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暴れゴリラのデスロード  作者: 三角すくえあ
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6

 

 一時間後、二匹は蓄積した疲労から静かな寝息を立てていた。あと一時間もしたら、体力を回復させた黒ヒョウが目を覚まし、帰路に就くだろう。そこでクラジューの旅路も、クラジューの死地への道(デスロード)も終わることとなる。


 その矢先だった。


 顔面を涙で濡らし、悲痛な声を上げる一頭の雌ゴリラが駆け寄ってきたのだ。


「あぁ、あなた、あなた、ねぇ助けて。お願い、わたし、もうどうしたらいいのか……」


 その泣き声に目を覚ましたクラジューは、一拍遅れて、声の持ち主がボスだった頃の妻だということに気が付く。群れを譲った今は、息子の妻の一匹としてハーレムに所属している雌だ。


 疲れた身体を起こしながら、クラジューは「今はもう関係の無い自分に何の用が?」と考える。だが考えるだけで口に出さなかったのは、雌ゴリラの必死さが否が応でも伝わってきたからだ。これは異常事態に違いない。


 いまいち要領を得ない雌ゴリラを宥めるように、クラジューはそっと肩に手を置いて目線を合わせた。


「まずは落ち着いて呼吸をするんだ。そう、ゆっくりな。あぁ、良い子だ。それにしても随分久しいな。わざわざ私の所まで来て一体どうしたのだ? 何かあったのだろう?」

「えぇ、えぇ、えぇ。今、大変なことになっていて、それでどうしましょうって話になって、わたし、あなたの場所を知ってたから代表して来て、それで、それで……。あぁ、どうしたらいいのかわからないの……」

「大丈夫だ、ゆっくり教えてくれ。群れに何かあってここまで来たのだろう? 捕食者に襲われたのか? それともあの忌まわしい棒を持った人間達か? 子供達は無事なのか? お前達の夫に対処出来ないくらいの事態が起こったのではないか?」


 少し落ち着いてきていた雌ゴリラは、クラジューの言葉が終わるか終わらないかのところで再びワッと泣き出した。目を覆った手の隙間からも涙がボタボタと流れてくる様は、理由が分からなくとも痛ましい。クラジューはあれこれ問うのを一旦やめて、雌ゴリラに寄り添い、肩を撫で続けることにした。


 クラジューの思いやりは更に雌ゴリラの涙を誘い、クラジューにしがみつきながら全身を震わせてしゃくり上げる。クラジューは雌ゴリラが落ち着くまでそうしている腹積もりだったのだが、それを許しそうにない者が側に居たことまでには頭が回らなかったようだ。


「ちょっと、うるさいんだけど。アタシ寝てんの!」


 音も無く上から降ってきたと思ったら、次の瞬間には鼻が触れるくらいの距離まで近づいて文句を吐かれる。更にそれがゴリラにとって恐るべき捕食者であると理解したその時には、驚きのあまり雌ゴリラの涙は止まっていた。


「で、さっきからギャーギャー騒いでるけど、今度は何? 失恋した当日に、その雌に乗り換えるって話? どうでもいいけど、そういうのは静かにやってくれない?」

「そんなわけがないだろう。この者は私の妻だったが、今は息子の妻だ。何かあったのか、泣きながら私の元へやって来たのだ。なだめてから話を聞こうとしていたのに、お前が出てくるから怯えてしまっただろう。あぁ、可哀想に。震えているではないか」

「だったら早く話を聞いたら。アンタも、ただ泣くためにここに来たってワケじゃないでしょ? わかるだろうけど、アタシあんまり優しくないの。これ以上アタシの睡眠時間を減らすってんなら……」


 黒ヒョウは勿体ぶった後、口を大きく開けて犬歯を見せた。夜でも分かる赤黒い口内は、残された猶予がないことを知らせる分かりやすい脅しである。だが雌ゴリラには効果的で、クラジューにしがみつきながらも早口で己の状況を伝えた。


 それはクラジューにとって、衝撃的な内容だった。


「わたし達、夜になったから休もうと思って寝ていたの。ウトウトしていたら急に誰かが悲鳴をあげて、それで飛び起きて、何が起こったのか確認しようとしたら、そしたら、そしたら子供が血塗れで倒れていて、その隣には血を浴びたあの人が……」

「まさか、まさか息子がっ⁉」

「えぇ、えぇ。あの人、理解が追いつかないわたし達を無表情で一瞥してから、更に一人ずつ子供達に手をかけていったの……。泣き叫ぶ子も、眠ったまま逝った子も居たわ。その中にはわたしの大切なあの子も……」

「そんな、まさか、嘘だろう……」

「いいえ、本当なの。でも子供が全員殺されたわけじゃないわ。殺されたのは、あなたが群れに残していった、あなたの子供だけだったの」


 クラジューはヒュッと喉の奥を鳴らした。驚きと衝撃がクラジューの全身をビリビリと貫いていく。


 昨夜、育ててくれたことを感謝した息子が、次の夜に子殺しをした。


 クラジューは理解し難いその事実に、目眩を覚え声を失う。雌ゴリラも説明しながら悲惨な光景を思い出したのか、再びはらはらと涙を流した。


 確かにゴリラの世界には子殺しが存在する。それは自分の群れを作るために必要な自然の摂理とも言えなくない。だがクラジューは血の繋がらない子供も育て、その中には件の息子も含まれていた。その息子はクラジューの背中を見て育ち、群れを引き継いだ後も、どの子供にも平等に愛を注いでいたはずなのだ。


