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箱庭のアルス【縦書き観覧用圧縮版】  作者: フルビルタス太郎
1/3

プロローグ

1.

 神の造りし世界・クルドゥリア。

 一五年戦争とも呼ばれる初めての世界大戦が終結してから約二〇年。世界は歪さや火種を残したまま急速な発展を遂げていった。

 新しいエネルギーである電気や蒸気機関の台頭。

 都市には馬よりも早く走る乗り物や火を使わずに輝き続ける街灯が出現し、地方からは多くの人々が成功を夢見て集まってきていた。

 それに伴う建物の需要の急増や地価の高騰などによる富裕層の出現。

 人々は新しい時代に熱狂した。

 しかし、その一方で貧富の差は拡大していき、権力は腐敗していった。さらに各地では軋みを立てるように犯罪の増加や魔獣の出現、諍いが起き始めていた……。

 そんな中、現れたのが異端者(いたんしゃ)と呼ばれる超人的な力を持ち、人々に危害を加える悪しき存在であった。

 常人では太刀打ちできない彼らに対抗する為、ゲセブ教預言者教会は、各国の治安維持組織と協力して異端者を捕まえる為の秘密部隊『法の猟犬(ほうのりょうけん)』を結成した。

 今日、フルビルタス王国北部の田舎町パルザールに二人の落ちこぼれ候補生が向かっていた。異端者を捕まえる為に……。


ーー


 先ほどまで青黒い空に輝いていた月は分厚い雲におおわれ、辺りは深い闇に支配されはじめていた。眼下の街は闇を振り払うかのように煌々(こうこう)と輝き、客寄せの威勢の良い掛け声や酔っ払いの笑い声、それに店から聞こえる雑音が交じり合い不協和音(ふきょうわおん)を奏でていた。

 しかし、そこから一歩、二歩と離れてた路地裏は、表の喧騒とは打って変わって、静寂(せいじゃく)と闇が支配する世界で、虫の音と風の音以外は何も聞こえず、何か、得体の知れないモノが暗闇から、ぬうっと出て来そうな、不気味な気配が漂っていた。


 はっはっはっ……。


 路地裏を荒い息を吐きながら何かに怯えたような顔つきで、走る走る一人の男。ギョロリとした目つきの大男で、やんちゃなガキ大将がそのまま大人になったという印象の男だった。名前はロチキ・ヨーサン。この田舎町にある食品卸売会社の幹部だった。

 この日、彼はいつものように会社の宴会に参加していた。

 宴会は、午後一時に始まり、三時間後の午後四時に終わった。その後、気のおける仲間達と二軒目にハシゴをして、三件目に向かう途中で、事件は起こった。

(くそっ、なんだよ。なんなんだよッ!)ヨーサンは心の中でそう吐き捨てた。(なんで、なんで、アイツがッ)

「わっ、と……」ヨーサンは、段差に躓き、転んでしまった。立ちあがろうとすると手や膝に痛みが走る。「痛っ…」見ると手のひらや膝を擦りむいていた。

 ヨーサンは痛みに顔を歪めながら立ち上がると、よたよたと力なく歩き始めた。

 その時だった。

 後ろで、カツン……と、小さな音がした。

 どっどっどっ。体の中では高鳴る心臓の鼓動が大きく響いていた。息は徐々に荒くなり、体に緊張が走る。

(アイツが、いる……のか?アイツが、あのフランクがッ)後ろで音はしなかった。しかし、何者かの気配は感じられた。(どうする?)逃げようにも足は、動かなかった。ヨーサンはポケットから折り畳み式の万能ナイフを取り出して、いつ襲われても反撃できるように構えた。意を決して振り返る。

