ある夏の思い出
大抵の嫌なことは一晩寝れば忘れてしまう偉大なる忘却性を持つ私でありますが、この時期になるとどうしても思い出してしまう「嫌な思い出」が一つだけあります。
今夜はそれを語らせてください。
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田舎!
農家!
とくれば跡継ぎ問題!!
御多分に漏れず我が家にもそういうものがあったわけで、義父も孫は男児を望むみたいことを公言してはばからない人でした。
幸いなことに私は子宝に苦労することはなく、結婚後すぐに妊娠したのですが、初めに授かったのは女の子でした。
当時の私は何をしゃべらせても威圧的な義父との会話が大変苦手で、電話をすることさえ恐ろしく、旦那に「どうかあなたから義父に子供のことを伝えて欲しい」って頼んだんですよ。でもね「嫁ちゃんの口から伝えたほうが喜ぶと思うよ?」と言われてしまえば連絡しないわけにもいかず、しましたよ、電話。
電話口の義父はやっぱりぶっきらぼうで、それでも頑張ってにこやかに子供のことを伝えたんです。女の子だったって。そしたらなんて返ってきたと思います?
「そうか。次頑張れ」
次!!
頑張れ!!
もうね、電話しなきゃよかったと心底後悔しましたよ。よかったな、とか。おめでとう、とか。そんな言葉一つもなく、次頑張れと。じゃあ、生まれてくるこの子はいらない子なのかと。そのあと勿論、泣きながら旦那に抗議しましたよ。
「そういう人だから。悪気があったわけじゃないんだ」
悪気が!!
あったわけじゃない!!
悪気がなければ何を言ってもいいのかと。旦那と問い詰めましたよ小一時間といわず丸一日。でも、まぁ旦那も諦めてたんでしょうね。反論もなくただ私の言葉を黙って聞き流してるだけでした。
「あの人と話すには翻訳こんにゃくが必要なんだ」
そう旦那は言いましたが、納得できるわけがない。
何故私が翻訳こんにゃくを食らわなければならないのかと。食らうべきはあっちだろうと。人語が伝わらないモンスターはあちらのほうではないのかと言いたいことはやまほどあれど、モンスターがこんにゃくを食らうはずもなく。
あれはあの人なりの労いのことばっだったと、思うことに――するわけねぇだろバカ野郎!! 徹底的に根に持ちましたわ。
長女の誕生日は7月。そう、ちょうど今頃の時期です。
元気な赤ん坊を生んだ私の病室に、義父と義母の姿はありませんでした。退院するまでの1週間、ただの一度も孫の顔を見に来ることはありませんでした。
なぜなら、仕事が忙しいから。
望まぬ性別の孫を生んだ嫁の顔など見たくもなかったんだろうなと、捻くれた気持ちになったのは言うまでもありません。
まぁ、そのあとも長女の行事という行事に一度も顔を出したことのない義父母ですから、今じゃもうこれっぽっちも期待してないんですけどね。
子供の行事があると伝えたところで「ひまだれしやがって!!(さぼりやがっての意味)」と、仕事に穴を開けることを罵られるだけなので、私も誘いもしなかったんですが。
義母はそんな義父に抵抗するのはとっくに諦めているらしく、ただ柔らかく笑って「いってらっしゃい」っていうだけでした。
その後も子供を授かりましたが、やはり女の子で。
義父はその時も、私に「そうか」と言っただけでした。
出産を機に仕事を辞めたあと、義父の支持で完全に農家の労働力として組み込まれることとなった私は、二人の子供を連れて真夏の作業場に足しげく通うこととなりました。
作業員は数多いますが、みな自分の仕事で忙しいので、作業の傍らほぼワンオペで子供を見ていたそんなある日、私が生涯忘れらない言葉を聞くことになります。
その日は客人が二人、作業場に義父を訊ねてきていました。
果物を切ってもてなすよう言われ、私は子供たちに外で遊ぶよう促して台所に立ちました。そんな二人を義父は商談の邪魔とばかりに「うるせぇ!!」と追い払いました。
「いいじゃないですか、元気なお孫さんで」
二人はそう言いいましたが、何を思ったのか義父の返した言葉はこうでした。
「まったく、男も産めないポンコツで」
一瞬何を言われたのかかわりませんでした。
商談に来ていたのは私も顔見知りの男性です。二人は義父の言葉に面食らったようにただ苦笑いをするだけでした。
私は何食わぬ顔で果物の乗った皿を置くと「ごゆっくり」とにっこり笑ってその場を出ました。
悔しくて。
あまりにも悔しくて。
誰もいない物陰で、声を殺して泣きました。
孫なら二人もいるじゃない。それを邪険に追い払って、あまつさえ私をポンコツ呼ばわりして。ポンコツなのは私じゃない。てめぇの息子の精子だろ!! と客人の前で叫ばなかった私をほめて欲しい。
……とまぁ、この時期になると、ふとした瞬間にそんなことを思い出してしまうのです。
おそらく義父は私に放ったこの言葉を覚えてはいないでしょう。でも私は一生忘れない。
息子が生まれ、跡継ぎの心配がなくなった今でさえ。
忘れてなんてやるものか。
絶対にだ!!
ただでさえ鬱屈した夏が、よりいっそう重苦しく感じる、そんな思い出。