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暴れゴリラのデスロード  作者: 三角すくえあ
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 ここしばらくヨーコが会いに来ない。


 出会ってから日を置かず逢瀬を重ねていたクラジューだが、近頃ヨーコはとんと姿を見せなかった。律儀なヨーコのことだ、何か事情があってここを離れるのならば必ず挨拶に来るだろう。しかし最後に会ったとき、それらしい雰囲気を出した様子は見られなかった。


 もしや嫌われたのではないだろうか。人間ならそんな考えが脳裏をよぎるだろう。だがクラジューは気高いゴリラだ。軟弱な懸念を一切抱かないクラジューは、帰り道がわからずジャングルを彷徨っているのではないか、捕食者に傷つけられたのではないか、とヨーコの身を案じていた。


 そこからさらに三日経った嵐の夜、クラジューにある一報が届けられる。普段は活動を止める夜、それも叩き付けるような雨の降る夜、わざわざクラジューを探し情報を持ち込んだのは、かつて共に群れで過ごした息子だった。


「親父、ちょっといいか」

「久しいな、息子よ。わざわざこんな嵐の夜に一体何の用だ。お前には守るべき群れがあるだろう。雌や子供を置いてでも私と話すことがあるというのか?」

「群れはこの近くで休んでいる。心配ない。確かに俺にとってはさほど重要なことでもないんだが、ただ、親父には喉から手が出るほど欲しい情報なんじゃないかと思ってよ」

「私が欲しい情報だと……? まぁいい。とりあえずお前もこっちの寝床に来い。適当に葉を集めて作ったものだが、この煩わしい雨を除けることはできるだろう。さあ」

「ああ、邪魔する」


 雄の、それも群れのボスとして君臨した雄と、現に君臨している雄が小さな空間に収まっている姿は些か滑稽に映る。ここが動物園だったら話題になるだろう面白さだ。


「それで、私に知らせたいこととは何だ。お前にとっては些細なことなのだろう?」

「俺も一度は無視しようと思ったんだが、親父には実の息子じゃない俺を育ててくれた恩がある。俺はそれに報いたい」


 そう実はこの親子、血の繋がりがなかった。ゴリラの群れにはよくあることで、ボスの座を奪った際には、その群れの雌や子供を全て引き継ぐことになる。そこで時折見られるのが新しいボスによる子殺しだ。自分の血統だけを残すため、雌の発情を促すため、口減らしのためなど、様々な理由からゴリラの群れでは子殺しが行われることがある。


 だがクラジューは、引き継いだ子供達を一切殺すことはなかった。ボスの座を奪い取ったからには、たとえ血が繋がっていなかろうと、群れの子供は自分の子供だと守り育てたのだ。この責任感の強さは、クラジューが率いていた群れで子供の死亡事故や病死が無かったことからも察せられよう。クラジューが他のゴリラから尊敬される所以の一つだ。


「息子よ、そんなことは気にしなくてもいい。私は私の責任を果たしたまで。お前が何かを返す必要などない」

「それでも俺は親父に感謝しているんだ。だから、だけど、だからこそ……」

「わかった。そこまで言ってくれるのなら、お前の気持ちを受け取ろう。それで、私に伝えたいこととは何だ?」

「それは、それは……」


 クラジューに促された息子は、口に出し辛いのか言い淀んでしまう。その表情には、どこか躊躇いのような感情のぐらつきが一瞬浮かび上がる。しかし、一度瞼を閉じて次に開けたときには覚悟を決めたのだろう。意志の強い瞳がクラジューを貫いた。


「親父には今気に入っている人間の雌がいるだろう? あの平たい顔の雌のことだ」

「なっ、なんのことだ⁉ 私はさっぱり……」

「隠さなくてもいい。親父がその雌と何度も会っているのも、一切追い払うことがないのも、この辺のゴリラの間で噂になっている」

「まさか、そんな……」


 なんとヨーコとの秘密の逢瀬が近辺のゴリラに知られていた。その事実にクラジューは動揺を見せ、そわそわと身体を揺らしていたのだが、息子の紡いだ次の言葉に全身が凍り付いた。


「俺が伝えたいのはその雌のことだ。あの平たい顔の人間の雌だが、つい昨日、別の人間に攫われているところを見かけた。しかもあの音の出る棒を持った人間に、だ。俺等を瞬時に殺すあの忌々しい棒を突きつけられて捕まっていた」