 しかし、そこには何もなく、ぽっかりと口を開けた深い闇があるだけだった。

「なんだ……」

 ヨーサンは、ホッ…と胸を撫で下ろすと再び走り始めた。


ーー


 ヨーサンは町のメインとなる大通りに出た。この道を左側に真っ直ぐ五〇〇グルードほど歩くとこの街の玄関口であるフィリア湖鉄道のパルザール駅があった。

 今から走って行けば最終列車ぐらいには間に合うかもしれない。ヨーサンはそう思いながら等間隔に並べられた街灯を頼りに走っていった。

 しばらく走っていくと、橋の向こうにぼんやりとした明かりで照らされた小さな木造の駅舎が見えてきた。

 ヨーサンが駅舎の中に駆け込んでいくとその様子を見ていた団子っ鼻(だんごっぱな)の初老の駅員が何事かと慌てて駆け寄ってきた。彼の名前はハンスといってヨーサンの親戚だった。

「どっ、どうしたッ⁉︎ロチキ。なんか、あったのか?」

「ハ、ハンスか。ああ……。あ、アイツが、アイツが…」

 ヨーサンは息も絶え絶えにそう言った。

「アイツ?」

「フランクだよ。フランク。フランク・アルトリアス。この前、解雇した男だよ」

 ヨーサンは呼吸を整えながらそう言った。

「フランク……。ああ、あのフランクかい?」

「ああ。いきなり襲って来たんだ。すごい速さで……。多分、サッテンを殺したのもフランクだ…」

 ヨーサンがそう言うとハンスは思いっきり吹き出した。

「ハッハッハ……。あの、太っちょフランクが?まっさかぁッ!あ、あんなノロマなのに、ど、どうやって……。ハハッ」

「笑い事じゃないんだッ。こっちは…」

「わかった。わかったよ。じゃ、警察に行くかい?」

「いや、列車で遠くに逃げたい…。ギルスにツテがあるんでね」

「そうかい。わかったよ。なら、なら、あと五分待ってくれや。フッリバ行きの最終列車がくるでよ」

「これで、足りるかい?」

 ヨーサンはポケットから皺くちゃの紙幣を一枚取り出すとハンスに手渡した。

「充分だ。一イェンなら二等車だが、かまわんかい?」

「何でもいいよ」

「あいよ。待ってな」

 そう言うとハンスは駅舎の中に引っ込んだ。

 ヨーサンはホームの椅子に腰掛けるとポケットから煙草とマッチを取り出した。

 辺りを見回すが、自分とハンス以外は居ないように感じた。いや、気配を消しているのかもしれない。列車に乗るまでは油断出来ない。ヨーサンは煙草を口に咥えながらそう思った。

「煙草はやめにしたんじゃなかったんかね?」

 ハンスがそう言いながら切符片手にやってくる。

「ん、ああ……。ハハ、中々やめられなくてね」

「そうかい。まあ、難しいわな」そう言いながらハンスはヨーサンに切符を手渡した。「じゃ、列車が来たら鐘をならすでよ。そしたら、あの五と書いてある所に、な」

 ハンスは、五と書かれた場所を指差しながらそう言った。

「わかったよ」

 ヨーサンがそう言うとハンスは駅舎の中に戻っていった。

「あと、三分か……」ヨーサンはホームの時計を見ながらそう言うと煙草に火を付けた。「向こうに着いたら牢にぶち込んでやる……」

 ヨーサンは、そう呟きながら煙を吐き出した。

 チカチカと点滅する灯りに照らされた仄暗い空間に紫煙がゆらり、と立ち登る。

 ヨーサンが目を細めながらそれを何気なく見つめていると突然、黒い影が目の前に躍り出た。

「死ねッ……」

 冷たい声と共に黒い影が素早く手に持った剣を一閃させた。

 首筋に痛みが走ったかと思うと、突然、視界がぐらり、と揺らいだ。眼下には地面と自分の靴が見えていた。

(あ、れ……)

