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「できない」って言いたくない時もある

 不詳私、生まれも育ちも生粋の農家ですので、サラリーマンの一般家庭の生活というものを全く知らないのであります。


 毎日遅くても朝5時には起床する両親。畑から戻ったばかりの仕事着姿で台所に立つ母。日中、仕事で留守の両親の代わりに私たちの面倒を見る口うるさい祖母。夕方になると決まって相撲しか映さないテレビ。夕日がとっぷり落ちるまで戻ってこない母に代わって、洗濯をたたんだり、部屋を片付けたり……。


 どの家庭もそんなもんだろうと思っていたんですよ。


 それが当たり前じゃないって気が付いたのは、小学生の時。友人のお宅にお泊りした時のこと。


 オシャレなダイニングキッチン(実家は総畳の純日本家屋)

 掃除の行き届いたリビング(仕事が忙しすぎて掃除は適当)

 きれいにお化粧してスカートを纏ったお母さん(農作業時はお化粧最低限で必ずズボン)


 カルチャーショックはそれだけに留まらず、日曜の朝は8時前には誰も起きてさえ来ないし、それで文句を言う祖父母もいない。家事はもっぱら母親がするので友人は手伝いをする必要もないらしく、1泊2日の間中、私は目を丸くしっぱなしでした。


 彼女の家は核家庭で、父親はごく普通のサラリーマン。

 父と母と娘、新築一戸建ての3人暮らし。

 口うるさい祖父母の目を気にすることもなく、土日には優雅に好きなことをしてのんびり休むことができる暮らし。


 めっちゃくちゃ羨ましかった!!

 そりゃもう、自分の家に帰りたくなくなるくらいには。


 実家の両親は大好きでしたが、休みなく働かなければならない農家という職業にはできればつきたくない。そう思うようになりました。

 それがまさか、実家を上回るモンスター農家に嫁ぐことになるなんてねぇ。人生何がどう転ぶかわからないものです。


 嫁いだ当時は、私もガッツリ農家ってわけじゃなかったんですよ。ちゃんと自分の職を持っていたし、旦那も農家とは別に自営業を営んでいたし。そのままフェードアウトできるもんだと思ってたんですよ。私は手伝う気はないって、旦那にもきつく言ってましたしね。


 ところが長女を身ごもり、私が会社を辞めざるをえなくなったことで歯車が狂いだした。

 子供を産んで半年ばかりたった頃でしょうか。真冬の雪のちらつくさなか子供とともに義実家に呼び出された私は、問答無用で農家の事務手伝いをするよう命じられたのです。


「子供と二人で遊ばせておけねぇだろ」


 そう言い放つと、私の目の前に感熱紙の束を突き出しました。

 薄いFAX用紙に書かれていたのは顧客の注文票。


「これ全部伝票に書き出せ」


 見ると、机の上には大量の宅配便の送付票。

 出荷用伝票の手書きをしろとのことでした。


 その数、なんと300件。

 なんでそんなに溜めやがった300件。

 ふざけんじゃねぇぞ300件。


 かくして私は、その日から乳飲み子を抱えコタツでコツコツ伝票を記入することになったのです。


 手書きで!!


 出来ません――なんて言える雰囲気じゃなかったし、言いたくもなかったんですよ。

 その当時は、孫の顔さえ見に来ない義両親に対して捻くれた気持ちを抱えてましたし、そんなやつに「できません」って口が裂けても言いたくなかったんですよ。


 だからね、書きました。

 夜通し寝ないで書きました300件。


 授乳で疲れた手首を酷使したせいで腱鞘炎が悪化したけど、それでも頑張って書きました。泣きながら書く私を見かねて旦那も手伝ってくれましたが、違うそうじゃない。気遣いの方向性が違う。

 私は旦那が義父に文句を言ってくれるんだとばかり思ってましたが、全くその気配はなく。結局二人、一晩で300件書ききって、寝不足の目を擦りながら持ってきましたよ伝票を。


 するとですね、驚いたことに何の労いもなく、今度は別の感熱紙の束を渡されて。

 もう、なんなんだと。頭にきながらその冬は年末まで伝票を書き続けることになりました。


 なんなんでしょうね、あれ。がむしゃらにやればやるほど仕事が増える。わんこ伝票。

 私は長女だから我慢できたけど次女だったら我慢できなかった。


 いや、今考えれば我慢する必要なんてなかったんですよ。意地をはらずに「できない」ってちゃんと言えばよかったんです。嫌味は言われただろうけど、そうすりゃできないもんだと思って仕事を割り振られることもなかったんですよ。でもね、当時はそれができなかったんですよ……。


 今?


 今はいいますよ。できないもんはできないって、証拠のデータを明示してはっきり断ってやりますよ。無理なんてするもんじゃない。できないもんはできない、それでいいんです。

 多少無茶でもできる場合はその限りではありませんが……。


 さて、そんなこんなで冬の繁忙期が終わり、私は旦那に直談判しました。

 このままなし崩し的に農家を手伝うようになるのは嫌だと。伝票1000件(累計でそれくらいになりました)手書きするのは無茶もいいところだと。


 そんな私の訴えを聞き入れて、旦那がやってくれました!

 PCと管理ソフトの導入。




 ――違う!!!!!!!




 違う、そうじゃない!!!!

 気遣いの方向性!!!!


 結局ね、旦那は私に農家を手伝えと言葉を使わず提示したわけなのでありますよ。

 旦那は実家を捨てられない。そう悟った私は、仕方なく、本当に仕方なく、顧客データの移管作業を開始したのでありました……。


 まぁ、結果から言えば、導入してよかったんですがね。

 冬の倍ほど注文のある夏の繁忙期に手書きで伝票書けだなんて正気の沙汰じゃない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 違う、そうじゃない!!!!  気遣いの方向性!!!! 激しく分かります。
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