誰がために強くなる 後編
旦那はお誕生日が嫌いです。
「俺の誕生日は、俺の誕生日じゃなかったんだ」
毎年誕生日には、義父の前で正座をさせられ「俺がこれくらい時は」と、自分の体験談(という名の自慢話)を延々に聞かせられたといいます。ケーキを前にして、おめでとうの一言もなく。
そのせいもあってか、私が初めて彼のお誕生日を祝ってあげたとき、旦那はとてもくすぐったそうな顔をしていました。それは今も変わりません。
そもそも義父も可哀そうな人だったのかもしれません。
戦後の苦しい時期をがむしゃらに生きてきた義父の母も、苛烈な性格だったといいます。どれだけ苦しい幼少時代を過ごしてきたのか、今の私たちには知る由もありませんが、それが義父の人格形成に大いなる影響を与えていたのは現状の義父を見れば明らかです。
そんな義父は己の過ごしてきた日々を美化し、子供にも自分の受けてきた「教育」をそのまま施そうとしました。若い時分には暴力も振るったそうで、洗脳じみたその教育に長年晒されてきた旦那は、義父に従順な逆らうことを知らない息子に成長しました。
義父の「教育」にがんじがらめにされて、逃げるという選択肢すら持たない旦那は、義父を「父親」として見ることはありません。旦那と義父の間にはいつでも見えない分厚い壁が存在していて、旦那は常に「従業員」として義父の前に立っています。私生活でまともに口を利くことさえありません。
「嫁ちゃんは強いね」
義父と真っ向から話ができるまでになった私を見て、旦那は言います。
強いんじゃありません。強くなったんです。
優しすぎるほど優しい、ただ貴方のために。
こうやって愚痴ると「全部捨てて逃げればいいのに」って言う人もいるとわかっています。義父の言いなりになっている旦那を見て、情けない男だと思う人もいるでしょう。でも、逃げるだけが正解というわけじゃないと私は思うのです。
耐えて、懐に入り込んで、信頼させて、最後の最後で己の利をとるやり方だってあるのだと。
「俺は徳川家康だから」
なんて、旦那は笑ってよく言いますが、あれは本心なんだと思います。
私たちは「信頼を勝ち取る」ところまで行けたものと自負しています。あともうちょっと、もうちょっとなんです。
あともうちょっとだから、頼む、唆されて株に手を出したり、減価償却費度外視で不動産に手を出したりしないでお義父さん!! うまくいったためしないでしょうが!! そんなもの残されても私たちが困るのよ!!
……最近、大病を患いながら復活を果たした義父はますます元気で「憎まれっ子よにはばかる」ということわざを好きなままにしています。
私と旦那が天下をとるのはまだまだ先のことになりそうです。
さて、いよいよ繁忙期も本番を迎え、夏の暑さに命の危機を感じつつ、この愚痴日記もそろそろお終いの時間です。
まだまだ愚痴りたいことはたくさんあるんですけどね。いつも膨大な量を作って皆を困らせている里芋を何を思ったかいつもの年の8倍も作っちゃった話とか、毎年干し柿をコンテナ40個分一人で手作りしてる話とか……。
つもる話はありますが、工事用巨大ユンボを使った里芋の収穫に耐え切れなくなったとき、またお会いしたいと思います。
ここまでお付き合いくださった皆さんに感謝を。
そして、今日も今日とて義父に付き従い、陰でこっそり舌をだしつつ、柿の種大好きな羆のプーさんを抱きしめて生きていく自分にエールを。