 ふわり、と宙を漂い、ぐんぐんと落ちていく感覚と共に世界がゆっくりと、回る、回る。

 その中で、ヨーサンが見たのは、噴水のように血飛沫を上げる自身の体とその脇に佇む一人の男だった。男はケタケタと狂ったような笑い声を上げながらこちらを見ていた。

「ざまぁ……。キへへッ」

 ヨーサンの視界と意識はそこで、途切れた。


ーーカンカン……。


 もうすぐ、列車がホームに到着する事を知らせる鐘が鳴った。それと同時にハンスが「おぉーい、」と駅舎からひょっこり顔を出す。彼が悲鳴を上げたのは、ほぼ同時だった。

 叫び声を上げながらハンスは腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。言葉にならない声を上げながら見つめる先には、ベンチにもたれ掛かるヨーサンの体と血溜まりの中に転がる首があった。

「は、早く列車を止めにゃ……」

 ハンスはふらふらと立ち上がり、列車の緊急停止ボタンを押した。

 直後、ギィーッと言もいう耳障りな音が響いて、列車はホームから一〇グルード離れた場所で止まった。


2.

 列車が激しく揺れた後、車中には、緊急事態を知らせるアナウンスが響いていた。

「……事故か?」

 二等車の個室の中、座席に座っていた艶やかな黒髪の少年は驚いた様子で辺りを見回していた。

 彼の名前はアルス。異端者と呼ばれる存在を捕まえる『法の猟犬』と呼ばれる組織の候補生だった。

「いや、事故じゃなさそうだな」

 向かいに座る無精髭を生やした冴えない風貌の黒髪の男がそう言った。

 彼の名前はランゼ。フルビルタス王国警察庁の職員で、彼も『法の猟犬』の候補生の一人であった。

「……と、すると異端者か?」

 アルスは小さな声でそう言った。

「……かもな」

 ランゼがそう言うとアナウンスが流れた。

『お客様にお知らせいたします。パルザール駅で事故が発生した為、当列車はパルザール駅を通過いたします。繰り返しいたし……』

「やべっ、おい、降りるぞ。アルスッ」

 ランゼはそう言うと鞄を引っ掴んで慌てて出口の方に走っていった。

「えっ、お、おいッ!待てよッ」

 アルスは、棚から鞄を下ろすとランゼの後を追って出口に向かっていった。

 アルスが出口に行くとランゼが乗務員と何やら話をしていた。

「いや、あのさ。俺たちは……」そう言うとランゼはポケットから身分証を取り出そうとした。「あ、あれ……」

「どうしたんだよ」

「あはは、身分証、忘れちまったみたいだ」

 ランゼは乾いた笑いを浮かべながらそう言った。

「はぁ?いや、どうすんだよ」

「なあ、頼むよ。とにかくこの通りッ!」

 ランゼは両手を拝むように合わせながらそう言った。

「ダメですな。さあ、お戻りください」

 乗務員にそう言われて、アルス達は仕方がなく席に戻っていった。

「おい、どうすんだよッ」

「どうするって言ってもな……」

 ランゼはしばらく考えたあと、アルスの耳元で小さな声で囁いた。

「はぁッ⁉︎」

 アルスは思わず声を上げた。

「バカ。声がでけえ」ランゼはそう言うと辺りをキョロキョロと見回した。「これしか方法がねえんだ。わかったか?」

 ランゼはアルスを見つめながらそう言った。

「いや、でもさ……」

「いいか?これが俺たちに与えられた最後のチャンスなんだ」ランゼは、煮え切らない態度のアルスに向かって諭すように言った。「この先のサルード駅で降りて引き返してから警察と一緒に捜査をしてたんじゃ夜が開けちまう。明け方までに捕まえられなかったらどうなるかわかってんだろッ⁉︎」

