ――なぜ?

 自問自答。この恐れの根元を掘り下げた。先にあるのは未練だ。忘れることの出来ないあの人に会いたいとその願いを捨てられずにいるから。未だにあちらの世界の理に縋り付いているのである。

 冷たい指先を擦り合わせ、おもむろに砂時計をひっくり返す。サラサラと移動し始めたのは『時間』だ。もしくは精神安定剤。見つめ続ければ肩の力が自然と抜けてゆく。それに吐息をひとつ吹き掛けた。さてこれはどれほどの時を区切るものだったか。削られたシールをぼんやり眺め考える。

 鼓膜には、上ずって落ち着きのない声が耳障りに響いていた。

「は? 夢? 夢ってあの将来の夢的なあれですか?」

「いいえ、その夢ではないですね」

「じゃあ、え? 寝てるときに見るあれですか?」

「えぇ、その夢です」

「何か安眠グッズを取り扱っているとか」

「いいえ。夢そのものを取り扱っております」

「夢を?」

「えぇ、夢を」

「……本当は?」

「夢を売る店ですね」

「はー……なるほど、なるほど?」

「ご理解頂けたようでなによりですよ。それで、きょうはどんな夢を見たいのですか?」

「どんなって……あー、特に希望は、無いですけどねぇ……」

 基本的にここへ来る客に興味などない。寝不足の頭には来客応対が出来る程の余裕がないのが主な理由である。脳の奥が常に曇って重いのだ。心理的にも他人を慮る隙間がほぼ無く、攻撃的な態度を取りがちなのを自覚している。しているからこそあまり口を開きたくもなければ目も合わせたくないのだが、二人の会話に気付けば外からきた男を凝視していた。

「あんた、望んで来たわけじゃないのか?」

「え?」

 既に顔を引きつらせていたそいつは、声をかけた途端肩を飛び上がらせた。

「望むって、何を?」

「何って、だから夢を」

「夢を? 俺が?」

 そんなもの望んでなどいないと言うのか。男の口振りに続く言葉を見失った。

 どうにもおかしい。違和感は確信へと変わった。こいつはこの店の客ではない。なら、なんだと言うのか。答えを知っているであろう夢屋を横目で伺うも面白そうに客を眺めるばかりである。その目には何が見えていると言うのか。こちらの困惑に気付いたらしい金色が視軸をずらし細まった。

「この人がお前のアニか?」

 は? 声にもならずぽっかりと開いた口が二つ、夢屋を見つめる。何がどうしてそう思ったのか。混乱するままにぎこちなく合わさった目は戸惑いを強く滲ませていた。

「違ぇよ、この人は俺の兄じゃない」

「じゃあ誰だよ」

「んなの俺が知りたい」

 ふぅん。長い指先が唇に添えられる。大きな物音がしたのは来客の方角だ。どうやら店から出ようとしていたらしい。後ろ手に慌てふためいた顔が凍りついていた。おおよそ悪いのは夢屋だろう。獣が獲物を見据えるような、そんな雰囲気にきっと怯えたのだ。

「怖がらせるなよ、人外」

「お前には言われたくないよ」

 からかえば、よそ向きの口振りはぞんざいにそれ切り捨てた。――いや申し訳ない。さらに続ける声は柔らかく客に微笑みかける。

「どうにもこちらの事情に巻き込んだようで。ちなみにその扉は望んだものを手に出来ない限り元の場所へ開かない仕様になってましてね、今開けると変なところへ繋がる可能性があるのでそのままじっとしていてくださいね」

「まじっすか」

「まじっすね」

「……なにすれば帰してもらえます?」

 今度は緊張に細まりやはり耳障りな声となる。落ち着けとでも言ってやりたいが、夢屋の言う通り巻き込んだ側が発していい言葉ではないと対応をいつも通り店主に丸投げした。

「そうですねぇ。まず、あなたとこれとが何かしらの繋がりがあるはずなんですね。正確に申せばこれのアニと、あなたとに。それが分かれば何が必要なのかが分かるかもしれないんですけど、何か心当たりなんかはありませんか」

