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 ――ねんねんころりよ、おころりよ。

 口ずさむ、低い声音が鼓膜を優しく震わせている。

 ――ぼうやはよい子だねんねしな。

 鈍く眠気に霞んだ思考にそれはよく馴染み、さらに深く眠りの底へと意識を引っ張った。

 ――ぼうやのお守りはどこへ行った。

 とろとろ、溶けていく全てが心地よい。

 ――あの山越えて里へ行った。

 あと一歩。

 ――里の土産になにもらった。

 暗がりに落ちる。

 ――でんでん太鼓に、

 直前、訪れた静寂が閉じた瞼を震わせた。途端に鉛を下げたような気だるさに包まれる。痺れた脳が睡眠を要求しているのだ。それくらいの理解が出来るまでには覚醒していた。

 なぜ起きる? 未だ寝ぼけた意識がそう問いかけてきた。なぜ素直に眠らない。重ねて問われるそれらに対する答えはない。強いて言うならば眠りたくないからなのだが、それでは納得してくれそうになかった。眠りたいのだと、そいつはもう、それしか言えなくなっているから。

「……ゆめや、」

 柔らかな手付きで髪を梳き続ける手を邪険に振り払った。流し目に移ろった金目がにわかに細まる。何が楽しいのだか。己から外れた視線の先を追いかけた。

 薄暗い書庫の間だ。ふらり、黒く影を動かす姿は捉えづらい。よく目をこらす。その端に入り込んだ指先にそいつは留まった。

「ちょうちょうか」

 微睡む舌が紡ぐ音は幼い。その呼び掛けに応えるようにふらり飛び立ったそいつが煙管の先に足を下ろした。熱くはないのだろうかと馬鹿な思考が過る。言葉にすればきっと笑われるのだろう。その声も想像できる。店主がすぅっと息を吸い込んだ。

 途端に蝶は形を崩し、煙となって男の肺に満ちてゆく。吐き出される紫煙は嗅ぎ慣れた苦い香りだ。眠気に支配される脳を鈍く刺激する。

「ちょうちょの夢か?」

「いいや、悪夢だな。いるか?」

「いらねぇよ」

 悪夢でなくとも必要ない。幾度となく繰り返した問答だ。戯れに近い。その会話を早々に切り上げ、手元の砂時計をひっくり返した。見るともなしに眺める。砂は上から下へと落ちていた。時計とは名ばかりあちらの世界の名残である。ほとんど変わらない動きをする理由も知りはしない。こちらでは無意味でしかない動作に主は皮肉げに唇を歪め「ご苦労なこった」と感想を口にした。

「よくもまぁずっと、ぱったん、ぱったん、飽きねぇな」

「時間に、区切りだとか名前をつけないお前らが悪い」

「慣れろよ」

「慣れるかよ」

 言い争いもいつものこと。繰り返したところで代わり映えはしない。それでもなおいい募ろうとする彼を遮ったのは、器用に戸を開け入ってきた三毛猫だった。

「今度も悪夢か?」

「さぁ、どうだろうな」

 短く答えた店主が猫を呼ぶ。咥えた獲物は何だろうか。吐き出し、男の手のひらに落ちた瞬間溶けて消えたそれの元の姿は分からなかった。にゃーん。それを見届け高く愛らしい声で猫が鳴く。

「あぁ助かった。ありがとうな」

 瞬間呆けた顔付きで空を眺めていた男を呼んだのだろう。珍しく罰の悪い表情の店主は、口早に礼を告げその小さな額に手を伸ばした。しかし触れる前にはね除けられてしまう。猫は再度にゃーんと鳴き声をあげ、ゆらりと尾を揺らしてみせた。

「あぁ。何か、あったか」

 それに対してちょっと待ってろよと店主が席をたったのは、謝礼の食べ物を探しに行くつもりなのだろう。ひとりと一匹取り残された室内は、砂の落ちる微かな音が聞こえるほどに静まり返っていた。