 ランゼがそう言うとアルスは頷いた。

「だったら、答えは一つだ。お前と警察で捜査を始めててくれ。心配すんな、俺は後から行くからよ」

「わかった。なんとかやってみる」

「よっしッ!じゃ、列車が動かねえうちに早いとこ行けッ」

 ランゼがそう言うとアルスは壁に掛けてあったコートを羽織り、鞄から二振りの短剣を取り出してベルトのホルダーに差した。窓を開けるとアルスは軽々と列車の屋根の上へと登っていき、パルザール駅の屋根の上に飛び移った。ホームでは大勢の警官が捜査をしていた。

 アルスは、その様子を見ながら今日の朝の出来事を思い出していた。


ーーここで、少し時間は遡って今日の午前七時。


 朝、アルスが目を覚ますとカーテンの隙間から陽の光が仄暗い(ほのぐらい)室内に差し込んでいた。外からは微かに鳥の囀りや人の声が聞こえていた。壁際の時計に目を向ける。時刻はすでに午前七時を過ぎていた。

「やっべっ!」

 自分が寝坊した事に気がついたアルスは、跳ねるように飛び起きると大急ぎで着替えをして、慌てて寮の部屋から出ていった。

 アルスは今年、一五歳になる。

 彼は、異端者を捕獲する為に組織された『法の猟犬』の実行役の候補生で、先月、二回目の最終試験に落ちたばかりだった。

 最終試験は実技試験で、制限時間内に異端者が関わっていると思われる事件の犯人を捕まえるというものであった。試験は実行役の候補生と補助役の候補生の二人一組で行う事になっており、合格したらそのままの組合せで法の猟犬として各教区に登録されて、活動する事になっていた。

 この日、アルスは三回目の最終試験に臨む事になっていた。最終試験は、三回まで受けられる事になっており、全て落ちた候補生は失格者と呼ばれ、別の仕事に回される事になっているらしい。

 らしい、というのは今まで、そのような者達は誰一人としていなかった為である。大抵は、一、二回で合格するのが普通で、二回目の試験を落ちた段階で、アルスはすでに落ちこぼれの烙印を押されていた。もし、今回の試験に落ちたら、そこに失格者第一号という不名誉な称号まで付く事になる。それを回避する為にも、そして、法の猟犬になる為にも絶対に落とせない大事な試験であった。

 寮の軋む階段をダダダタ、と駆け降りる。「もっと、優しく降りなッ!」寮を管理する老婆の怒鳴り声が響いた。

「悪りぃ、悪りぃ」

 アルスは老婆に向かってそう言いながら寮の外に出て、隣接する校舎の中にある教官室に向かって走っていった。

「すみませんッ!」

 そう言いながら教官室のドアを開けると同時に教官であるグラウロスの怒鳴り声が響いた。

「おっそーいッ!」

「す、すみません。寝坊しちゃって……」

 アルスがそう言うと、教官の前に立つ無精髭を生やした冴えない風貌の背広姿の男が軽く笑った。

「よお、アルス。随分と遅かったじゃねえか」

 彼の名前はランゼといって今年、二六歳。彼がアルスと組む補助役の候補生であり、共に二回の試験に挑んで、落ちた仲間であった。

 補助役は、協力関係にある各国の治安維持組織から派遣されており、彼はフルビルタス王国警察庁からの派遣だった。

「悪いか?」

 アルスはムッとした表情でそう言った。

「ああ、悪いね」

 ランゼがそう言うとグラウロスが咳払いをした。

「そろそろいいかね?」

「あ、はい」

 アルスがそう言うとグラウロスは、机の上に大きな地図を広げた。今、アルス達のいるエラローリア大陸の地図で、西側がアルス達のいるエラローリア皇国、東側がランゼのいたフルビルタス王国であった。

「さて、最終試験だが、前回同様に、フルビルタス王国で行う」フルビルタス王国の領土を指しながらそう言うと、グラウロスは資料をその上に広げた。「最終試験における君達の任務は、フルビルタス王国のパルザールという町で起きた連続殺人事件の犯人を捕まえる事だ」