 いやー……。と回答を濁すところを見るにそんなものは無いのだろう。すぐに分かることならば、既に話題になっているはずなのだ。故に期待はしていなかった。

「そのお兄さんの名前とか教えてもらえれば、もしかしたら何か思い出すかもしんないんですねど……」

「だそうだ。なんて名前なんだ?」

「自分の名前すら覚えてねぇよ」

「じゃあ見た目」

「あー……」

 客を見据えたまま投げ掛けられる問い掛けに返せる的確な答えは既に手のひらから滑り落ちてしまっていた。残念ながらもう遠い記憶の話なのだ。断片的に散らばった朧気な景色は肝心な事から先に消えてゆく。それを、悲しい事だとは思わなかった。時々寂しいと思う。それだけである。

 それでもなんとか断片を拾い集め記憶を辿った。

「顔は似てるらしい。何回か言われたことがあった気がする。けど、年がだいぶ離れてるから分かんねぇかも……あ、あと目の色が違う」

 そうして話ながら思い出すこともあるらしい。言いながら掴んだ記憶の欠片が閃いた。

「目の色?」

「色っつーか、オッドアイ」

「――あっ!」

 そのキーワードが記憶に引っ掛かったようだ。自分の声に驚いた男がたどたどしく口を動かし始めた。

「えーっと、大学の講義でたまたま隣り合わせた人がいて、たぶんそれがお兄さんなんだと思うんですけど……何か紙を持ってたんですよ、それが気になってつい覗き込んだんですけど、えーっと」

「よろしければその記憶、写させてもらってもいいですか?」

 記憶が薄いのか説明が苦手なのか、覚束ない話しぶりに夢屋は早々に助け船を出した。ただしこちら側でのやり方での手助けである。当然、男は困惑した。

「うつす?」

「えぇ、写して、映させてもらえれば話が早いかと」

「はぁ」

「では失礼」

 しかし残念ながら説明は省かれるようだ。面倒くさかったのだろう。扉と似てこの男も気紛れなのだ。肯定とも否定とも取れない返相づちを承諾と受け取り、空をなぞった指先が手早く男の記憶を写しとる。

 そのまま指先は煙管をなぞり、吐き出された紫煙が部屋の中で渦を巻く。白昼夢と呼んでいたか。やがて半透明の像を結んだそこには記憶よりも幾分か若い兄の姿があった。

 背景は男の説明通り当時通っていた学校の一室だろう。その手元に小さな子どもの写真が大きく載ったチラシが見てとれた。

『あ、すみません。なんだろうなって思って』

 くぐもって聞こえてきたのは客の男の声だ。無遠慮に覗き込んだ謝罪だろうそれを、兄は小さく頭を振って受け取った。

『いいえ。もし良かったらもらってください。五歳の頃に居なくなった弟のチラシなんです。今日でちょうど十四年目でして、帰りに去年までのチラシを貼り替えに行く予定なので誤字の確認をしてたんです』

『十四年ってことは、じゃあ今は十九?』

『そうですね。もう、十九の年です』

『はー。けどそんなに経ってると、会ったとしても分かんなくないですか。……あ、いやすみません』

『いえ大丈夫ですよ』

 度重なる謝罪に兄は笑った。

『それ以上にひどい事を言われることの方が多いですから』

『ほんとすみません』

『いえ、そう思われても仕方がないとも思ってるので。けど、特徴のある子なのですぐに分かると思ってますよ。もし見かけたり噂に聞いたら教えてください。これ、連絡先です』

『特徴って――あ、この、オッドアイ? ですか』

『そうです。左右で目の色の違うんですよ。少し明るめの茶色と琥珀色……あー黄色というか、金色にも見える目の、かわいい子なんです』

 言葉尻に愛しさを滲ませたその声が心を震わせた。

ずっと探していたと言われたのだ。会いたかったと抱き締められた。あの熱が思い出される。どうしようもなく溢れだした涙は埋められない寂しさからやって来るのだろう。

 ぼやけた視界から白昼夢の兄がその姿を崩してゆく。手を伸ばしたのは無意識だ。何も掴めなかった指先が馬鹿みたいに宙を掻く。愚かしいその一連の流れに自嘲した。

「帰りたいのか?」

 問いかけには首を振る。

「帰りたくなんかない」

「どうして」

「聞くなよ、お前が一番分かってるくせに」

 さぁどうだろうなと嘯く口唇は笑っていた。こちらの心情を慮るつもりなど無いと言いたげに。だからかついでのように「必要なものは得られたのか」と尋ねられ、つい生返事を返してしまった。