「出来ればササミが食べたいんだがな。あったか?」

 先ほどの鳴き声とは打って変わった渋い声が猫から聞こえてくる。最初こそ驚いたものの慣れれば問題はない。どちらにせよ可愛げが無いことに変わりはないのだから、対応の仕方も変わらなかった。

「食欲はないから知らねぇ。あいつも基本食べねぇし、最悪市まで行ったかもな」

「なるほど、そうなったら時間がかかりそうだな」

「予定でもあったか?」

「いいや、そんなニンゲンみたいなモノはない」

 あぁそう。興味もなく返事を口にする。互いに暇潰しなのだから、気にはしないだろう。毛繕いをして、あくびをして、のびをして。猫は自由に動き回っていた。

「ちょっと手を貸せ」

 生意気な言葉と一緒に近寄ってきた時は撫でろの要求だ。気の済むまで撫でてやればもういいと言わんばかりに噛みつかれ、離れてゆく。気ままに過ごす様はため息をつきたくなるほどだ。

 主は未だ戻らない。本当に市まで買い物に出かけてしまったようだ。眠気は徐々に薄れてきていた。すると暇を持て余してしまう。舌が世間話を始めた。

「なぁ、外はどこだ?」

「さぁな。気にした事もない」

「困らないのか?」

「困らないね。それにずっと同じ場所は飽きるだろう」

「ならいつも違う場所に帰ってるのか?」

「いつもじゃあない。飽きたら変えるくらいだよ」

「じゃあ、お前はどっち?」

「なにがだ」

「招かれたのか、それとも気に入られたのか」

「今日は随分とお喋りだな。そんなに気になるか?」

「多少は」

「なら教えてやらない」

 にんまり笑った顔が腹立たしい。その感情が顔に出ていたのだろ。猫はゴロゴロと喉を鳴らして喜んだ。

「まぁ長い時を過ごしちゃいるよ」

「どれくらい?」

「ヒトの基準は知らないさ。けど兄弟よりかは長生きしてるよ。どこで別れたかも、もう覚えちゃいないけどさ」

「気に入られたのに、外に出られるのか?」

「そりゃあな、扉はあるんだ。別に鍵も掛かっちゃいないだろう」

「まぁな」

「なんだ。戻りたいのか?」

「……いや、それは、いい」

「……よく分からんな、ニンゲンは」

 悪かったなとでも返せばいいのだろうか。また寄ってきた睡魔が目蓋を重くさせ始め、うまく頭が回らなくなってきていた。そこに行儀悪く引戸を開ける音は飛び込んできた。

「ハッカってヤツは眠気を覚ますのにとびきりいいらしい。あぁ、なんて優しいんだろうな俺は、わざわざお前のための物まで買ってくるなんて」

 猫の望み通りササミの乗った皿と飴の入った瓶を手に戻ってきた店主だ。感謝しろとでも言うのか。大仰な台詞を吐く面倒な男に高く舌は鳴らされた。

「まぁそうは言わずに、ほぉら、俺の優しさだ」

 なれど押し付けられて断れる関係性でもなかった。渋々と口を開く。その姿に目を細める顔は嗜虐趣味のそれである。

「そのうち嫌われるぞ、夢屋」

「大丈夫だ。もう嫌われている」

「はぁん、趣味悪いな」

「どっちがだい?」

「どっちもさ」

「そいつはどうも、またご贔屓に」

「ササミくれるんならな」

 猫はにゃーんと高く鳴いて去って行く。その背と入れ替わるようにカタリと戸を鳴らして入ってきたのは白い封筒だった。嬉々として手に取った男は「いい夢だ」と独りごち、丸めたそいつを飲み込んだ。

 外は夜らしい。その事実にまた引きずられる頭の中身を揺り起こすような、ハッカの飴を舌で転がした。客は来るだろうか。煙管の苦い香りを吸い込みながら、そんなどうでもいいことを考えていた。

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