「パルザールっていうとフィリア湖鉄道沿線の町か」

「そうだ。君達はフィリア湖駅からフッリバ行きの列車に乗ってもらう。それで、パルザールまで行き、地元の警察と協力しながら犯人を捕まえてほしい。期限は明日の夜明けまでだ。なお、わかっているとは思うが、今回が最後の機会だ。もし、失敗したら二人ともそれぞれ別の仕事に就いてもらう」

「わかってます」

 アルスはそう言った。

「ちなみに今回失敗した場合の配属先なんだがね。実はすでに決まっているんだよ」

「えっ⁉︎」

 アルスとランゼは声を揃えてそう言った。

「聞きたいかね?」

 二人が頷く。グラウロスは軽く咳払いをした後「落ちこぼれの君たちには、ラルフ島特別教区に行ってもらう予定だ」と言った。

「はぁッ⁉︎」

 二人はまた声を揃えた。

 ラルフ島とは、南の海のど真ん中に位置する絶海の孤島で、アルスの記憶が正しければ無人島のはずだった。

「いや、あの……ラルフ島って」

「嫌なら、試験に合格したまえっ!以上ッ!」

 グラウロスは、ランゼの言葉を力強い口調でピシャリ、と遮った。

 二人は教官室から出ると深いため息をついた。

「大変な事になったな」

「足、引っ張んなよ?」

 アルスはランゼを睨みながらそう言った。

「はっ!お前こそっ」

 そう言いながら互いに睨み合った後、二人は深いため息をついた。

「やめやめ。前回はそれが原因で失敗したんだもんな」

 ランゼがそう言った。

「その前は、お前がヘマした所為だからな?」

「ったく、生意気なガキだぜ……」

「いい加減な大人のアンタがよく言うよ」

 アルスがそう言うとランゼは、ハハハッと笑った。

「ま、ここで言い合っていても仕方がねえ。早いとこ、パルザールに行こうぜ?」

 アルス達が、パルザールに向けて出発したのはそれからすぐのことだった。


ーー


 アルスは、駅舎の屋根の上から人目につかない場所に降り立った。

 そこからパルザール駅近くに向かうと駅の前は大勢の警察関係者と野次馬でごった返していた。

 駅に向かおうとしたアルスは、ある事を思い出してハタっと、足を止めた。

「……身分証ッ」身分証を探しながらポケットの中などを確認したアルスは、ハッと思い出した。「しまった……。鞄の中だ」

 いくら、警察と協力関係にあるとはいえ、この格好である。不審者として捕まる可能性の方が高かった。

 どうしたものかと思案していると、微かではあるが、男性の怒鳴り声が聞こえてきた。

(喧嘩か?)

 そう思いながらも一抹の不安を感じ、声のする方へと向かっていくと路地の入り口で、見るからに柄の悪そうな男がフードを被った男に絡んでいた。フードを被った男の手は固く握られ、ふるふると震えていた。

「おいッ!聞いてんのか?」

 柄の悪そうな男はそう言いながらフードを被った男の胸ぐらを掴んだ。フードがするりと落ちて、男の顔が露わになる。冴えない色白の肥満気味な顔だった。

 それを見た、柄の悪い男は品のない声でゲラゲラと笑った。

「なんだよ。太っちょフランクじゃねえかよ。どうしたんだよ。そんな格好してよ?何かの真似か、あ?」

 フードを被った男は、ぎゅっと固く握られていた手をゆっくりと開いて、ピンと真っ直ぐに伸ばした。次の瞬間、男は微かな笑みを浮かべた。

「あ?何笑ってんだよ?気持ち悪りぃな……」フードを被った男は腕を水平に伸ばして、それを高く掲げた。「おいおい、何しようってんだよ」

 男の腕がヘラヘラと笑う柄の悪い男目掛けて、振り下ろされる。いつの間にか男の腕は鋭い刃物に変わっていた。

(異端者ッ!)

