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夢売り

 今日はねぇと女は口を開ける。泣き黒子を持つ色っぽい女だ。聞けば、その色を売るのが商売だと言う。夜の終わり時。顔見知りになる程度に訪れる彼女は、こぼれた前髪を耳へかけ、ゆったりと話しを始めた。

「今日は、あの子が亡くなってちょうど一年になるんだよ」

「あの子?」

「前に話しただろう? 飼っていた、」

「あぁ、ぶち猫の、」

「犬だよ、シバイヌだ。どこの女の話しと間違えてるんだい?」

「あー……昨日、いや一昨日の女かな?」

 煙管を吹かし話を聞くともなしに聞いている男はこの店の主である。商売をする気があるとは思えない適当な応対だが、女はそれでも構わないらしい。――まぁウチの子は、シバイヌなんだよと話を続けていた。

「その子にまた、ひと目会いたくってねぇ。元気にしてるのか、考えてたところでちょうどここの暖簾を見かけたのさ」

「なるほどね」

「だからさぁ、」

「犬の夢が見れればいいってことだな?」

「あの子以外の犬が出てくるんじゃ嫌だよ」

「願って眠れば、そのシバになるさ」

「本当に?」

「あぁ、きっと」

「きっとじゃあ駄目さ」

「駄目か?」

「駄目だよ。なんだ、無いのかい?」

「いや、まぁあるだろ。ちょっと待ってな」

 とそう言って、主は億劫に立ち上がると左右の壁一面を覆い尽くす棚へとその顔を向かい合わせた。引き出しの数は百を優に越えるだろう。その引出しひとつ、ひとつに、夢は入れられていた。

 夢とは、夜寝ている間に見る幻のことである。その際、どんな内容の夢を見るかを決める事は本人にすら出来ないのが基本だ。けれど彼女のように、こんな夢を見たいと願うことはあるだろう。つまりはそれを叶えるのがこの店であり、それがこの店の商品なのだ。

 うーんと唸る主は梯子を登って引き戸をひとつ覗き込む。それからまたうーんと唸って降りてきた。次いでガタガタと危なっかしい様子で梯子をずらし、また登ってゆく。その様を眺める横顔に女は声を掛けてきた。暇なのだろう。まだ寝れないのかと、世間話を投げてきたのである。

「あー……」

 いまいち、働く気の起きない脳ミソは女の問いかけに多すぎる程の時間をかけて答えを探し出した。思考が正常ではない証拠のような有り様ではあるが、これでまだ正常に近い働きをしているのだからまだ大丈夫なんだと思う。いや、なにが、大丈夫なんだと、誰かの声も聞こえてくるが、気にし出せば後は狂うだけなのだから気にしない方がいいのだ。

「寝ましたよ、少し前に。すぐ起きましたけど」

「お前のあれは睡眠じゃない、気絶だ」

 ようやくといった時間をかけ、なんとか女に答えた途端皮肉に濡れた声が聞こえてきた。見上げる程高い場所からのその声に「そうっすかね」と小声で応える。

「そうなんだよ。いい加減素直に眠れ」

「それは嫌ですね。夢なんか見たくないんで」

「おやまぁ、夢屋の店子のクセにひどい言い様だこと」

「店子じゃない、飼い猫だ。それも一向に懐く気がない猫だ」

「懐く気がないってとこだけ同意しますよ」

 あら、それならしょうがないわねと女はあっけらかんと言い放つ。――良くはないだろう。店主はそれにも反論するが、それぎり会話が続くことはなかった。

 どのみち暇潰しの会話だ。全員が全員、言いたいことを言えればそれで良いのだ。棚を漁る音だけになろうと誰ひとり苦とは思わなかった。

 そのうちに、一番下の段から何かを取り出した店主が満足げな顔でこちらを向いた。

「おい寝不足、マッチを出せ」

 手に持っているのはお香の類いだろう。毎度形の異なるそれらに、どう夢が詰まっているというのか。聞いてみたいとは思っているものの、どのみち分かりはしないだろうとも思っている。きっと彼女もその仕組みは分かってはいないはずだ。それでも、手持ちの金の四分の一を置いて出ていった女の嬉しげな後ろ姿が戸の向こうへと消えてゆく。高いのか、安いのかも分からないが、互いに満足しているのならたぶんいいのだろう。毎度、落とし所はそこだった。

 ガラス越しに夜が明けてゆくのが見えるは女のいた名残である。彼女に絡み付いた時の影響だ。つい、また眠れなかったと口走りそうになる。その光景に、主は店を閉めるぞと指を鳴らした。

 端からすりガラスへと姿を変えていく様子は何度見ても美しい。そこから入る光の薄暗さも、どれだけ経とうと変化のない色味も、好ましく思えた。そしてそう思う度、戻れないのだという事実を突き付けられている気がするのだ。

 戻る気もないクセに。痛む心はまだあるらしい。難儀な事だと他人事にしてひっくり返した砂時計が落ちてゆく。

「暖簾外してこいよ」

 カツリと店主が灰を落とした。ついでと台帳も閉じ店仕舞いを済ませている。それで終わり。暖簾が掛かっていようとも誰かが入ってくる事などないというのに、なぜ毎度律儀に出し入れしているのか。

 喉元まで上がってきた愚痴を呑み込み土間へと降りた。身体は鉛を含んだように重い。たった数歩の距離すら億劫なのだから眠った方がいいのだろうと思う。思うが、心か頭の何処かが拒むのだ。眠りたくなどないと叫び、神経を尖らせる。

 もうどちらが本心なのかも分からない程だ。厄介極まりない。胸の真ん中を親指でなぞり、呼吸を整えた。短く長い道のりの先、すりガラスへと変わった引き戸の向こうに掛かった暖簾に手を伸ばした。

 霞んだ両目に映る屋号はそのまま、夢売りの白抜き。見かけた際にはどうか、気軽に店内を覗いて見て欲しいと思う。ここは夢を売る店。主は、夢売りを生業としている。

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