第二章 おとり作戦
1.
翌日、アルス達は、朝食を取るために近くにある喫茶店にいた。
「コレかぁ……昨日の刑事が言ってたのは」
ランゼは、広げた新聞紙を見ながらそう言った。目の前には、注文したモーニングセットが置かれていた。
「ふえ?」
トーストに齧り付いていたアルスは、そう言いながら上目遣いでランゼを見つめた。
「ほら、昨日の刑事が闇の仕置人がどうこうって言ってただろ?」
アルスは、緑茶で、口の中にあるトーストを胃の中に流し込んだ。
「ああ、そういや、そんな事を言ってたな。それが新聞に載ってるのか?」
「ほら、これ。ここ見てみろよ」ランゼは新聞紙を半分に折ると当該記事を指差しながらアルスに見せた。そこには、昨晩、アルス達が遭遇した殺人事件について書かれていた。「あの刑事の言った通り、殺されたのは結構な悪人だったみたいだな。度々、捕まっちゃ、何かと理由を付けて出てきたらしいな」
「そんな事、できんのかよ?」
「ここに書いてあるだろ?父親が貴族だって。世間じゃ、民主化だなんだのと言ってるけどよ、未だに権力者が得するようにできてんだよ。世の中ってやつは、さ」
ランゼは、そう言うと深いため息をついた。
「なあ、その闇の仕置人って、あの刑事なんじゃねえのか?」
「お前がそう思う理由はなんだよ?」
「いやさ、あの刑事、遅れて来たって割には最初の発見者が俺とか、遺体に首がなかったってのをさ、知ってたんだよ」
「そりゃ、お前。あらかじめ同僚から聞いたんだろうさ。それに、お前が第一発見者だと言った理由も単にお前が規制線の中にいたからそう思っただけだろうよ」
「でも、」
「俺が通報してから警察が来るまでにだいたい、一時間くらいしかなかっただろ?首がいつ切られたのかはわからねえが、多少なりとも返り血は浴びてるはずだ。近くに住んでなけりゃ、一旦帰って身綺麗にしてから現場に行くのは、無理だ。それに、貧民街の入り口は一つしかないんだ。俺たちが入って行く時も、入り口近くの公衆電話で通報した時も出入りした奴はいなかっただろ?」
「でも、建物の壁を交互に蹴り上げて屋根の上から逃げれば……」
「バカ。あの体型だぞ?異端者じゃない限りは無理って……。ああ、なるほどな。お前は、あのオヤジが異端者じゃないかって言いたいんだな?」
「いや、違うけどさ。あ、そだ……」アルスはそう言うと、この前、パルザールで起きたある出来事を思い出した。「お前さ、パルザールの時に異端者の肩が光ってるって言ったろ?なんか、感じなかったか?」
「残念。なんも感じなかったよ」
ランゼは、そう言うとトーストに齧り付いた。
その後、朝食を終えた二人は、そのまま六角館に戻っていった。
「じゃ、俺は行くから。昼飯代ここに置いとくからさ、なんか適当に食っててくれ」
「わかったよ」
「じゃあな」
そう言うとランゼは、部屋から出て行った。バタン、とドアが閉まる。
「さて、と、」アルスは、そう呟きながらベッドに腰掛けた。「どうすっかなぁ……」
窓の外に目を向けると、隣接する建物の灰色の壁が見えた。アルスは、ふと、思い立ち、窓辺まで歩いて行くと窓から身を乗り出して上を見上げた。
アルスのいる六角館は、周りを建物を雑多に積み上げたような背の高い建物に囲まれていた。建物は密集している上、向かい合う建物との距離は長く、ここから見た感じでは、壁を蹴り上げながら屋根に登るのは困難そうに思えた。
「うーん。こっからじゃわからねえなぁ……」
アルスは、そう呟いた。「……一回、やってみるか、」
そう呟いたところでドアをノックする音が聞こえてきた。
「誰だろ?」
アルスがそう言ってドアスコープから外の様子を伺うとマリアンヌの姿があった。
(!)