 時が止まったように動かないゴリラ達を、不思議そうに眺めていたのは黒ヒョウだった。


「でもさ、割とあることなんでしょ? 群れで生きている限り、そういうことは起こりかねないって、それがアンタ達の普通だって聞いたことがある。アンタ達が泣きたいのも、悲しんでるのも理解できる。だけど、じゃあ何で今コイツのところに来てるわけ? アンタが判断を仰ぐのはボスであって、コイツじゃないでしょ?」


 野生の動物はシビアである。今の雌ゴリラの行動より、一見冷たく聞こえる黒ヒョウの言葉の方が自然界では正しいと言えよう。群れに所属する以上、余程の理由が無い限りそこから離れることは許されない。


 しかし、雌ゴリラには余程の理由があった。


「それが、それが子供達に手をかけた後、あの人急にどこかへ行ってしまって戻ってこないんです。夜の間、わたし達も残された子供達を守れるか不安で……。それで皆で話し合って、わたしが代表して助けを求めにここへ」

「ふーん。ねぇそれって、助けを求めにってより、コイツを次の群れのボスに選びにきたって方が合ってない? コイツ、前のボスだったんでしょ? 雌も子供も傷付いている今、何も知らない雄に群れを奪われるくらいなら、実績のあるコイツに任せた方がいいって」

「まだそこまで考えては……」

「ま、どう転ぶにしろアンタ達が決めることだからアタシは関係ないけど。でも、早く安心したいって気持ちは分からないでもないし、責められることでもないと思うのは事実だから。……で、アンタはどうすんの? アンタが出て行くならアタシも帰るわ。これ以上、首を突っ込む気はないしね」


 黒ヒョウの問いかけは聞こえていたのか分からないが、押し黙って固まったままだったクラジューは一言、「西だ」とそう呟いた。


「西だ。西だとすれば納得がいく。息子がヨーコの情報を持ってきたこと、お前という捕食者に出会ったこと、実際その場所には何も無かったこと、そしてヨーコ自体に何事も起こっていなかったことにだ」

「待って、どういうこと? 西って、今朝見に行ったあの西?」

「あぁ。アイツは『西』が捕食者の居る危険な場所だと知っている。この私が直々に教えたからな。その場所に、私が飛びつくような嘘を使って向かわせたのだ。どんな理由かは分からない。というより、私が理解したくないのかも知れないが、息子が私自身を含めた、私に関する全てを消し去ろうと目論んだのは確かだろう」

「実際、アンタの息子はアンタの子供達を殺して、実際、アタシはアンタを食うつもりだったから思惑通りね」

「だがお前は私を食らわなかった。これは誤算だろう。もしかしたら、息子は私が何事も無く戻ってきたことを耳にしたのかもしれない。しかし、この場来てみても私はヨーコを確認しに行っていて居なかった。だから私が本当に生きているのか、本当に死んだのか確かめに『西』へ行ったとしたら、辻褄が合っていないか?」

「今のところ、ありえない話ではないとしか言いようがないわ。でもアンタが西に行くって言うなら、アタシもついていくけど? ちょうど帰り道だし」


 クラジューは一つ頷き、それから真剣な表情で雌ゴリラの肩に手を置いた。


「私達はこれから『西』へ向かう。アイツに何が起こって、何を思っているのかは行ってみないと分からない。お前達は出来るだけねぐらから離れずにいるんだ。しばらくしたら、私かアイツのどちらかが戻ってくるだろう。もしも誰も戻ってこなければ、近くに居る雄が群れを率いに来るだろう。その時はその者に従うといい。いいな?」

「えぇ、えぇ、わかったわ。皆にもそう伝えておく。ごめんなさい、わたし達の群れのことなのに、あなたを頼ってしまって……」

「いや、元は私に原因があるのだろう。私のせいでつらい思いをさせてしまったな。すまない」

「いいえ、きっとあなたのせいではないわ。どうか、どうか気を付けて」


 雌ゴリラはクラジューをそっと抱きしめて、群れの皆が気になるのだろう、急ぐように闇夜の中に消えていく。その背を見送って、クラジューは重々しい溜め息を吐いた。


 ヨーコのことが杞憂に終わり、人生初の失恋を経験して、笑い話で幕が閉じるはずだったのだ。それが思いも寄らぬ方向へと転がり、この先どう転じるのか予想も付かない。溜め息も吐きたくなるはずだ。


 クラジューは膝にグッと力を入れて天を仰いだ。昨夜の大雨とは異なり、夜空には満点の星が散らばっている。この澄んだ夜空のように、曇り無き目で昨夜の息子と対峙していたら何か分かっていただろうか。ヨーコのことに気を取られ過ぎて、息子の異変に気付けなかったのだろうか。そんな後悔ばかりがクラジューの頭を行き来する。


 しかし行かねばならぬ。行って確かめねばならぬ。


 父親として全てを受け止め、全てを受け入れる覚悟でクラジューは西を見据えた。


「行くぞ、捕食者よ」

「だから命令すんなって。……ってかさ、アンタ『西』に行っていいの? アタシにはアンタの家族のこととか分かんないけど、アンタの息子、アンタに会ったら殺すつもりなんじゃない?」

「そうかもしれない。いや、多分そうなのだろう。だが何度も言っているだろう? もとより死地への道(デスロード)なのだと」


 クラジューは自分を励ますように、これまで通りの決め台詞を言ったのだろうが、どうにも表情の陰りは拭えない。


 そんなクラジューに黒ヒョウは、

「いいから行くわよ」

 と、あえてこれまで通りの呆れた様な口調で返したのだった。


次回は明日1/7 AM6:00に投稿します

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