 アルスは素早くチップという飛び道具を取り出して男の腕目掛けて投げた。チップは、凄まじいスピードで飛んでいき、男の腕に当たるとキィンという甲高い金属音がなった。腕は柄の悪い男の顔ギリギリの所で止まった。

「ギィャーッ!」

 柄の悪い男はそう叫ぶとフードを被った男を突き飛ばして一目散に逃げていった。

 フードを被った男は、柄の悪い男を追おうとしたが、アルスが「おいッ!」と言うと慌てながら路地の奥へと消えていった。

「逃すかッ!」

 アルスもフードを被った男を追って路地の奥へと走っていった。

 そのあと、騒ぎを聞きつけた野次馬と柄の悪い男が呼んだ警官がやって来て、辺りは騒がしくなりはじめた。


3.

 路地を抜けると閑静な住宅街に出た。

「くそッ!どこ行きやがった」

 辺りを見回すと少し先の街灯の下を黒い人影が身体をひょこひょこと左右に揺らしながら走っているのが見えた。

「見つけた……」

 アルスは気配を消しながら人影を追っていき、古びた白い家の前にたどり着いた。先程の人影は、玄関扉の前にいた。

「な、何なんだ。あのガキは……。あの距離からチップを飛ばすなんて、人間じゃねえよ……」

「アンタの方が人間じゃねえよ」

 アルスは気配を消して後ろに回り込むとそう言った。

「だ、誰だッ!」

「法の猟犬」

 振り向く男の問いかけにアルスは、そう答えた。

「なんだそれ?」

「法の猟犬ってのは、アンタみたいな連中を裁く、正義の味方さ」

「……つまり、俺を殺しに来たって訳だ?」男は笑いながらそう言った。「正義の味方が聞いて呆れるぜ。ああ、いや。違うか。幸福や利益の多さで決まるんだもんな。正義ってやつは、さ」