アルスが扉を開けるとマリアンヌは、少し気恥ずかしそうに顔を赤らめながら「お、おはよう」と言った。
「お、おはよう」
「ねえ、今って暇?」
「え?」
「実はさ、織物美術館のチケット貰ったんだけど、どうかなって……」
「あ、う、うん。ちょうど暇だったんだよ」
「よかった」
マリアンヌは、ホッと胸を撫で下ろしたようにそう言った。「じゃ、行こっか?」
アルスとマリアンヌは、ギルス中央駅まで向かい、そこに設けられた乗合馬車の停留所に並んだ。ギルスでは、公共交通機関として乗合馬車と路面電車が走っており、前者は主に個人事業主などが、後者は王立交通局が管理運行していた。
しばらく待っていると、右方向から乗合馬車がやって来た。車体は白地で、側面には赤、青、緑、三色の短い線と事業主の者と思しき紋章が描かれていた。
アルス達は、馬車に乗った。馬車の中は満員に近い状態で、入り切らなかった乗客のうち、何人かは屋根の上によじ登ったようだった。
「結構、混んでるわね……」
マリアンヌは窮屈そうにしながらそう言った。
「遺跡近くに住宅地があるからな。そこに住む連中で混むのさ」
「ふーん……。そうなんだ」
マリアンヌがそう言うとガタンと馬車が揺れ、ゆっくりと動き出した。
馬車は、ギルスの大通りを経由して中央駅の南側の通りをゆっくりと走っていた。中心市街地に比べて人通りは少なく、通りには荷馬車や旅人、それに蒸気自動車が数多く行き交っていた。
「人が少ないのね」
マリアンヌは窓の外を見ながらそう言った。
「まあ、ほとんどが中心市街地に集中してるからな」
その後も馬車は通りをまっすぐ進んでいった。進むにつれ、建物はまばらになっていき、代わりに田畑が多くなっていった。
「わぁ……。ギルスにもこんな場所があるのね。鉄道で来た時にはわからなかったわ」
「まあ、あそこら辺からじゃ見えねえよな。まっ、でも、ギルスの、特にここら辺はこんな感じだぜ?」
「意外。もう少し、都会だと思ってた」
「広すぎんだよ。多分、だけどな」アルスはそう言うと軽く笑った。「まあ、でも、遺跡近くや新ギルス駅辺りはわりかし栄えてるぜ?まあ、港や漁村はリエージの方に取られちまったらしくてさ、寂れちまってるけどよ」
「あ、リエージなら知ってるわよ。あと、ヤツィールも。あの辺って、港の市場が有名なのよね?」
「そうそう。特に鮪が」
二人がそう話しているうちに馬車は、ノボロ遺跡近くの百貨店近くに来ていた。よく見ると先程よりも通りの幅が広く、周囲にある建物の数も増えていた。
「この通りをまっすぐに行くとフルヴェザン街道に出るんだ。まあ、今は危険だからって理由で、あんまり使われてねえけどよ」
アルスは窓の向こうを指差しながそう言った。
馬車は、そのまま真っ直ぐ進んでいき、閑静な住宅街の真ん中で止まった。
「はい。着きましたよ。お降りの際はお忘れ物のない様に……」
車内にある小さな窓が開き、御者が顔を覗かせながらそう言った。
馬車を降りるとアルス達は、そのまま住宅街の中を歩きながらノボロ遺跡に向かっていた。
ノボロ遺跡は、宅地造成中に発見された広大な面積を有する古代の集落跡で、田畑と祭祀跡、それに住居の一部を復元展示している。敷地内には出土品を収蔵する博物館の他にラスフィルド百貨店の先代社長が収集した世界各国の織物を収蔵する織物美術館があった。
「なんか、寂しいわね」
マリアンヌは辺りを見回しながらそう言った。そこそこの人で賑わっていたが敷地が広い所為か、閑散としているように見えた。
「これでも多い方なんだぜ?」
「そうなの?」
「ああ、平日はもっと少ない」
そう話しながらアルス達は、博物館の隣にある石壁で囲まれた建物の方に向かった。
ここが、目当ての織物美術館である。噴水のある中庭と石を積み上げたような外観の異国情緒あふれる建物で、屋根は銅板葺だった。
美術館の入り口で入館料二〇ギルスを支払うとアルス達は、展示室の中へと入っていった。
最初の展示室には、さまざまな大きさのタペストリーが展示されていた。室内は薄暗く、中庭に面した窓も地味な色のカーテンで閉め切られていた。