「……なんだと?」


 音の出る棒とは、人間で言うところの銃である。


「攫われたのは、ここから少し離れた場所になる。雌を攫っていったのは、時折果物なんかを寄越してくる人間とは別の、殺した後に皮や牙だけを取り去って行くような、あの許しがたい人間達だ」


 クラジュー達のジャングルには、しばしば密猟者が出没していた。動物達は素材や薬などの目的で角や牙、毛皮が狙われ、更にはペットとして飼うために生体も高値で売買されている。それはゴリラも例外ではない。ゴリラは主に食肉として、そして子供はペットとして売買するために密猟者に狙われている。クラジュー達は地球規模で考えなければならない問題と最前線で戦っているのだ。


「あんな卑劣な人間共にヨーコが……⁉ それは、それは本当の話か⁉」

「あぁ、俺がこの目でしっかりと見た話だ。少し離れてはいたが、あの平たい珍妙な顔はこの辺ではあの雌しかいないだろう」

「なんてことだ、あんな奴等に捕まるなど……。あぁ、ヨーコ、ヨーコ……」

「俺にとって人間なんかどうでもいいんだが、親父があの雌を気に入っているのを知っていたからどうも落ち着かなくてな。群れを引き連れてここまで来たんだ。そのせいで知らせるのが遅くなってしまった。すまない」

「いや、お前が悪いわけではない。私を気にかけてくれて、わざわざここまで来てくれた息子に感謝こそすれ、誰が叱責できよう。お前が知らせてくれなかったら、私はヨーコの身に起きたことを知らないまま、ただ待つだけだっただろう。ありがとう、息子よ」


 クラジューは湧き上がる激情を努めて抑え、自分のためにここまでしてくれた息子の手を握りしめた。ありがとう、ありがとう、と感謝を口にする父親だが、対峙する息子は何故だろうか、酷く暗い光をその目に湛えている。普段だったらそれに気付かないクラジューではないのだが、ヨーコのことで気が取られているのだろう。息子の異変に目が行かないようだった。


「一応、軽く奴等の後をついて行ってみたが、どうも決まったねぐらがあるようだ。ここから離れた西に行ったところにある、ほら昔親父が『この辺には捕食者が出る。気を付けろ』って教えてくれた川の方角なんだが……。覚えているか?」

「あぁ、覚えているとも。あちらの方だな?」

「その川を更に西に進んだ先に、奴等のねぐらがあるらしい。これに関しては、俺がこの目で確認したんじゃなく、その辺のヤツから伝え聞いた話だから確かではないが……」

「いや、そこまで教えてくれただけで十分だ。重ね重ね感謝する、息子よ」

「しかし俺に出来ることはここまでだ。あとはこの話を聞いた親父自身がどうしたいのか、考えて決めてくれ。……それじゃあ、俺は目的も果たしたし帰る。群れの者達が待っているからな」


 クラジューに必要だろう情報を伝え終わった息子は、父親に目線を合わせることなく狭い寝床から這い出た。顔に当たる雨粒を煩わしそうに拭うその背中に、クラジューは感謝と親愛と、そして息子が真の雄、真のボスになった感慨深さを込めて言葉をかける。


「お前のような息子を持てて私は果報者だ。この先も群れの者達が幸せに暮らせるよう、ボスとして邁進してくれ。達者でな、息子よ」

「あぁ、俺もアンタが親父で、アンタが育ててくれて……。なのに、なのに……。いや、なんでもない。じゃあな、親父」


 息子は、一度も振り返ることなく暗闇へと消えていく。その背中を見送るクラジューには、息子が闇の中でどんな表情を浮かべているのかなど知る由もなかった。


 息子が去ったあと、子供の手前極力感情を抑えていたクラジューは雄叫びを上げる。


「オオオオオオォォォォ‼」


 嵐のジャングルを揺らすほどのその叫びは、ただ一点、激しい怒りだけが込められていた。その怒りは声に乗って周囲へ伝わり、か弱い小動物などは気絶して木から落ちてしまう始末だ。


 それは卑劣な人間共への怒り、そしてヨーコの危機に気付かず、のうのうと暮らしていた自分への怒りだった。


「ヨーコ、あぁ、ヨーコ……。すまない、私が不甲斐ないばかりに。可哀想に、きっと震えているだろう。待っていろ、いま私が助けに行くからな」


 覚悟は決まりきっていたクラジューだ。そこに一片の迷いもない。バチバチと身体を叩く横殴りの雨の中、クラジューはヨーコの救出へと飛び出して行った。


次回は明日1/3 AM6:00に投稿します

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