「何言ってんだよ。アンタは?」

「だってそうだろ?俺みたいなクズを生かしておいても世間の為にはならない。だから、お前が来た。違うか?」

「クズって自覚があんのかよ。まあ、いいや。俺はアンタを捕まえにきたんだよ」

「……警察か?」

「半分正解」

 アルスがそう言うと同時に男が斬りかかってきた。男の右腕はいつの間にか剣に変わっていた。動きも太った鈍臭そうな見た目とは裏腹に素早かった。

「うわっ、」アルスは男の攻撃をすんでのところで躱した。「な、何すんだよッ!」

「おまえを殺せば俺は捕まらない……。覚悟しろッ」

「…なんだよ、それ。悪いけどさ、俺もアンタを捕まえなくちゃならないんだよ。大人しく捕まって、己の罪を悔い改めろッ」

「罪?なんの?」

 男は、きょとん、とした顔でそう言った。

「とぼけんなよ。パルザールの殺人鬼ってのは、アンタの事だろ?」

「俺が殺すところでも見てたか?」

「いや、それは……」

「見てないんだろ?」

 男はそう言うとアルスを馬鹿にするように鼻で笑ったあと、何かを考えるかのようにしばらく黙り込んだ後に「……俺が犯人。パルザールの殺人鬼だ」と言った。

「えっ⁉︎」

「そう驚くなよ。探してたんだろ?」

「いや、そうだけどよ……。なんで、」

「話したかったからさ」

 アルスがそう言うと男はへらりとした口調でそう言った。

「なら、その話は取っておけよ。警察署まで、俺が連れて行ってやるからさ」

 アルスがそう言うと男はケラケラと笑った。

「な、何がおかしいんだよッ!」

「バカかお前、俺が自首すると思ってんのか?」

「あ?」

「本当は、喋ってスッキリした後に殺すつもりだったけどよ、」そう言うと男は剣になった右腕を構えた。「もういいや、死ねッ!」

 男はそう言うと、地面を蹴って斬り込んできた。アルスは素早く腰に差した短剣を引き抜くと男の攻撃を受け止めた。

「くそッ!なんて力だよ……」

「へえ、結構やるじゃん?でも、いつまでもつかな?」

 男は、そう言って破顔の笑みを浮かべた。それは、なんとも形容し難い不気味さに満ちていた。


ーー。


 それから男は力任せの斬撃をひたすらアルスに叩き込んでいった。アルスも男の放つ斬撃をひたすら防いでいたが、防いだ際の衝撃が凄まじく、腕は限界に達しようとしていた。

「フハハ、どうした。どうしたぁッ!」

 アルスは男の攻撃を弾き返すと後ろに飛び退き、間合いを取った。

「……ったく、調子に乗りやがって、アンタの力じゃねえだろうがッ」

「あん?」

「努力せずに得た借り物の力だって言ってんだよッ!このインチキ野郎ッ!」

 アルスがそう言うと、男は突然激昂した。

「貴様も俺を否定するのかッ⁉︎アイツ等みたいにッ!俺は、何も悪く無いッ!俺を馬鹿にしたアイツらが全部悪いんだッ!」

 男は早口でそう捲し立てた。

「だから、殺したってのか?」

「そうだッ!この素晴らしい力でッ!……」男はそう言うと天を仰ぎ見ながら不気味な声で笑った。「悔い改めろ?なぜ?俺は選ばれたんだ。ヒハハ……」

「……やっぱり、クズ野郎だよ。アンタは」アルスは、短剣を鞘に納めると鋭い刃のような目つきでそう言った。「殺してやりてぇ」

「じゃあ、殺せばいい」

「残念だけど、それは無理なんだよ。さっきも言ったけどさ、俺はアンタを捕まえなきゃいけないんだ、よッ!」

 アルスはそう言うと、地面を蹴って男の懐に飛び込んでいった。

「なっ……」

 男は慌てて間合いを取ろうとするが、すでにアルスは彼の懐の中にいた。濃い茶色の瞳が、男を冷たく見上げていた。

「歯ぁ食いしばれよッ!このクズ野郎ッ」

 アルスはそう言うとグッと拳を握った。


 と、その時だった。


 突然、ヒュウッと風切り音が鳴ったかと思うと男の周りに風が巻き起こり、アルスは弾き飛ばされてしまい、そのまま男の家の外壁にぶつかった。

「うわっ…」

「すごい力だ。ヒヒ……」

「……ば、バカ。やめろッ!死ぬぞッ!」

 アルスは不気味に笑う男に向かってそう言った。

「ハハ……。やめるわけないだろ?ヒヒ……。この更なる力でおま……アガッ⁉︎」

 男は、突然、苦しみ出したかと思うと「俺は悪くない、悪くない、悪くない、悪くない…」と繰り返し言いながら剣を持った無数の手が生えた形容し難い不気味な姿に変化していった。

「だから、やめろって言ったんだよ。バカ……」そう言うとアルスは、短剣を引き抜いた。「異端者は、一度でも成ると助からねえんだよ。だから、殺してやる事しかできねえ……悪りぃな。……魂の大罪を冒せし者よ。法の猟犬であるアルス・ヴィトスが、神に変わり汝に裁きを下す。覚悟しろッ!」

 そう言うとアルスは、異形の姿と成り果てた男に向かって斬り込んで行った。

「わるくないわるくないわるくないわるくないわるくないわるくないいないないないな…。俺は悪くない。悪いのはぜぇんぶあいつら。俺は正しい、正しい、正しい……ッ!」

 悪くない、男はそう繰り返し呟いた。

「……人を殺しておいて、正しいも何もねぇだろうがッ!」

 アルスは地面を蹴り、男との距離を一気に詰める。

「ギアーーッ!貴様も俺を馬鹿にするかぁッ!」不気味な叫び声と共に無数の剣がアルス目掛けて一斉に振り下ろされた。「俺の気も知らないでぇッ!」

「そんなのアリかよッ⁉︎」

 アルスは、咄嗟に地面を蹴って後ろに飛び退くと、くるんと一回転して着地した。

(くそッ。なんだよ、あれ。これじゃ近づけやしねえぜ……)

 男がものすごい速さで一気に間合いを詰めてきた。

「しまっ、」

 アルスは咄嗟に短剣を構える。

「無能がッ!カスがッ!ゴミクズがッ!そんなもんか?えッ!」

 男は次々と力任せの斬撃をアルスに打ち込んでいった。

(……なんつー力だよ)

 キン、と甲高い音と共にアルスの短剣が一振り、弾かれる。

(しまったッ!)