「せっかく、噴水の見える中庭があるのに……。なんだか、勿体無いな…」
「展示品の劣化を防ぐためなんです」
マリアンヌがそう呟くと展示室の隅にいた女性職員がそう声をかけて来た。
「収蔵品に使われている染料の一部は光に弱く、退色しやすいんです。ですから、こうして光が入らないようにしているんです」
「へぇ……。あっ、じゃあ、展示できない作品もあるんですか?」
「はい。痛みが激しかったり、退色しやすいものはこの作品のように複製を作成して展示しています」
女性はそう言うと展示室の真ん中にあるドラゴンと騎士が描かれたタペストリーを指差しながらそう言った。
「へぇ……、じゃあ、偽物ってわけだ」
「ち、ちょっと、アルス……」マリアンヌは肘でアルスを小突きながらそう言った。「えっと……、素敵なタペストリーですよね」
「ふふ、」女性は小さく笑った。「別に怒ったりなんかしませんよ。たしかに偽物といえば偽物ですからね」
「あ、えっと、なんかすみません……。ほら、アルスも謝んなさいッ」
マリアンヌはそう言うとアルスの頭を押さえつけ、謝るように促した。
「お、おいッ。何すんだよッ」
「仲がよろしいんですね」
「あ、いえ、そういうんじゃ…。なんていうか、ともだち?みたいな……」マリアンヌは顔を赤らめながらそう言った。「ほら、さっさと行くわよッ」
「あっ、お、おいっ……」
マリアンヌはアルスの手を引っ張りながらずんずんと奥に進んでいった。
次の展示室もタペストリーを中心に展示されていたが、先程の展示室と比べて大型の作品が多かった。
「おいッ離せってッ」
アルスがそう言うとマリアンヌの手がパッと離れ、同時に部屋の隅に座っていた女性職員の視線がジロリと二人に向けられた。
「ご、ごめん……」
マリアンヌはバツの悪そうな顔でアルスに向かってそう言った。
「……別に気にしてねえよ」
二人の間に気まずい空気が流れる。
「あ、見てよ。このタペストリー」
マリアンヌは気まずい空気を変えようとしたのか、近くに展示されていた鎧をつけた騎士と着飾った女性が描かれた大型のタペストリーを指差した。その図柄にアルスは見覚えがあった。
「お姫様と騎士なんて……、何の物語かしら?」
「騎士が恋人を討つ話だよ」
「え?」
「このタペストリーのモチーフとなった騎士タウゼンの物語のことだよ」アルスはタペストリーを指差しながらそう言った。「悪い王様に父親を殺された少女が大人になって仇を討つ為、王宮に側室として入るんだ。しかし、彼女は護衛の騎士と恋に落ちてしまう。で、最後は王様を殺害しようとしていたのが露見し、恋人の騎士が葛藤の末に忠義を貫いて彼女を討つ。という内容なんだ」
「父親の仇……」
マリアンヌはそう呟いた。
「騎士が葛藤の末に忠義を貫くっていう結末から、忠誠の証として、中世に贈り物として盛んに作られた…らしいんだ」
「……詳しいのね」
「ああ、こういうのが趣味の奴が知り合いにいてさ。まぁ、受け売りなんだけどよ」
「そうなんだ……」
マリアンヌはそう言った。
その後、アルス達は展示室をゆっくりと見て回り、美術館の売店で土産を買ったあと、ノボロ遺跡からギルス中央駅行きの馬車に乗った。馬車は行きよりも空いていて心なしか、速度も早いように感じた。二人がギルス中央駅に着いたのは、午前二時半を少し回った頃だった。
「楽しかったわ」
「……よかったな」
「はい。手、出して」
「えっ?」
「いいから」
アルスは言われた通りに手を出した。
「これ、あげるわ」
マリアンヌはそう言うとアルスの手のひらに五色の糸で織られた布製のお守りを置いた。それは、先程、美術館の売店でマリアンヌが買ったものだった。
「えっ、いいのか?」
「うん。あなたに渡そうと思って」
マリアンヌはそう言うとエヘヘっと笑った。
「あ、ありがと……」
アルスは顔を僅かに赤らめながらそう言った。
「照れちゃって、ふふ」
「な、なんだよ……」
「可愛いなぁって、」
「か、可愛い?俺が?」
「そう」
マリアンヌがそう言うと軽く笑った。
その後、アルスは、マリアンヌとギルス中央駅で別れると、六角館に向かって歩いていった。
2.