 彼の来訪は望んでいたモノではなかったからだ。けれど望んでいるモノに繋がる人物ではあった。だから、などとわざわざ説明するまでもなく、この男はそんなことも把握しているのだろう。静かに立ち上がりひとつ引き出しを開け取り出したそれを手渡しながら、礼なり謝罪なりしてこいと所在無さげに立ち尽くす客の方を指差した。

 カラリ、下駄の鳴る音に男は肩を跳ね上げる。

「あー巻き込んで悪かった」

「はぁ、どうも」

 その姿を小動物の威嚇のようだと思った。どうにも及び腰なのである。なれど見上げる視線は興味深そうにこちらの両目を観察する。その無遠慮さに笑えた。

 だからと言うわけではないがお互い口調はぞんざいに会話は進められた。

「手間ついでに、あのチラシの奴に伝えて欲しいことがあるんだけど頼んでいいか?」

「……人にものを頼む態度じゃないと思うけどな、それで帰れるなら喜んで。あぁでも絶対には約束できない。それでもいいなら伝えてやる」

 ――そりゃあどうも。口先だけの謝意を投げ渡す。受け取る方も適当だ。

「どういたしまして。で、何て伝えればいい」

「別に難しいことじゃない」

「それは助かる」

「だろ、ひと言だけでいいんだ」

「分かった。ひと言だけな」

「あぁ、ひと言だけ。――もう探さなくていい。そう伝えて欲しいんだよ」

 なぜ。疑問が顔中に貼り付けられた。口にしないのはその理由を聞く気がないからか、聞いても答えを得られないことに勘づいているからか、どちらだろうか。

「分かった」

 先までとは打って変わって神妙に頷く様からはどちらとも読み取ることはできなかった。

「ではまたぜひ、夢をご入り用な際にはお立ち寄りください」

「えぇ二度と会わないことを願ってますよ」

 それじゃあと、軽妙な夢屋の挨拶に素っ気ない返事を寄越し男は元の場所へと帰っていった。扉の先が元の場所かと確かめ最後までおっかなびっくり去る姿は何とも可笑しなものだった。クツクツ上機嫌に肩が揺れる。その姿に金色は視線を注いだ。

「過去に、触れたぞ夢屋」

 そう、あれは間違いなく兄の過去だった。ある意味では望んでいたその時に指先が触れたのだ。ゾクリと震える腹の底が自身の興奮の大きさを伝えた。反対に冷静な声音が高ぶった神経を刺激する。

「触れたとて変わりはしないさ」

「でも可能性はあるだろう」

「大きな川に小石を投げ込んだくらいの影響だろ。すぐにも消えてなくなる。時の流れはそんなに甘くねぇよ」

「そうかもしれねぇけどな、」

「変わりはしないよ、何も。変わりはしない」

「お前に何が分かる」

「お前が固執しているモノが何かは分かっているよ」

「なら!」

 荒げた語気に夢屋が煙を吹き付けた。思わず噎せる喉は怒りをぶつける暇もない。ケタケタと笑う姿は先とは売って変わった容貌だ。それでいて滲んだ涙を拭う指先は優しい。その気まぐれさが溜飲を下げさせた。

「まぁ足掻きたきゃ好きなだけ足掻け。暇はいくらでもあるだろうからな」

 それ以上反論しようとは思わなかった。落ち着いて考えれば子供じみた口論である。だから謝りもしないのだが、しばらくすれば互いにいつも通りとなるだろう。

 店はいつの間にか鍵を閉めていたらしい。ガラスの向こうに曖昧な色味の光が見て取れた。眺め続ければ眠気を誘う。その景色に。

 ――眠るな。

 兄の声が重なった。

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