 その隙を逃さまいと男はアルスの首を掴み、獲った獲物を誇示するかのように高々と掲げた。

「お遊びはここまでだ。小僧。殺すのは惜しい気もするがな……」

「……だったら、見逃してくんねえ?」

 アルスは息苦しそうに言った。

「安心しろッ。おまえを殺した後にその身体を堪能し尽くして、オモチャとして遊んでやるッ!死ねッ」

 男は、そう言うとアルスの首を掴んでいた手に力を入れた。

「あ、ぐ……」

 必死に抵抗も虚しく、アルスの意識は徐々にと遠のいていった。 

(ああ、俺、死ぬのか……)

 そう思い始めた矢先、乾いた銃声と男の叫び声が聞こえ、アルスは地面に落ちた。

「……な、なんだ?」

「アルスッ!無事かッ」

 咳き込むアルスのもとに男が駆け寄る。

「早かったな……。ランゼ」

「お前の身分証を使ってよ」そう言うとランゼは、男の方を見た「成っちまったか……」

「どうする?」

「どうするも、何も殺るしかねえだろ?」

「でも、」

「バカッ!試験なんかよりもコイツをどうにかするのが先だろうがッ」ランゼはそう言うとアルスの前に立った。「さあ、バケモンッ!このランゼさ……げぶッ!」

 そう言いかけたランゼは男に殴り飛ばされ、外壁にぶつかった。

「愚かな……」

「ランゼッ」

「ああ、大丈夫。大丈夫……」駆け寄ったアルスに抱き起こされながらランゼはそう言って前を見た。「ん?」

 男の肩の辺りが光っていた。

「どうした?」

「いや、アイツの右肩の辺りがさ」

「肩?別になんともなってねえけど……」

 それを聞いたランゼは、しばらく黙り込んだ後「アイツの右肩の辺りをぶっ刺せ」と言った。

「は?なんで」

「いいからッ!早く」

「あ、ああ……」

「何をごちゃごちゃ言っている……。死ねッ!」

 地面落ちていた短剣を拾って男の攻撃を受け止めたアルスはそのまま外壁に弾き飛ばされた。

 が、空中で体勢を整えるとその衝撃を利用して外壁を蹴って、男目掛けて突っ込んでいった。

「な、何ッ⁈」

「でやーッ!」

 掛け声と共に短剣が男の右肩を貫いた。

「グガァァァ……」

 血を吐き、獣のような雄叫びを上げながら男は、元の姿へと戻りそのまま地面に倒れ込んだ。

「ハハ……。思った通りだ」

「……戻った⁉︎なんで、なんでなんだよ」そう言って振り返ったアルスを見たランゼは驚いたような顔をした。「どうした?」

「いや、なんでもない。とにかく、やったな、アルス。任務完了だッ!俺たちは合格したんだよッ!」

 ランゼは乾いた笑い声を上げながらそう言った。

「えっと、なんで……」

 アルスは、短剣に付いた血を振り払い、鞘に納めるながらそう言った。

「わからんッ」ランゼはそう言うと笑った。「わからんが、とりあえず、犯人確保だ」

 ランゼはそう言うと男の手に手錠を嵌めた。彼は気絶しているだけで息はあった。

「さ、パルザール警察署に行って、コイツを突き出そうぜ?」

「そうだな」

 アルスはそう言うと軽く笑った。


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