帰宅すると意外な人物が部屋の中で待っていた。
「よお、」
ランゼはダイニングでくつろぎながらそう言った。テーブルの上には、炭酸水の瓶や菓子の袋が散乱していた。
昼、ランゼに呼び出されたアルスは、ドラッズ街にあるカフェのオープンテラスにランゼと向かい合う形で座っていた。
「異端者だったのか」
ランゼから話を聞いたアルスは、そう言った。
昨夜の事件の犯人は、近くに住む二〇代の男性だった。警察が事情を聞こうとした所、突然、暴れ出し、そのまま逃走したということだった。
「ああ、そんで、逃げられたから俺たちに捕まえてくれってさ」
「なんだよ、それ。完全に警察の尻拭いじゃねえかよ」
アルスは、不満げにそう言うとグラスに入ったみかん果汁の炭酸水割りを一口、飲んだ。
「まあ、そう言うな」
「で、どうすんだよ」
「……作戦があるんだよ。犯人を捕まえるための、さ」
「作戦?」
「聞いて驚くなよ?」
「なんだよ、勿体ぶってさ。早く教えろよ」
「……ちょっと、耳貸せ」
ランゼはそう言うとアルスの耳元で今回の作戦について告げた。
「はぁッ⁉︎」
作戦を聞いたアルスは、思わず声を上げた。同時に周囲の視線が、ザッと、アルス達の方に向く。「バカ、声がでけえよッ」そう言うとランゼは、スッと椅子から立ち上がり、愛想笑いを浮かべながら何でもないですよ、と言わんばかりに軽く頭を下げた後、椅子に座った。
「なんで、俺が女装すんだよッ」
「やっぱ、不満か?」
「ああ、不満だね。第一、俺が女装しなくても、本物の女が何人かいるだろ?そいつら、使えよ」
アルスは不満げにそう言った。
「うーん、まぁ、そうなんだけどさぁ……」ランゼは歯切れの悪い口調で、そう言った。「……なんかさ、お前に女装させるって話で、決まってたらしくてさ」
ランゼは、そう言うと頰を人差し指で軽く掻いた。
「で、本当はどうなんだよ」
「え?」
「お前さ、嘘つく時に人差し指で頰を搔く癖があんだよ。気づいてないかもしれねえけど、」そう言うとアルスは、人差し指で自分の頰を軽く掻いた。「……本当の事言えよ。怒んねえからさ」
「……いや、えっとさ、あー、」
ランゼは、しばらくはぐらかそうと試みたが、やがて観念したのか、小さな声で「……クジ引きで決めたんだよ」と呟いた。
「はぁッ?なんで、そんな大事な事をクジなんかで決めんだよッ!」
アルスはランゼを睨みつけた。
「仕方がねえだろッ?イザベルって奴が公平に決めようって言うんだからよ。ま、でもお前、女っぽい顔してるからよ。カツラ付けりゃなんとかなるって。さあ、必要なもん買ってさっさと戻るぞ?」
二人はドラッズ街で、必要な物を買い揃えると支部に戻っていった。
支部に戻ると入り口で若い女性が待ち構えていた。
「ほらよ、買ってきたぜ?イザベル」
ランゼはそう言うと買ってきた物を彼女に手渡した。
「ありがと。それじゃ、アルスくん借りてくね。行こ?」
アルスはイザベルに連れられて奥にある部屋に入っていった。
「じゃ、座って」
アルスが椅子に座ると、イザベルは服が汚れないように前掛けをアルスに掛け、前髪を上げてヘアピンで止めた。
「私はイザベル・ローベルっていうの。よろしくね?」
「……アルス、です」
「ふふ、そんなに緊張しなくても良いよ。じゃ、いくよ?」
そう言うとイザベルは、アルスに化粧を施していった。